正月行事のいわれ

 日本における年中行事のなかで、最も普遍的に全国で行われるものは正月の行事である。正月
には都会でも田舎でも一様に門松を立て注連縄を引き、餅を焼いて神に供え、一家団欒して屠蘇
を飲み、餅を食べて祝う。七日後には門松が取払われ、
餅の代りに七種の菜を入れた七草粥を食
ペる習慣がある。
 およそ地球上どんな国でも、他民族の集合団体である外国より伝わった風習が、全国の津々
浦々に至るまで一様に行われることはあリ得ないのである。日本に仏教が入ってからすでに千数
百年になるが、それに伴うインドの風習は決してわが国で普遍的には行われておらず、また神道
家あるいは国学者等はこれをとり入れたりその風習に従うことはなかったのである。
 合掌はインドでは普通行われる礼であるが、わが国では仏教信者が仏像に対して礼拝するとき
に合掌する位に過ぎない。中国より儒教が入ってから、これまた千数百年を経過したが、日本人
に儒教風の礼は行われなかった。日本人は互いに相対するときには必ず低頭届身して礼をする。
これは昔から日本民族に伝わる習慣であるからなのである。
 正月行事が全国的であるのは、大昔日本人がわが国に移住する前から、その行事が日本民族に
伝わる独特のものであったからに他ならない。日本人の殆ど誰も、何故この行事が起り、そして
門松を立て餅を焼いて食べ、七日の後には七莱を入れた七草粥を食し、かつ神棚の器物を新しく
して神を祀るのかということについてその由来を知らないのである。単に因習によって代々これ
を継続するのみで、その起った原因が民族的に重大な意味があることを知らないのである。
ユダヤ人は正月の行事を代々継承して厳重に執行し、これを「過ぎ越しの祭」という。これは
わが国の正月のような民族的行事で、元日より七日にわたって行われ、この七日間、無発酵のパ
ン、即ち餅を食べる。また門口に常磐木の枝を飾り、苦菜を食べる風習がある。日本の習慣とし
て正月に神に供えた鏡餅は、七日の七草が過ぎてから神前より下げてこれを食べるが、これは家
長もしくは家族のみで食べ、他人には食べさせないのをしきたりとした。ユダヤ人にもこれと同
じ習慣があって、神殿の供物の餅は七日の後に下げて、祭司とその子等のみ食べ、他人には食べ
させるべきものではないとした。レビ記二十四章に「これは祭司とその子等に帰す。彼等これを
聖き所にて食うべし」とある。 -----------------------------7d5da780482 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream