T・ル‐ズベルトを立てるためのマッキンレ‐大統領暗殺

多くのアメリカ入が、ユダヤのアメリカ占領作戦に抵抗した。一八九六年と一九○○年に大統
領に当選したマッキンレーは、リンカーンの伝統を継承する、このようなアメリカ人を代表していた。彼は、アメリカ本来の政府・経済システムを取り戻す政策を訴えたのだ。このマッキンレーの政敵が、ユダヤの手先、セオドア,ルーズベルトである。一九○○年の共和党大会は、マッキンレーを大統領候補に指名したが、副大統領候補を誰にするかで紛糾したあげく、マッキンレーは妥協して、政敵のルーズベルトを副大統領候補とすることに同意した。これは、マッキンレーにとっても、アメリカの運命にとっても悲劇的な妥協となつた。一九○一年、マッキンレーが大統領に再選された直後、ロシア人アナーキストによって暗殺されたのだ。当然ながら副大統領のルーズベルトがあとを襲う。そして、セオドア・ルーズベルトがこの暗殺事件に関与していた可能性があると指摘するアメリカの歴史家もいるのだ。

リンカーン暗殺に続くマッキンレー暗殺ーユダヤはこの二つの暗殺事件を演出することによって、ついにアメリカの国家権力の中枢に近づいたのである。セオドア ルーズベルト大統領の八年間に、FBI(連邦捜査局)が設立された。そしてその後、一九○八年にプナイ・プリスはADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)を創立、ADLのFBIへの浸透とコントロールが始まる。また、一九○六年には、米国ユダヤ委員会が創立されている。この委員会は全米を十二区に区分している。

そして、その第十二区はニューョーク市を含む。一九○八年、ニューョークに「ケヒラ結社」(固体、会合、または政府を意味するカハル=カガールと同様の意味を待つ言葉で、分散せるユダヤ政府のこと)が設立され、この「ケヒラ」が米国ユダヤ委員会十二区の委員を選出する。ニューョーク・ケヒラは、事実上ユダヤの独立した国家機関である。アメリカ合衆国という国
家とは別の、独自のユダヤ国家がすでに二○世紀初頭に成立しているのだ。ニューヨークのユダヤ人口は、一九○八年に六十万人、一九二○年代初めには二百万人。ユダヤは一九世紀末からのアノリカ侵攻作戦を、プナイープリスの指揮のもと、このように組織的に成功させたのである。