人心操作と条件付け

 
 ユタヤ人は「沈默する大多数の人逹」に何らかの脅威を感じているかと尋ねると、彼
はその考えを笑つてこういつた。

 『我々は彼等の泣きわめきを支配している。だから沈默する大多数にそのような事
はない。有るのは無思考の大多数だけであり、我々の嚴格な供給からの逃避が
娯樂産業の阿片である限り、彼等は無思考のままだろう。産業を支配する事によつ
て、我々は仕事の支配者になつてきたし、国民はその奴隸になつて
きた。毎日の苦労の負担が爆発する程大きくなると、我々は束の間の喜びの安全弁
を与えてきた。テレビ映画産業は必要不可欠な一時的気晴らしがある。これらの
番組は決して論理的思考に訴えず、感覺的感情に訴えるよう注意深く
計画されている。だから国民は理性に從わず、我々の命令に從つて反応するよう番組
が作られている。彼等は沈默しないが、無思考のままだろう。』
 
 
 

                                              
           全国のテレビ放送は全てユタヤの影響が顯著になつてきた。この事
          を検証するため、風俗の乱れた、下らない内容のテレビ番組の傾向
          を数年に渡つて分析してみる必要がある。

                                              
                                              
                                              
 ローゼンタールはユタヤ人のゴイ支配についての自分の考えを説明し続けながらこう
いつた。

 『我々は社会を恐怖と脅しで骨拔きにしてきた。男らしさは女っぽさと混
じつて、見た目だけしかない。余りに中性化し、大衆は騙されやすく、支配し
やすくなつてきた。大衆は全て去勢馬に過ぎない。だから現在の苦労や明日の御飯の事
で頭がいつぱいで、彼等の頭は將來の事や子孫の事に感心が無くなつている(注十
五)。』
 
 

(注十五) この思考方法は非聖書的だが、人の心に訴える忘我の教義によつて大きな支
持を受けてきた。それはこの地球上に神の意思と法則を樹立する責任からの逃避を許
すものである。その忘我は騙されやすい「ゴイ」のために作られたユタヤの教義であ
る。