暴  か  れ  た  独  裁  政  治

 

 ハロルド・ローゼンタールがいつた事の多くは、私逹熟練研究家がずつと以前から
知つていた事実を表面化させた。しかし全てをひつくるめて考えてみると、この「猶
太人」の裏切り行爲の方がもつと衝撃的である。

 ハロルド・ローゼンタールは余計な事を喋り過ぎたため殺されたといわれてきた。
約七年前の彼の衝撃的な話が、その分今現実となつて現れている事から、もし殺人が
事実なら最もな事だ。例えば黒人に対する驚くべき搾取、それから今日至る所で見か
ける黒人の混血が挙げられる。私逹はユタヤ人の教会支配をローゼンタールのほら話と
思い、過小評価していた。その時はとても信じられずにいて。一九八三年秋の現時点
で『最高裁承認でIRSは州教会を認可した』事が現実になつている。

 ローゼンタールが教会支配について話していた時、彼のほら話かと思つていたが、
ここ米国での教会と牧師に対する今日の政府の迫害は今、現実となつている。ネブラ
スカ州オマハのエバレット・シレヴァン牧師が、ルイビル(訳注、ケンタッキー州北
部の都市)の信仰バプテスト教会で日課の教育奉仕を再開する予定だという理由で、
深夜の暗闇の中、一人の保安官と副官三人が待ち伏せして彼一人を逮捕すると聞いた
なら、あなたは六年前ならその事を信じなかつただろう。しかしながら今ではそれは
米国史上最も信じ難い話の竒怪な出來事の一つである。ユタヤ人組織は斷固としてい
る。そして「課税と規制によるキリスト教に対する最後の圧制は、今や事実である」 。

 敵は外国から來るのではない。敵はここ米国に居る。キリスト教徒に対して、教
会に対して、信教の自由に対して、真の米国の進むべき道に対して、そして白人に対
して宣戰布告が成された。私逹の自由はそのために立ち上がり、そのために生き、そ
のために戰い、そのために死ぬ価値があるのか? もしそうなら立ち上がろう。そう
すれば見えて來る。思い切つていおう。そうすれば聞こえて來る。自由のために戰う
時は、戰う自由がある時だ。キリスト教徒は地の塩(訳注、腐敗を防止し、清める物)、
世の光となるべきだ。塩と光は支配権の特質だ。キリスト教徒が神の支配権を行使す
る時だ。政府の権限で国民が破滅に追いやられているのなら、反対は権利だけでな
く、国民一人一人の義務だ。

 コンコード(訳注、マサチューセッツ州東部の都市、叉はニュウハンプシャー州の
州都)に私逹を立たせる熱い血は、今も私逹の体を脈打つている! ユタヤ人の圧制に
対し米国民を守るため、真の米国民を必要としている。自由を愛する血気盛んな何百
万人もの米国民がコンコードの外で呼ばれるのを待つている。だから団結し、これら
の異国の悪魔逹がかつての偉大な国を支配するのを拒否しよう。

 米国民がタブー視されて口に出來ないユタヤ人の犯してきた事を本当に気づき理解す
るなら、怒りは留まる所を知らず、下水は血で染まるだろう。(了)