宗  教  支  配

                                               
 この激しくも率直なインタビュウで数時間が経つと、ローゼンタールは宗教に関する
自分の考えを明らかにした。

 『宗教も叉教え込まねばならない。この必要性故、我々は苦労してきた(注十七)。
 我々は教科書出版社とマスコミ支配を通じて、我々を宗教の権威のように維持してく
る事が出來た。現在、我々のラビ(ユタヤ教の律法の教師)逹の多くはキリスト教神学と思わ
れている講議の教授職に就いている。我々の教えを受け入れ、それを自分逹
の物として宣伝しているキリスト教徒の愚かさに我々は驚かされる(注十
八)。ユタヤ主義はユタヤ教会の教えだけでなく、米国の全キリスト教会の教義でもある。教会
は我々の宣伝機関を通じて我々の最も熱心な支持者になつた。これは我々に社会で特別
な地位を与えてきた。彼等は我々が「選民」で、自分逹が異教徒である
という嘘を信じるようになつた。』

 『これらの教会の騙された子供逹は自分逹の文化を破壞するという点で我々の側に立
つている(注十八)。この事実は歴史を遡り、全ての戰爭が我々の支配を維持するため
の白人と白人の戰いであつた事を振り返れば、馬鹿でも明らかだ。我々は独立戰爭中、
英国を支配し、市民戰爭中、北部を、そして第一次、第二次世界大戰中に米英を支配し
た。宗教の影響を通じて我々は無智な白人キリスト教徒同士を卷き込んで、互
いに戰わせる事が出來た。そうやつていつも兩方を互いに傷つけさせ、その間
に我々は経済的、政治的利益を得てきた。我々の事を暴する真実が出る時は、いつも
我々はただ自分逹の勢力、つまり無智なキリスト教徒逹をあおるだけだ。彼等はたとえ身内
の者であつても、反対派逹を攻撃する。(注二十)』

 『宗教を通じて我々は社会、政府、そして経済の完全支配を得てきた。予め聖職者か
ら教えられてきた価値觀がなければ、如何なる法も通らない。この一例は最終的に
混血化に導いた人種の平等性と統合だ。騙されやすい牧師逹は、一方で教区
民に自分逹は特別な選民であると教え、叉もう一方では全ての人種は同じであると主張
している。それらの矛盾は決して見破られない。だから我々ユタヤ人は他のあらゆる民族
が互いの平等性を弱めている一方、社会で特別な地位を樂しんでいる。これによつて全
民族を低い地位に下げ、我々が平等を掲げる者に権力を与えたのは、この理
由による。』
 
 
 

                                               
               人種平等、或いは異人種間結婚を奬励させる、その広告の
              ような帶びただしい数の映画は、ほとんどいつもユタヤ人の製作、
              監督、脚本、若しくは資金提供である。

                                               
                                               
                                               
 『それ故、我々の今の経済的慣行はキリスト教徒に慈善的であると教えられてきた。だが
同じ説教を繰り返すこれらのおうむ逹は自分逹の聖書があらゆる高利貸しを非難してい
る事も理解していない。彼等は教会設立のために金を貸す我々の善意を賞讚し、法外に
高い我々の利息を払いたがつている。彼等は同じ慣行を通じて社会を我々の支配に導い
てきた。彼等は政治では民主主義の恩惠を歡迎するが、我々が民主主義を通じて
彼等の国家を支配してきた事には全く気付かない。彼等の書(注二十一)はそ
の中の律法に従って、政府の慈善的独裁形態を繰り返し説いているが、民主主義は教
会、報道機関、経済機関を通じて我々が支配する愚民の規則だ。彼等の宗教は我々
の宣伝機関の力をどこかに向けさせるだけの手段でしかない。これらの宗教操り人形が
馬鹿なのは、臆病過ぎて簡単に操られるからだ。』
 
 

 (注十七) ユタヤ人、カール・マルクスが述べているように『宗教は人民の阿片である』
 。

(注十八) これはユタヤ人が白人国家に対して逹成してきた権力と支配の大きな理由の一つ
である。つまり、ユタヤ主義の採用。ヘンリー・フォードが述べているように『キリスト教徒
はユタヤ人の眼鏡を通してしか聖書を読む事が出來ない。それ故、聖書を誤読している』
(「国際的ユタヤ人」四卷、二三八頁目)。その結果、キリスト教徒はある事柄に対し神の言
葉を持たず、ユタヤ人の言葉を持つている。

(注十九) ユタヤ人はキリスト教文化の破壞やユタヤ化に自らの手を汚す必要はない。多くの場
合、改宗者や「異教徒の看板」にそれをやらせるからである。

(注二十) ユタヤ問題の真相究明の第一線に立つてきた人は誰でもローゼンタールに述べら
れたこの事実を証言できる。

(注二十一) ローゼンタールはいつも聖書の事を彼等の本と呼んでいることに注意。つま
り白人だけを指していて、決して私逹の書であるとか、ユタヤ人の書であるとはいつてい
ない。