『プロトコ‐ル』に明記された世界戦争桃発の陰謀

『プロトコール』第七節は、ゴイム征服の手投としての戦争について、明記している。「軍備を拡張し、警察力を充実することは、前にも述べた諸計画を実行するに必要なことである。各国には我々自身のほかには多数の無産者と我々ユダヤに忠実な著干の百万長者と兵卒と巡査と犬がいるようにしなけれぱならぬ。欧州全土に、また欧州から分かれた他の大陸にも、騒乱、軋轢、相互の排斥を起こさなければならぬ。我々に反抗する国があれば、その隣りの国から戦争を仕掛けさせ、その反抗を挫折させる。もしその隣国もまた一緒になって我々に抵抗することになれば、世界戦争を起こして彼らに応えなければならぬ」この『プロトコール』がつくられたのは一八九○年代なかぱのことだが、このときから二十年後に、ョーロッパで戦争が起きた。
 

非ユダヤ人は、この戦争の必然性が少しも埋解できなかったし、また、あれぼど凄惨な長期の大殺戮になるとは、誰一人、予想しなかった。ユダヤの陰謀の内幕を知らない各国の職業軍人た

ちは、この戦争はせいぜい一年で終わるとみていた。第一次大戦の原因は、英独の植民地争奪戦とか、ゲルマンの東進とスラプの南進の衝突とか、一八七○年の独仏戦争の延長戦とかいわれるが、これらは決して、あれほどの大戦には結ぴつかない。各国、各民族間の利害の衝突を一挙に統合し、あれだけの大戦争に組み立てたのは、ユダヤ地下政府である。ユダヤの側からすれぱ、この戦争の目的はユダヤ人が虐待されているロシア(ボーランドを含む)、ドイツ、オーストリア三国(およぴ東欧全域)の政治状態の変革、すなわちユダヤによるそれらの国の権力の掌握であり、ユダヤ世界帝国の根拠地、イスラエルの建国である。第一次大戦の契機は、一九一四年六月二八日、オ−ストリアの皇大子が、ボスニア(セルビア)の、ユダヤ色濃厚な首都サライェヴオで暗殺された事件であるが、この暗殺は、フリーメーソンによって企画され、実行された。
 

この暗殺は、一九一二年五月二十四日に、フランス・フリーメーソンの指導部が決定(オーストリア皇大子に死刑宣告)している。その背後に、国際ユダヤの意志が働いていることは疑う余地がない。オーストリアがセルビアと戦闘状態に入るや、ロシアはセルビア側に立ち、ドイツはオーストリア側に参戦、フランスはロシアを助け、英国もフランスとともに参戦、ユダヤの描いたシナリオどおり、大戦に突入してゆく。