No.5 

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権利は力の中に横たわっている。自由「「単なる思想。リベラリズム。金。
  信仰。自治。資本の独裁。内部の敵。群集。アナーキー。政治対道徳。
  強者の権利。ユダヤ/メーソンの無敵の権威。結果は手段を正当化する。
    群集は盲人である。政治のABC。政党の不和。独裁支配の最も理想的
    な形態。アルコール。因習陋習。腐敗。ユダヤ/メーソン政府の原理と
    原則。テロル。「自由・平等・友愛」。王朝支配の原則。ゴイム(非ユ
    ダヤ人)貴族の特権の壊滅。新貴族。心理学的計算。「自由」の抽象性。
    人民代表交替の効果。

 ……美辞麗句はさておいて、ひとつひとつの思想の意味を語ろうと思う。われわれ
を取り囲むもろもろの事実に比較と推論の光をあてようと思う。
 ここに私が提案したいのは、二つの視点、われわれ自身の視点とゴイム(すなわち
非ユダヤ人)の視点から見たわれわれの体系である。

 悪い本能をもった人間の数は、善い人間の数をはるかにしのぐ。私は指摘しなけれ
ばならない。かれらを統治するには、学者ふぜいの論議によってではなく、暴力とテ
ロリズムによって達成することが、最良の方法である、と。どんな人間も権力をめざ
し、誰も彼もができることなら独裁者になりたがる。わが身の利益を手中にすること
を抑えて、万人の利益のためにわが身を犠牲にしようという者は、めったにいるもの
ではない。

 人間という名の猛獣を抑えてきたのは何であったか。今までかれらを牽引してきた
ものは何であったか。
 社会の仕組みが始まった頃には、かれらは残忍で盲目的な力に服した。後には、法
律に服した。法律も同じく力であり、仮面をつけた暴力に過ぎない。私は、自然法則
に従って、権利は力の中に横たわっていると結論する。
 政治的自由は単なる思想であっていささかも事実ではない。が、政権をもっている
党派を粉砕すべく、この思想を餌として人民大衆を自陣に引きつける必要があれば、
その撒き方や使い方を知っていなければならない。その際、相手方が自由思想、いわ
ゆるリベラリズムに感染していれば、そして、思想のためになら喜んで全力を投げう
つつもりあるならば、仕事はさらにやりやすくなる。

この場合には、われわれの所説
が勝利することは目に見えている。支配の手づながゆるめられると直ちに、新しい手
に手づなが執られるのは、自然法則のおもむくところである。国家は盲目な力であっ
て一日たりとも指導者なしにはすまされず、新しい権力者は単にすでにリベラリズム
によって弱められた前任者の地位に座るだけだからである。
 われわれの時代には、リベラルであった支配者の位置にとって代るのは金力である。
かつては信仰が支配した時代があった。自由思想は誰ひとりとしてほどよい使い方を
知らない。ゆえに、実現不可能である。人民を無秩序な群集に一変させるには、かれ
らに一定期間自治を与えるだけで十分である。与えた瞬間から、共食い闘争が勃発し
階級間戦争に発展し、その真っただ中で国家は焔に包まれて炎上し、かれらの権威は
一山の灰燼に帰するであろう。

 国家が内乱によって消耗するか、内部不一致のために外敵の手中に落ちるかでは「
「どのみち、その国は回復できず滅亡するほかはない。その時こそ、われらの出番で
ある。完全にわれわれの手中にある資本の専制力が、その国に救いの藁を差しのべる
と、否応なくかれらはそれに縋りつかなければならない。拒めば「「底に沈むのであ
る。

 リベラルな考えをもっている人が、上述のような考えを不道徳であると言うならば、
私は次の問いを投げ返したい「「どの国も両面の敵をもっているとする。外敵にはあ
らゆる策略を用い、たとえば敵には攻撃防御計画を伏せておき、夜間奇襲あるいは圧
倒的優勢な戦力で撃破しても不道徳ではないとされるならば、さらに悪質な敵、社会
と福利の破壊者に対して同じ方法を用いることが、いかなる理由で不道徳かつ許しが
たいと呼ばれなければならないのか?

 愚にもつかぬものではあっても反対とか批判とかはありうるし、うわべのことにし
か理性の力が働かない人民は、反対ということを喜ぶものである。かかる場合に、健
全で論理的な精神が、道理の通った助言や議論の助けをかりてうまく大衆を導く希望
をもてるのだろうか? もっぱらあさはかな情熱、つまらない信念、習慣、伝統、感
傷的な理論だけに囚われている間違いだらけの人々は党派根性にとらわれる。そうな
ると、完全に理の通った議論を基にしたどんな合意をも妨げる。

群衆の解決というの
はどれも偶然の結果か、表向きの多数決によるものであり、政治の裏を知らずに管理
の中にアナーキーの種子を蒔くという奇妙な解決を出航させる。
 政治は、道徳とは全く関係がない。道徳で統治する支配者は練達の政治家ではない
から、彼の王座は動揺する。支配したいと思う者は「「われわれが所有する新聞に感
謝する「「気付かれぬように欺瞞と偽善との双方を用いなければならない。率直とか
正直とかのような、偉大な国民資質と称されるものは、政治にとっては悪徳である。
それらは支配者を王座から転がり落とすのに効果あるもの、最も強力な敵よりも確実
な破壊力をもつものなのである。そのような資質は、ゴイムの王国の属性でなければ
ならないが、われわれは決してかれらの轍を踏んではならない。
 

 われわれの権利は力の中に横たわる。権利≠ネる言葉は抽象的な思考であって、
なんら具体性はない。その言葉は次のことを意味するに過ぎない「「わが欲するもの
を我に与えよ。我が汝らよりも強きことを証せんがために。
 権利はどこから始まるか? どこで権利は終るか?
 権威の仕組が薄弱で法律が空疎であり、リベラリズムの乱用により権利を乱発し支
配者たちが脆弱となった国家ならどんな国でも、私は新たなる権利を行使できる「「
強者の権利によって打撃を与え、既存の秩序と法規の一切を粉砕し、すべての機構を
再構築し、リベラリズムの中で放棄されてわれわれに残されたかれらの権威ある権利
を継ぐ王者となる。

 すべての形態の権力が動揺している現在、われわれの権力は、他のいかなる権力に
もまして目に見えないであろう。いかなる狡猾な者もくつがえせない強さに到達する
瞬間まで、われわれの権力は表面には現われないからである。われわれが目下用いざ
るをえない一時的な悪から、確固たる支配という善が顕現する。この善は、自由思想
によって形無しにされた国民生活の仕組を平常の状態に修復するだろう。結果は手段
を正当化する。しかしながら、われわれの計画においては、必要と有効なこと以上に
は、善とか道徳とかにはこだわらないことに留意しようではないか。

 われわれの前には戦略的に敷かれた計画がある。数世紀にわたるわれわれの辛苦の
労働が無に帰する危険を顧みるならば、この路線から逸脱することは許されない。
 満足すべき行動を練りあげるためには、群集の狡猾さ、だらしなさ、情緒不安定、
かれらの理解力の欠如を考慮に入れ、かれら自身の生活状況、あるいはかれら自身の
福利を顧慮する必要がある。群集の力は、盲目的であり、愚かしく、何かからの暗示
にかけられるがままに動き、道理をわきまえないということを理解しなければならな
い。盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむのは必然である。群集の何人かが天才的な賢
者であったとしても成上がり者であり、政治を理解することはできず、指導者として
前を進めば全国民を滅亡の淵に落としこむのは必然である。

  幼児時代から特別の方式によって訓練された者だけが、政治の基本を成り立たせて
いるABCを理解することができるのである。

 人民が人民に任せれば、すなわち人民の中から出た成上り者に任せれば、権力と名
誉を追うあまり党派間の軋轢とそこから生ずる無秩序状態に自滅するのが関の山であ
る。人民群集がおだやかに、つまらぬ嫉妬を交えた非難を言いたてずに、個々人の関
心をごちゃまぜにしている国の諸問題を処理することが可能だろうか? 外敵に対し
て自分自身を守ることが可能だろうか? それは考えられない。群集の頭数と同じだ
けバラバラになった計画が、一切の同質性を失って理解を絶し、実行不能となるから
である。

 全体を適切に国家のいくつかの部分に割り当てるといったふうに、大規模かつ明確
な諸計画を念入りに練れるのは独裁支配者だけである。このことから、どんな国でも
申し分ない統治形態は、一人の責任ある人間の手に全機能を集中したものであるとい
う明白な結論が得られる。絶対的な独裁なしには、その人が誰であろうとも、群集に
よってではなくかれらを指導することによって遂行される文明の存在はありえない。
群集は野蛮人であり、ことごとくの機会にその野蛮さを発揮する。群集は自由を手に
したとたんにいち早くアナーキーに転ずる。アナーキーそれ自体は野蛮の最高の段階
である。

 飲酒で馬鹿になりアルコール漬けになった動物どもを見よ。自由がかれらに節度な
き飲酒の権利をもたらしたのである。それはわれわれやわれわれ一族の歩む道ではな
い。ゴイム々はアルコール飲料に酔いしれ、かれらの若者たちは因習陋習とごく若い
うちから性的堕落に痴呆状態となって成長する。その性的堕落は、われわれの特別な
代理人「「富豪の邸宅の家庭教師、下男、女性家庭教師によって、書記その他によっ
て、しばしばゴイムの娯楽場にいるわれらの女性たちによって手ほどきされた。かれ
ら代理人の最後に、私は、頽廃と奢侈に他の者たちを引き込む尖兵である、いわゆる
「社交界の貴婦人たち」も入れておく。

 われわれの合い言葉は「「力と偽善である。特に力が、政治家に本質的に必要な才
能の中に隠されているならば、力のみが政治的諸問題を克服する。暴力は原則でなけ
ればならず、新権力の代理人の足もとに王冠を置こうとしない政府に対しては欺瞞と
偽善が鉄則でなければならない。この悪は終局である善に達するための手段にすぎな
い。それゆえに、われわれは、目的達成のために役立つときは、贈収賄、詐欺、裏切
りをためらってはならない。政治の上では、支配権を握って屈伏させるためならば、
躊躇なく他人の財産を奪い取る方法を知っていなければならない。

 平和的な征服の道を進んでいるわれわれの国家は、盲目的な服従を強いるために恐
怖を維持する必要から、目につかないけれども効果のある死刑宣告をもって戦争の恐
怖にとって代える権利をもっている。仮借ない厳しさだけが、国家の強さを見せつけ
る最大の力である。単に利益を得るためのみならずわれわれの義務としても、また、
勝利のためにも、われわれは暴力と偽善による計画を保持し続けなければならない。
報復主義は使われる手段と同じく、有無を言わさず強力である。それは手段そのもの
であるというよりも、われわれが勝利し、すべての政府をわれらの超政府にひざまづ
かせる厳格な教義なのである。われわれは容赦なく不服従というものを根絶すること
を、十二分に思い知らせる。

 はるか以前の時代にさかのぼれば、われわれは人民群集の中にあって「自由・平等・
友愛」という言葉を叫んだ最初の人間であった。以来、幾度となく愚かなオウムたち
が四方八方からこの餌に群がり集まり、世界の福利と、以前は群集の圧力に対してよ
く保護されていた個々人の真の自由を、この餌をもって破砕し去った。ゴイムのうち
の賢者になりたがり屋ども、知識人たちは、もともと中味のないこれらの言葉から何
も作りだすことができなかった。これらの言葉が意味するものと相互関係とを否定す
ることには考え及びもしなかった。どこをどう見ても平等はなく、自由などありえず、
自然そのものはその掟に従わせるように作られているのと全く同じく、気質、性格、
能力が不平等に作られていることを見なかった。群集が盲目であること、支配を頼む
ためにその中から選挙された成り上がり者は、政治に関しては群集と全く同じく盲人
であること、政治の奥義を授けられたる者は多少愚かであっても統治ができるが、反
面、大天才であったとしても奥義を授けられない者は政治に関しては無知蒙昧である
ことを、決して考えようとはしなかった「「これらのことを、ゴイムは一切顧みなか
った。しかも一貫して王朝支配が保たれたのは、これらの奥義に依ってきたからであ
る。

王室以外の者や統治される者には誰にも知らされない政治統治の奥義は、父から
子へ一子相伝で伝えられたのである。時代が過ぎ、政治の要諦を一子相伝する意義が
失われた。これこそ、われわれの主義を成功に導く絶好の機会であった。
 地球のいたる所で、われらの盲目の代理人たちのおかげで、「自由・平等・友愛」
という言葉が、われらの旗を熱狂的にかざす大群を、われわれの隊列に引き入れてく
れた。これらの言葉はまた常に、ゴイムの福利に穴をあけ、いたる所で平和、安寧、
協同に終止符を打ち、ゴイムの国家の基礎を破壊する生きたエダシャクトリ[果樹の
害虫]であった。

後に述べるように、このことがわれわれの勝利を助けた。とりわけ、
われわれが切札を手中にする可能性をもたらした「「特権の破壊、言い換えればゴイ
ムの貴族支配の存在そのものの破壊である。唯一、人民と国とを守るこの階級は、わ
れわれに敵対したのである。ゴイムの血統的な、系図上の貴族階級を滅亡させた所に、
われわれは、金力の貴族が主導する、われらの教育を受けた階級を貴族として樹立し
た。われわれはこの貴族政治の特徴を、われわれ自身のものである富と、われらが学
識ある長老たちが備蓄した知識とによって確立した。

 われわれの勝利をいっそう容易ならしめた事実がある。好ましい人物たちとの関係
を保つことによって、われわれは常に人間の心の琴線に触れ、金銭欲に、貪欲に、人
間のあくことをを知らない物質的欲望に働きかけた。言うまでもなく、これら人間の
弱点のひとつひとつには、独創性を麻痺させる効果がある。この弱点のゆえに、かれ
らの行為に金を出してくれる人間に、自分の意志の最終決定をゆだねるのである。
 自由という言葉の抽象性のゆえに、われわれはすべての国の群集に、かれらの政府
は国の所有者である人民のための豚小屋の番人に過ぎないのだ、番人は破れた手袋の
ように取り替えていいものなのだと説きつけることができた。

 人民の代表は取り替えられるものなのだ、ということは、われわれが自由に利用で
きるということであり、言うなれば、任命権をわれわれに預けたことになるのである。 プロ