プロトコール No.3

 

 

「汎神論者たちのこの一派が、やがてユダヤ民族に直接的な影響力を振うこととな
った。加えるに、かれらの教義ほど民族感情を害するものは現われたことがなかっ
た。しかしながら、カルデアの汎神論に押し流されたかも知れぬパリサイ派は、人
種の誇りを無傷のまま保っていた。かれらはバビロンで吸収した、人間に神性を与
えたこの宗教を、もっぱら他よりも優越して神に運命を授けられたユダヤ人に利益
をもたらすものと考えた。伝統的なユダヤ人が律法の中に見ていた全世界の支配と
いう約束を、パリサイ派は民族に対するモーゼの神の領域という意味には解釈しな
かった。来たるべきメシヤは原罪を購う者などではなく、世界を導く精神的な勝利
者、戦いで血ぬられた現世の王であった。

その王がイスラエルを世界のあるじに
し、全人民を戦車の車輪の下に引きずり込む≠フである。パリサイ派は全世界の
国々が謎めいたエホバの奴隷になることは[表立っては]要求せず、世間一般に譲
歩して人々に信仰させ続けた。というのは、何世代にも続くイスラエルの忍耐力と
人間的な手段とを使って、行く行くは自分たちの計画が達成することを期待してい
たのである。「このような信念は古代の律法とはいちじるしく異なるものである
が、かれらは何ごとも気付かれぬように、このなじめない思想を一滴一滴フィル
ターを通してユダヤ人に浸透させてきたのである。

「パリサイ派が編み出した仕組
は、やがて実を結ばないはずはなかった。「イエス・キリスト以前のユダヤ社会で
は、このようなことは片鱗を見付け出すこともできない」と、フラビアン・ブレネ
は言う。「現代社会でこれに類するものはフリーメーソンぐらいなものである」。
「注意深く制限された結束固いメンバーに秘密≠フ教義が注ぎ込まれ、パリサイ
派は二つの目的を容赦なく追求した。すなわち「「

 一、政治的に重要な公職(再編成されたユダヤ民族にとってはすさまじい影響力
があった)に就くことによって政治権力を掌握し、サンヘドリン(ユダヤ人の議
会)を征服する。
 二、かれらの極秘の教義に沿うように人民を次第次第に教化する」。
 これらのうち第一の目的は、ダビデの末裔と自称するバビロンのパリサイ派ヒル
レルが、サンヘドリンの会頭に選ばれた時に達成された。このことはパリサイ派対
サドカイ派の抗争にきびしい結着を付けた。ヒルレルに対抗したのはサドカイ人で
議会の主席裁判官だったサドカイ派の高位聖職者を支持していたシャンマイだっ
た。

二人がお互いをどう見ていたかは、タルムードにえんえんと記録がある。
 パリサイ派で最も有名な人物には、ヒルレルのほかには「「ヤムナイ学校の創立
者ヨハン・べン・ザッカイ、バル・コフバとともにユダヤ人離散の命令を覆させた
反乱、ハドリアヌス皇帝治下でローマ人に対して蜂起(紀元一三二年)を組織した
アキバがいる。また、シモン・ベン・ヨハイは、魔術師またカバラの父として、ま
た、後にはバビロニア・タルムードを編纂したユダ王子として挙げられよう。これ
ら先達の下に、パリサイ派勢力はサンヘドリンの支配権を確立するに至った。サド
カイ派の伝統に固執したユダヤ人の中には、パリサイ派の専制を拒んだ反体制者が
いた。それがタルムードを拒絶したサマリア人とカライーム派ユダヤ人である。
 第二の目的とその達成方法が、『イスラエルの秘密の教義』の末裔たちが声高に
非難する、いわゆる『シオン長老のプロトコール』に露呈されている。ここで言う
イスラエルとは、宗教的共同体としてのユダヤを意味するのだが、ユダヤ人の多く
は複雑で破壊的な計画のことはまるで知らないままに置かれている。
 パリサイ派に対するイエス・キリス
トの態度は、新約聖書に明確に示されている
 

(ルカ伝十一章、ヨハネ伝八章)。
 二〇世紀にも行われているユダヤ人の宗教、表向きのユダヤ教は、旧約聖書と、
それと同じく何世代にもわたる口承の記録、前に述べたよく知られている総称タル
ムードという古代の解説書を根本教典にしている。この書物全巻は、一三〇六年、
フランス国王の公正王フィリップ五世の命令で焚書にあったが、全滅から逃れた書
冊があった。
 ユダヤの神は、全人類の父でも理想の愛や正義や哀れみでもなく、キリスト教徒
の神でも[ゾロアスター教の]アフラマスダでも[ヒンドゥー教の]ブラフマンに
類するものでもないことは明らかである。全く逆に、この神は彼の民に対してのみ
正義であり慈悲深いが、その他すべての民の人間の権利を否定し、イスラエルこそ
が富者にふさわしく支配に値し、その他の民は奴隷になれと命じる仇敵であり、曾
孫や玄孫の代にいたるまで復讐する神である。

 そのことを物語る文書を以下に引用しよう「「「主はあなたの意のままにあしら
わせ、あなたがかれらを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼ら
と協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない」(申命記、七章二)。「あ
なたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべて
の民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた」(申命記、七章六)
 タルムードはこの点について次のように述べている。「なんじらは人類である
が、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である」(ババ・メチア、一四六の
六)。「ゴイ(非ユダヤ人)の家には、一群の家畜が住んでいる」(トセフタ、エ
ルビン、八章)。

 タルムード(過越祭の夕の祈りで現在も唱えられているもの)から、「神よ、あ
なたを信ずることなく、その御名を称えざる民どもの上に、あなたの怒りを注がし
め給わんことを。かかる民どもの上にあなたの怒りを下らしめ、あなたの怒りもて
屈伏せしめ給え。かの民どもをあなたの怒りもて追い散らし、粉々に打ち砕き給
え。おお神よ、かの民どもの骨をすべて抜き取り給え。あなたの民に敵対するもの
すべてを瞬時に殺傷し給え。これら存在の価値なき民どもを根絶、四散、殱滅し給
え。誅殺し給え! 今ただちに誅殺し給え!」(プラナイティス、クリスマス・イ
ン・タルムード・ジュデオラム、『シナゴーガ・ジュダイカ』二一二頁、『ミンハ
ギン』二三頁、『クラチ・シャイム』四八〇頁)。「ゴイが住んでいる家を見て、
人はこう言った。神は傲慢の家を亡ぼすだろう=Bそして家々が亡ぼされたのを
見て人は言った。復讐の神が顕現されたのだ=v(バビロニアン・タルムード、
ベラチョット、五八の六)。「トーラーを持たざる者と予言する者とを、すべて殺
さなければならない。かれらを殺す力ある者は、剣あれば憚ることなく剣もて殺
せ。剣なければ策略もて放逐せよ」(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパ
ット、四二五の五〇)。

 ユダヤの似非賢人たちは、いにしえの律法に対するキリストの解釈では、異国の
民に対する憎悪に代わって神の前ではすべての人間が平等であり兄弟の想いを抱く
ことが説かれ、その教えによればユダヤが世界の主人になるという特権的な地位が
否定されることに気が付いた。

 同時に、キリストが刷新した旧約聖書の素朴だが確固とした道徳観念は、生存闘
争の場では自分の都合次第でころころ変える、破廉恥なユダヤの二重道徳を放逐し
た。キリスト教信仰に対するユダヤの憎悪は、次に引用するタルムードの文言に顕
著に語られている「「「ゴイの土地は荒野のごとし。最初に鍬を入れた者に所有権
が帰する」(ババ・バトラ、一四のb)。「ゴイの財産は主なき物品のごとし」
(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、一一六の五)。「ユダヤ人が
ゴイの土地に鍬を入れれば、その土地全部の所有者となったのである」(ババ・バ
トラ、五五のa)。
 キリスト教徒もひとしく認めていた旧約の権威を高めんがために、それと平行し
てタルムードとラビの権威を増大させるために、タルムードの解釈と筆者たちは、
次のように述べた「「「律法(聖書)は多少とも重要ではあるが、長老方が聖典に
記された言葉は常に重要である」「ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよ
りも、さらに悪い」(ミズナ、サンヘドリン、十の三)。「ラビの言葉を変える者
は死罪に処すべきである」(エルビン、二一のb)。「タルムードの決定は、生け
る神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは、現世のラビに意見を聞き
給う」(ラビ・メナヘン、第五書の注解)。「エホバは天国にあって刻苦勉励して
タルムードを学び給う。それほどこの書物に敬意を払われているのである」(メチ
ラ訳)。

 宗教的ドグマの威厳を増すために、次の教義が授けられる「「「ユダヤの民は神
に選ばれたる唯一の民にして、爾余の民は軽蔑に値する不快な民であること」「他
の民の資産はなべてユダヤの民に属し、必然的にいかなる良心の咎めもなく占有す
る権利があること」「正しきユダヤの民は他の民の人々に与えられた道徳原理にも
拘束されぬこと、一方では正しきユダヤの民は、あたかも自分自身やユダヤ人自身
の利益になるかのように、道徳に反対すること」「ユダヤ人はゴイ(ゴイとは不潔
を意味し、非ユダヤ人に対する蔑称である)から奪ってよい。ユダヤ人はゴイから
金を騙しとってよい。ゴイは金を持つべきではなく、持てば神の名において不名誉
となるだろう」(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、三四八)。
「ノアの息子は小銭たりとも盗めば死罪に処せらるべきであるが、イスラエル人が
ゴイに損害を負わせることは差支えなし。

なんじの隣人を傷つけるなかれとは書い
てあるが、ゴイを傷つけるなかれとは書かれていない」(ミズナ、サンヘドリン、
五七)。「ゴイの失せ物を見付けた者は自分の所有にしてはならないが、[ユダヤ
人が]ゴイに返すことは禁じられている」(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハ
ミズパット、二六六の一)。「ゴイに向って誓いを立てた者は、盗賊であれ税吏で
あれ、責任を取らなくてよい」(トセフタ・スゼブノット、一一)。「結婚、誓
約、約束を取り消すには、ユダヤ人はラビの所に行かねばならぬが、ラビが不在の
場合は、他のユダヤ人を三人呼び集め、かれらに残念ながら取り消すと言えばよ
い。そうすると三人はなんじは許された≠ニ言う」(シュルハン・アルーフ、
二、一の二四七)。

 ありとあらゆる種類の誓いごとをあらかじめ御破算にし無罪放免とするように願
う、最後の審判のコル・ニドルの祈りというのがある。「神にかけし誓い、人にか
けし誓い、物にかけし誓い、和解のその日よりかけし誓いのくさぐさを、われら果
たすつもりでおりましたが、もはやその時は尽きたので、ここにお願い申し上げま
す。くさぐさの誓いをいっさい取り消し、取るに足らざるものとなし給わんこと
を。われらの誓約はいっさい誓約に非ず、われらの宣誓はいっさい宣誓に非らざら
んことを」(シュルハン・アルーフ、編Tの一三六)。

「もしも律法の法廷で、ユ
ダヤ人に対する証言をゴイに求められたユダヤ人は、明白に証言可能だとしても、
それを行うことは禁じらる。だが、類似の事例で、ゴイに対する証言を求められた
る場合は、進んで行ってよい」(シュルハン・アルーフ「「Ch.Ha.、三三
八)「何者かが三度ユダヤ人を裏切るか、もしくは[ユダヤ人の]金をゴイどもに
渡したことが疑いない場合は、賢人会議はその男を放逐しなければならない」「裏
切り者を放逐せんがために、何人も共同体に寄付をしなければならない」(前掲
書)。「その場所を問わずユダヤ人を非難した者は殺してよろしい……その人物が
非難しないうちに殺してよろしい……しかしその人物に非難するな≠ニ警告する
必要はある。にもかかわらずその人物が非難してやる≠ニ言った場合は殺さなけ
ればならず、真先に殺した者には大きな手柄が与えられるだろう」(前掲書、三八
八の一〇)。「盗賊≠ニいう言葉の解釈。ゴイは、ゴイからであろうとユダヤ人
からであろうと、盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。

だが彼(ユダ
ヤ人)はゴイに禁じられているこれらのすべてのことを為しても禁じられない」
(トセフタ、アボダ・ザラ、[の五)。「ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場
合は責めを負わねばならぬが、ユダヤ人がゴイを殺すも責めは負わず」(前掲書、
[の五)。

 この戦慄すべき道徳律を発布し、あらゆる種類の犯罪を無罪としたタルムードの
筆者たちは、かれらの民に対する異邦人との闘争を容易にするために、その内容を
極秘にする必要を感じ、次のような掟を設けた。「ゴイにわれらの信教を教える者
は、ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれらの教説を知ったならば、かれら
は公然とわれらを殺すだろう」(リブル・デヴィッドの書、三七)。「律法の秘密
を公にすることは禁ぜられる。これを破る者は全世界を葬るに等しい犯罪である」
(ジャクトゥ・ハダズ、一七一の二)。

こういう意図をもった掟や戒律が、信仰ド
グマの権威を高めた。このような禁制に直面しては、タルムードの秘密が他の
国々、とりわけ西欧にほとんど知られることがなかったのは驚くには当たらない
し、今日に至るまで、最も進歩的で市民的なユダヤ人でさえも、タルムードの原理
を公開することは最も無法で許しがたく、ユダヤ人の宗教に対する攻撃だと考えて
いる。

 ユダヤ民族と他の民族とを分かち、二つを混ぜ合わせないようにし、他国民の特
徴を失わせるために、日々の生活を律する儀式と規則といったおびただしい規範、
偏見と迷信、野蛮時代の遺物、そして難解さが、タルムードに結集され、教典とし
て崇められた。東方のユダヤ人が今日まで遵守しているその教典は、文化や衛生に
ついての最も素朴な観念までを軽蔑する。

たとえば、次のように申し渡す。「ユダ
ヤ人がラビの書物のどこかを説明してくれと頼まれたなら、ただただ嘘の説明をす
るべきであり、ほんとうのことを教えてこの指示を裏切る共犯者となってはならな
い。この律法を破る者は生かしておいてはならない」(リブル・デイヴィド、三
七)。「律法の秘密をあばくことは禁じられている」「ゴイがわれらの書物には何
かゴイを害することが書いてあるのではないかと聞いたら、偽りの誓いを立てなけ
ればならない。そして、そのようなことは誓って書いてないと言わなければならな
い」(ザーロット・ウザボット、ジュル・ダの書、一七)。「タルムードを学ぶゴ
イ、それを助けるユダヤ人はことごとく生かしておいてはならない」(サンヘドリ
ン、五九、ア・アボダ・ゾラ、八の六。ザギガ、一三)。「ゴイの耳は不潔であ
る。かれらの浴槽、住居、田園は不潔である」(トセフタ・ミクワト、vの一)。
「九歳と一日以上のゴイの少年と、三歳と一日以上の少女は、不潔とみなされる」
(パーフォコヴィッツ、タルムード、t・v、一一頁)。

 これらの原理は、諸国の政府が司法や軍事の地位にユダヤ人を就けない理由の説
明になる。そしてまた、かの反ユダヤ主義≠ニして知られる神秘な現象の説明に
も「「。