No.20

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プロトコール 十六
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    大学の去勢。古典主義を取り替える。訓練と天職。学校における支配者
      の権威の宣伝。私学の廃止。新学説。思考力を殺ぐ。視覚教育。

 われわれ以外の結束力をすべて根絶するためには、集産主義の第一段階「「大学「
「を、新しい方向で再教育して去勢するのである。職員や教授連を精密な秘密教育計
画に従って再訓練するが、断じてその一部分たりとも免除することはない。かれらの
任命には格段の注意を払い、一人の例外もなく政府が掌握して配置する。
 われわれは全教育課程から政治と同様に法律も排除する。政治法律に関しては、予
め許された者の中からさらに卓越した人物を選び、数十人という少数の人物にのみ教
える。大学はもはや、喜劇や悲劇を書くようなつもりで法案や計画をこね上げたり、
父親たちでさえも理解できなかった政策問題にかかずらわう青二才を世の中に送り出
してはならない。

 大多数の人間がもっている政治問題に関する頓珍漢な知識が、ユートピアを夢見る
人間や不良市民を作るのである。諸氏は実際の大学教育がゴイムをこの方向に導いて
きた実例をよく御存知であろう。われわれはかれらの教育の中に、完膚なきまでにか
れらの秩序を破壊する原理を持ち込まなければならなかった。しかしながら、われわ
れが権力を掌握した時には、秩序破壊の種になるようなものはことごとく教育課程か
ら駆逐し、青年を権威に従順な子供にし、平和安寧の希望として統治者を頼みの柱と
するように育成するのである。

 どんな形の歴史研究も皆そうであるが、範を過去に求める古典主義で行くと良い例
よりも悪い例の方が多いのであって、われわれはそれに代えるに未来研究をもってす
る。われわれは、われわれにとって好ましくない過去何世紀かの人類の記憶を一切消
去し、ゴイム政府が犯した誤ちをことごとく叙述する。実際生活、秩序に対する義務、
人民相互間の関係、悪を伝染する利己的な実例、その他教育の本質に関わる類似の問
題の研究、これらが教育計画の最前線に置かれるだろう。その実施にあたっては職業
ごと、あるいは生活状態によって別々にし、教育は決して画一的に行ってはならない。
この処置は、特に重要である。

 社会各層の教育は、それぞれの階層の本質と実際の仕事に応じて厳格に制限を加え
なければならない。稀に天才的人物が出てうまくやって行くことがあったし、上の階
層に滑り込むことが常であるが、このような極めて稀にしか出ない天才のために、生
れや職業に特有であるべき階層に、その価値もない人間を入れてやるなどということ
は、愚行もはなはだしい。こんな目に余ることを許したゴイム社会はどうなったか、
諸氏はよく御存知のはずである。

 われわれは私学という私学をことごく廃止する。教育施設の中では、あたかもクラ
ブのように、親たちとの集まりを持つことは許す。休日には、そういう集まりに教師
が参加して、人間関係、見せしめの罰則、神の選民ではない者のいろいろな制約等々
の問題、とどめには、まだ世界で明らかにされていない新たな哲学原理について、課
外講義で読んで聞かせるだろう。その原理は、最終的にわれわれの信仰に従わせるた
めの移行期の教理として、われわれが提起するのである。現在ならびに将来の行動計
画を説明し終えたら、私は諸氏にその学説の原理をお話しする。

 一言にして言えば、何世紀にもわたる経験に鑑みて、人間は思想に生き思想に導か
れるものであり、思想というのは人間成長の各段階にふさわしい教育を初め、さまざ
まな手段によって人間に浸透するものであるから、思想の支配を受けない最後の火花
を、われわれが押収し呑込み、自分自身のものとして利用するであろう。この、思考
力を人間から切り離すということは、過去長い時間をかけて、われわれが導入してき
た極めて有益な手段である。思考力を抑制する手段はすでに、いわゆる実物教育[百
貨店は万国博におけるデモンストレーションを指す]という方法で実行されている。
この方法によりゴイムは、目に見えるものだけを頼りにして理解し、物を考えない従
順な動物にさせられている……フランスでは、われわれの最良の代理人であるブルジ
ョアジー諸氏が、すでに実物教育の新しい計画を実地に移している。