No.19

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プロトコール 十五
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    世界同時クーデター(革命)。処刑。ゴイム・メーソンの将来。権威の神秘
      性。メーソン・ロッジの増加。メーソン長老の中央支配機構。全秘密結
      社の指導者また指標としてのメーソン。拍手喝采の意味。集産主義。犠
      牲。メーソンの処刑。法と権威の威信失墜。選民としてのわれわれの地
      位。未来の王国における法の簡潔明晰さ。秩序への服従。権威乱用の人
      士。峻厳なる懲罰。裁判官の年齢制限。裁判官と権威者たちのリベラリ
      ズム。メーソンの絶対主義。控訴権。未来の支配者≠フ力は家父長的
      な外観≠提する。支配者の神格化。唯一の権利としての強者の権利。
      イスラエル王。全世界の父として。

 世界各地に同時にクーデターを勃発させ遂に決定的にわれらが王国に突入し、現存
する政府という政府が誰の目にも没落したことが明らかになった時(これが実際に起
こるには少からぬ時間、恐らくまるまる一世紀はかかるだろう)、われわれに対する
陰謀の類いは絶対に存在を許さないように監視する仕事がある。このためには、われ
われの王国到来に反対しいやしくも武器を執る(手にする)者は一人たりとも容赦な
く殺戮する。秘密結社に類するあらゆる種類の新団体結成もまた、死をもって処する。
われわれが認めている現存秘密結社は、役立つものも役立ったことのあるものも、一
率に解散させ、欧州から遥か離れた地方へ追放する。あまりにも事情をよく知り過ぎ
たゴイのメーソン員にも同断の処置を執る。

なんらかの理由でこの処置を執らなかっ
た者に対しても、追放の恐怖で脅迫しておく。われわれの支配の中心地である欧州か
らは、秘密結社員全員を追放に処する法律を作成し公布する。
 この決定は変更できず、これに対する控訴は許さない。
 ゴイの社会には、根深く対立抗争の種を植え込んでおいたので、秩序を回復するに
は権威の力を直接見せつけた容赦ない手段を執るよりほかはない。苦しむ者に一顧だ
に与えてはならない。未来の幸福のために苦しみを引き受けさせるのである。

いかな
る犠牲を払ってでも福利を達成することこそ、どんな政府でも自分たちの存続を忠実
に考え、特権維持ではなく職責完遂を顧みるならば、断じて遂行しなければならない
義務である。支配を揺ぎないものとする原則は、権力の後光を輝かせることにあり、
その後光というのは、その表に神秘的なもの「「神に選ばれた「「から来る不可侵性
を顕現する紋章を帯びるというような、不退転の威厳に満ちた力を発揮していること
が要諦である。近年までは世界中では、ローマ教皇を数に入れなければ、帝政ロシア
がわれわれの唯一の競敵であった。記憶に留めていただきたいのは、イタリアである。
流血にまみれたイタリアであるが、その血を注いだスッラに対しては、髪の毛一筋も
手を触れることができなかったのである。彼は人民を虐げていたにもかかわらず、大
胆不敵なイタリア帰還をやってのけ、不可侵性の網に囲まれ、人民の目には神と崇め
られたのである。人民は大胆勇敢な者には催眠術をかけられて、指一本触れないもの
なのである。
 しかしながら、われわれの王国を実現するまでの期間は、われわれは正反対のこと
を行う。フリーメーソン支部を世界各国にどしどし増設し、そこへ名士になりそうな
人物、現に名士である人物を引き入れる。それというのも、それら支部は重要な情報
集積所であり、情報を流す出口でもあるからである。メーソンの全支部は、われわれ
だけが承知していて他には絶対に誰も知らない中央管理機構の下に置く。その機構を
構成するのは、われらの学織ある長老たちである。支部には代表者がいるが、かれら
は上記のメーソンの真の管理機構を覆い隠すために置かれるものであり、標語や計画
は蔭の管理機構から発せられるのである。これらの支部に、革命的分子やリベラル分
子をすべて集めてしっかり結び合わせる。この中には社会の全階層が含まれるのであ
る。極秘の政治計画なるものもわれわれは熟知しているし、計画が立てられたその日
のうちにわれらの指導部の手に入手される。国際警察や各国警察の代理人はほとんど
これら支部に参加しているが、かれらは不法な者に対して特殊な措置を講じるのみな
らず、われわれの活動を隠蔽し、しかも不平不満を起こさせる口実を提供してくれる
ので、われわれにとってはかけがえのない存在である。
 秘密結社に喜んで入ってくるのは、世渡りがうまく出世第一主義で、一般人の中で
は軽薄に属する人物が多いので、かれらを御してわれわれが仕組んだことを片付けさ
せるのは、さして苦労のいることではない。その世界で何かゴタゴタめいた事が起こ
ったとすれば、あまりにも強固になった団結を破るべくわれわれが少々撹乱しなけれ
ばならなかった場合である。だが、計画遂行の中心には、これ以上信頼できる人物は
いないというわれらの下僕が先頭に立っている。われわれだけがメーソンの活動を指
導し、他の誰にも当らせないのは、極めて当然のことである。ゴイムに至っては無知
蒙昧であって、どこへ行くべきか、活動の一つ一つの最終目的は何であるかを知って
いるのは、われわれだけだからである。ゴイムは、通常、かれらの考えを実行する際
に、やたらと自分の説に固執し、自説の一時的満足にしか頭が回らない。しかも、そ
の自説たるや、われわれがかれらに吹き込んだものであって、本当に自分が考え出し
たものではないことに気が付きもしない。
 ゴイムは、物好きからか、あるいは、大きなパイに一口あずかる手段としてメーソ
ンに入ってくる。中には、実現不可能な根も葉もない夢想を実現させるために、耳よ
りな情報を仕入れようとして入ってくる者もいる。かれらは成功と拍手喝采に飢えて
いるが、をの成功や拍手喝采こそは、われわれが気前よく振る舞ってやつているので
ある。われわれがそういう大盤振舞いをするのは、かれらが持っている鼻持ちならぬ
自惚れを利用するためである。その自惚れというのは何が原因かというと、自身が口
に出している思想は絶対的に自分のものてあり、借り物などということはありえない
と自信満々で、われわれが示唆したことを丸呑みにする傾向に起因する……諸氏の想
像を越えることであるが、ゴイムの最も賢い者を無邪気に自惚れさせたり、ちょっと
した不首尾で意気消沈させたりするのは、いともたやすいことである。同時に、拍手
が止まったに違ぎないといった些細な不成功であってもかれらは簡単に落ち込みもす
るし、次の機会には成功させてやると言えば、すぐ奴隷のように卑屈になってくる…
…際立ってわれわれは計画を実行さえできれば成功不成功を問わないのに、際立って
ゴイは成功さえすれば計画はどうなっても構わない。このようなかれらの心理のおか
げで、われわれは大いにやすやすと思うがままにかれらを操れる。かれらは見た目に
は虎だが中味は羊であって、風が通り抜けて行く頭の持主なのである。われわれはか
れらに集産主義≠ニいう一種の思想のおもちゃをあてがって、個性の違いをそのお
もちゃに吸収同化させてやった。
 かれらは、このおもちゃが最も重要な自然の法則を真向うから冒涜するものである
ことを、一度も考えたことがなかったし、これから先も考えようともしないだろう。
天地創造の初めから、自然は明白な個性の違いを弁えさせるべく、あれとこれとを違
うように作ったのである……

 こんなにもわれわれがかれらを明きめくらにさせられるというのは、ゴイムの頭が
われわれと比較してお粗末である証拠、それも明々白々の証拠ではないだろうか。わ
れわれの成果が約束されているのは、主にこのためである。

 それにつけても、なんとわれらの古代の賢者長老たちには先見の明があったことか。
長老がたは言われた、大事に達せんとせば手段を選ぶなかれ、犠牲を厭うなかれ、と
……われわれはゴイという家畜の群にいかほど犠牲が出ようともさらさら厭うもので
はない。さりながら、わが民の犠牲も数多くに上ったが、今日われわれはこの地上で
夢見ることのできなかったような位置を獲得した。われわれ全体の数から言えば、わ
れわれの犠牲者の数は比較的少ないが、かれらのおかげで民族の破滅は免れたのであ
る。
 何びとも避けられない終局は死である。どうせ避けられないものならば、新秩序の
建設者であるわれわれよりも、建設の邪魔をする人間に早く回してやった方がよろし
い。われわれは、同胞のほかには誰も気付かないように、本人自身でさえも死刑宣告
されたことが判らないように巧みにメーソンを処刑する。

必要とあれば全員あたかも
自然死のごとく息を引き取るのである……そのことが解っていても、同胞はあえて抗
議はしない。かような方法を用いて、われわれはメーソンの中から作戦計画に敵対す
る者を根こぎにしてきたのである。われわれはゴイムにはリベラリズムを説くけれど
も、同時に一方では、わが民やわれらの代理人たちにはひたすら恭順に服させる。

 われわれの力が及ぶところでは、ゴイムの法律は最小限度にしか適用しないように
してきた。法の尊厳威信なるものは、その分野に流し込んだリベラルな解釈を駆使し
て存分に失墜させてきた。最重要かつ根本的な事項や問題は、われわれの口をはさん
だとおりに裁判官が決定し、われわれがゴイムの政府機関に示したことに従って事を
裁定する。もちろん、われわれが直接かれらと接触するのではなく、われわれの道具
である人士「「新聞その他の意見として「「であるが……上院議員や内閣の中にもわ
れわれの助言を一も二もなく聞く者がいる。ゴイムの空っぽ頭には、分析したり考察
したりする能力、ましてや事態がどういう結果になるかを予測する能力はさらさらな
い。

 ゴイムとわれわれの間のこの能力の差違こそが、ゴイムの空っぽ頭と対比して、わ
れわれが神の選民として、また、高い人間性をもつ運命が定められているゆえんが明
白に証明される。ゴイムの目は開いていても何も見ていないし、何も創造しない(恐
らく物質的なもの以外は)。このことをもってしても、自然はわれわれが世界を導き
支配するように創造したことが明白である。

 われわれが公然と世界に乗り出し、恩恵を施す折には、われわれの法律はすべて、
いかなるよけいな解釈をする余地もなく、何びとにも完璧に解る、簡潔、明白、確固
としたものであるだろう。そこに貫徹させておくべき原則は、官憲に対する服従であ
り、この原則によって荘重高潔なものとなる。こうして最高権力者の権威の前には最
下層の者に至るまで責任を負う結果、権力の乱用は行われなくなる。

次席以下の権力
乱用は、一人の例外もなくとうてい再犯ができないほど容赦なく峻厳に処罰を受ける
であろう。われわれは国家機構の円滑な運営をはかるために、官憲に対しても事細か
に点検ずるであろう。一部分の腐敗はあらゆる所での腐敗を惹起する。一片の不法行
為、一片の権力乱用といえども処罰の見せしめを免れさせはしない。
 

 犯罪の隠蔽、行政の怠慢「「この種の悪事はすべて、最初に峻厳な処罰を課すれば
以後は影をひそめるであろう。われわれの政権の後光は適切な罰則すなわち、至高の
威信に対しての侵害は軽微なものであっても、とりわけ私利と結びついた場合は、厳
罰を課することでなければならない。厳罰を蒙る者は、たとい過失の度合いに比べて
罰が重過ぎるとしても、主権、政綱ならびに法を擁護する行政の戦場で倒れる兵士と
見做して然るべきであり、公共乗合馬車の手綱を執る人間が、公道を外れて私用に馬
を走らせたら、どんな人間であろうとも許されないのである。たとえば、裁判官たち
は寛容なところを見せたくなるが、それは法の正義を破ることになるということを弁
えなければならない。法は逸脱堕落に罰を課して見せしめにするために作られたので
あって、裁判官の徳性を引けびらかすためのものではない……そんなに徳性を引けら
かしたければ私生活でやればいいのであって、人間生活教育の公共の場を使うべきで
はない。

 われわれの法曹人は五十五歳に達すれば現職を退くのである。第一の理由は、老人
は年をとるほど先入観に囚われ易くなり、新しい方向にはなかなか向かなくなること。
そして第二には、人事刷新によって弾力性を確保するのに役立つこと、それによって
われわれの強制力が更に容易に働くようになるからである。自分の椅子に留まりたい
者は、留まるに値するように盲目的に服従しなければならないだろう。概して言えは、
われわれは次のような人々の中からのみ裁判官を選ぶ。すなわち、自分の役割は法を
執行し違反する者を処罰することであって、当今のゴイムが空想するように、国家の
教化的な仕組を犠牲にしてリベラリズムの夢のまにまにさまようことではないという
ことを完全に理解している人間からである……この人事刷新の方法は、同じ業務に携
わる人間の妙な結束心を噴き飛ばし、人民の運命がかかっている政府の全問題にかれ
らの関心を結び付ける。若い世代の裁判官には、人民の間に確立したわれわれの秩序
を乱す畏れのあることは、どんなものでも見逃さないように訓練する必要がある。

 当今ゴイムの裁判官は、自分の職責に対する正しい認識が欠如しているので、犯罪
といえば情状酌量する。今日の支配者が裁判官を任命する際に、義務の観念と裁判官
に要求される職責に対する自覚を叩き込まないから、こういうことになるのである。
野獣が餌を探しに子どもに出してやる時のようなもので、ゴイムは職務の性質や目的
を説明もせずに高い地位に就けてしまう。それでかれらの政府は、自分の行政を通じ
て自分自身の力のせいで、滅亡の道を歩んでいるのである。

 かれらがやっていることの結果を、われらの政府の教訓としようではないか。

 われわれの国家体制のためには、服従する訓練が必要な政府機関の重要位置からは
皆、リベラリズムを一掃する。かかる位置にはもっぱら行政支配のためにわれわれが
訓練してきた人間のみを据える。古い官吏を解雇したら大蔵省の負担増加になるので
はないかと案ずる向きがあろうかと思うが、その問題に対してはこうお答えしよう。
第一に、解雇した職員には職を失った代わりにいくつかの民間企業に回してやる。第
二に、世界中の金はわれわれの手中に集中したのであるから、経費が嵩む虞れはない
のである。
 われわれの絶対主義は万事にわたって論理が貫徹しているので、どの判決一つをと
ってみても、われわれの最高意志は尊重され一点の疑念もなく遂行される。あらゆる
種類の不平苦情を無視し、あらゆる種類の示威抗議には制裁を加えて見せしめにする。
 われわれは控訴権のような、決定を覆す権利を廃棄する。そういうことはもっぱら
われわれの一存「「支配する者の判断に預けられる。われわれが任命した裁判官が誤
った判決を下すことがある、というような考えを人民に与えることは断じて許しては
ならない。しかしながら、万一判決に変更を加える必要が生じた場合は、われわれ自
身が決定を廃棄するが、直ちに裁判官に二度と同種の過誤を犯さない旨の約束をさせ、
自己の義務過怠に懲罰を課して見せしめにする……重ねて申し上げるが、われわれの
行政においては一段階ごとに、一応はわれわれを満足させてくれている人民に密着し
てよく監視する必要があり、善良なる政治は善良なる官吏を要求する権利があるとい
うことを銘記していただきたいのである。

 われわれの政府は、支配する側からいえば族長父権的保護という外観を呈するだろ
う。われわれ民族とわれらの国民は、王という人物に、王との関係はもとより、国民
が望むこと、国民がやっていること、国民間のいろいろな関係などの何もかもを気使
う父の姿を見るだろう。安穏無事に生きたいと切に願うならば、国民は完全にこの考
えにとらわれ、この方の保護と指導なしには何もやって行けなくなり、とりわけ、わ
れわれが任命した者たちが私利私欲のためにではなく、ひたすら誠実に命令を実行し
ているだけであることを知ったときには、われらが王を神と崇めて帰依献身し、その
専制に従うであろう。かれらは、わが子に義務と服従を植え付けるべく訓育した賢明
な両親がなすように、われわれがかれらの生活万般を取り締まることに欣喜雀躍する
であろう。われわれの秘策という視点から眺めると、世界の人民たちはまだまだ成年
にも達しない子供の類いであり、各国政府もまたまさにその段階である。

 先刻御承知のように、私は権利と義務に対する絶対支配についてお話し申し上げた。
義務を実行させる権利は、臣民に対する父たる政府の第一の責務である。人類を天然
が定めた秩序すなわち服従に立脚させることは、強者の権利である。この世の万物は、
人間でないものでも環境か、そのもの自身の本性か、いずれにしてももっと強い者に
服従させられている。であるからこそ、善を実現するためには、われわれはさらに強
い者になろうではないか。

 われわれは確立した秩序に違反する者は何びとでも、躊躇なく犠牲にせざるをえな
い。見せしめに悪に懲罰を加えることは、一大教育課題である。

 イスラエル王がヨーロッパの捧げた王冠を神聖な頭に戴くときは、世界の族長とな
るだろう。そこに達するまでに王が王が供する犠牲は、ゴイム政府が何世紀かにわた
って強者を競った狂人じみた張合いが供した犠牲の数に比べれば物の数にも入らない。

 われらの王は絶えず人民と接し、特使を通じて演説させ、その名声は全く同時間に
全世界に報道されるだろう。