★再び植民地にされるフィリピン

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 1年近く前の2001年6月に「アメリカのアジア支配と沖縄」という記事を書
いた。沖縄本島と台湾の間にある沖縄県の下地島に、中国が台湾を攻撃した場合に
備えた米軍の基地を作る計画が進んでいる、という記事だった。
http://tanakanews.com/b0605okinawa.htm

 この記事を書く発端となった出来事は、昨年4月下旬、下地島空港にフィリピン
での軍事演習に向かう途中のアメリカ軍の輸送機やヘリコプターが突然立ち寄った
ことだった。米軍は「緊急着陸は給油と故障修理のためだった」と発表したが、そ
の後、アメリカ政府系のシンクタンクが、台湾海峡の危機によってアメリカと中国
が戦争になった場合に備えて下地島を米軍基地として使うという構想を発表した。
そのため、下地島への米軍機の飛来は、基地化に向けた下見だったに違いないと思
われた。

 それから1年、今年もフィリピンでの米比合同軍事演習「バリカタン」が行われ
た。だが昨年とは異なり、今年は下地島に米軍機が立ち寄るようなことはなかった。
それだけでなく、去年は沖縄の米軍基地から329人が演習に参加したのに対し、
今年は沖縄からの参加は約30人に減った。

 このことだけからは、アメリカはもう中国を危険視しなくなったかのようにも見
える。ところが、話は沖縄からフィリピンに移って続いていた。

▼「アブ・サヤフを訓練したのはCIAだ」

 フィリピン政府は冷戦終結直後の1991年、アメリカに対してスービック海軍
基地とクラーク空軍基地を撤去させることを決め、いったんは米軍を追い出した。
アメリカとの合同軍事演習も1995年までは続けられていたが、その後はアメリ
カのクリントン政権が軍事費縮小に力を入れたため。廃止された。

 ところがその後、アメリカ側は1998年ごろから再びフィリピンに軍隊を駐留
させることを画策し始め、2000年には合同軍事演習を復活させた。2001年
1月には言うことを聞かないエストラダ政権を転覆させることに協力し、「民衆蜂
起」の名を借りたフィリピン軍のクーデターでアロヨ政権が打ち立てられた。
http://tanakanews.com/b0709philippin.htm

 エストラダが辞任に追い込まれるまでの半年ほど、マニラでは爆弾テロなど治安
を揺るがす事件が続発し、共産主義組織の犯行だと発表されたが、それらの多くは
実はフィリピン軍の仕業だった可能性が指摘されている。フィリピンはもともとア
メリカの植民地で、軍の上層部は米軍で訓練を受けている。中南米諸国などの軍隊
と同様、フィリピン軍は米軍配下の軍隊という色彩が強い。

 アロヨ政権ができて9ヵ月後、アメリカで911事件が起きたが、アロヨ政権は
すぐにスービックとクラークの両基地を再び米軍が使うことを承認した。軍事基地
としてではなく、民間の港であるスービックに米軍の船も入港できるという取り決
めだったが、スービックで米軍の船を修理する会社として、アメリカのチェイニー
副大統領が会長をつとめていたハリバートン社傘下のエンジニアリング会社、ケロ
ッグ・ブラウン・アンド・ルート(Kellog Brown & Root)が進出してくるなど、
アメリカの政治とカネがからんだ話になっている。エンロン事件などと共通するブ
ッシュ政権の金権体質がここにも現れている。
http://www.wsws.org/articles/2001/dec2001/phil-d13.shtml

 911後、米軍はフィリピン軍に協力するかたちで、フィリピン南部でイスラム
原理主義組織「アブ・サヤフ」の掃討作戦を大々的に始めたが、彼らは総勢力が
100人程度しかおらず、外国の軍隊である米軍が出ていって戦うような巨大な相手
ではない。フィリピンの政府と軍隊がきちんと対応すれば壊滅させられるような相
手だ。

 アブ・サヤフの源流は、アフガニスタンでソ連軍の侵略と戦うため、アフガン人
やサウジアラビア人などの「イスラム聖戦士」たちがアフガン・パキスタン国境地
帯に作った7つの武装勢力のうちの一つ「ヘズベ・ワハダット」(Hizb-i Wahdat)
で、指導者のアフガン人の名前がアブドル・ラスル・サヤフ(Abdul Rasul Sayyaf)
だった。

 この組織はサウジアラビアの資金で運営され、CIAやパキスタン軍が訓練を施
していた。組織にはフィリピン南部のイスラム教徒も参加しており、その参加者の
1人だったアブドラク・ジャンジャラーニ(Abduragak Janjalani)が、1989
年にアフガニスタンからソ連軍が撤退した後、故郷のフィリピン南部に戻って作っ
たのが、フィリピンのアブ・サヤフだった。

 彼らはミンダナオ島のイスラム社会をキリスト教徒中心のフィリピンから独立さ
せることを目的にゲリラ戦をしていたが、1998年に指導者ジャンジャラーニが
フィリピン警察との銃撃戦で殺された後、アブ・サヤフは2つに分裂し、独立運動
より強盗や身代金目的の誘拐を繰り返す集団となり、絶頂期には4000人いた構
成員も、100人以下にまで減った。

 フィリピンでは2000年5月、上院議長が「アブ・サヤフを訓練したのはCIA
だ」と指摘して注目されている。アブ・サヤフは2000年4月、フィリピン南部
のパラワン島のリゾート地から、アメリカ人ら約20人を誘拐し、ボートに乗せて
約600キロ離れたバシラン島の拠点に1日がかりで連行した。
http://www.asianjournal.com/pages/011000/news/52abu.html

 フィリピン軍は人質奪還のため、偵察機を飛ばして誘拐犯のボートの位置を探る
よう米軍に求めたが、米軍は偵察機が撮った写真を沖縄の米軍基地まで持ち帰って
現像し、ワシントンに送ってフィリピン軍に見せていいか吟味し、3日たった後で
ようやくフィリピン軍に写真を見せた。そのときには、すでにアブ・サヤフは人質
をバシラン島に上陸させた後だった。こうした米軍の非協力的なやり方から、フィ
リピンではアブ・サヤフと米軍が裏で結託しているのではないかと疑われた。
http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn?pagename=article&contentId=A33049-2002Mar3