20 ユダヤが行なった中国貨幣制度「改革」の驚くぺきペテン

一九三六年(昭和十一年)七月、ロンドンでユダヤ人財閥代表者全議が開かれた。この会議は、日本の中国(華北)ヘの進出に脅威を感したユダヤが、このままでは華中、華南のユダヤ利権、さらにはインドも危ないとみて、いかにして日本を撃破するかを検討するために開かれたものであった。E D サッスーンは、この会議に参加するためと称して、同年五月二十五日、アメリカ経由のコンプレッス・オプ・ジャパン号で上海を出発した。そしてサッスーンはアメリカに着くとロスアンゼルスにみこしを据え、ロンドンと連絡をとりながら米国ユダヤ財閥の首脳たちと連日協議を続け、中国の幣制改革ならぴに銀の国有化という大奇手を、魔法の箱から飛ぴ出させたのだ。この幣制改革とは、中華民国放府の保証する貨幣を民衆に与えて、銀貨を政府に回収するものであり、その交換率は六割(銀貨一円に対して紙幣六○銭が渡される)である。ところが海外市場では、中国の一円の銀がロンドンで一円八○銭もするから、中国の銀は奔流のような勢いで海外に流出した。もっとも、中国政府は輸出銀に対して関税を課して、一挙に二

重の利を得た。そして、銀は海外銀行に預けるので、ユダヤ銀行はこれをロンドン、ニューョークの市場に一円八○銭で売り飛ばして莫大な利益をあげ、それを蒋介石一派と山分けにしたのである。英国政府は、中国に対して銀を預かる代わりに新紙幣に保証を与えるというのだが、もし、中国政府が米英ユダヤの意に反すれば、紙幣は紙切れになるしかない。そして米英ユダヤは、この中国銀準備を担保にして、日本との戦争のための大量の武器を蒋介石政府に買わせる。

つまり、このとき以降、日本の影響下の華北を除き、華中、華南の財政は、完全にユダヤ財閥の掌中に帰したことになる。そして、フリーメーソンに加入している中国国民党の一部幹部は、その功労に対して莫大な分け前をもらい、私富を蓄えたのである。この一連の交渉にあたったのが、ポーランド系ユダヤ人で、イギリス政府の最高財政顧問として有名であったリース・ロス博士である。サッスーン財閥系列の香港上海銀行は、この銀回収を利用して、三億元の巨利を占めたともいう。数干年にわたって蓄積された中国の銀貨、銀地金が、ユダヤ・サッスーン財閥の謀略によって、あっという間にユダヤに巻き上げられ、しかもそれを軍資金にして、中国は同じアジアの日本との戦争をけしかけられる。一石何鳥にも働く巧妙な知恵というはかない。