11 連綿と継続するパリサイ派ユダヤ政府の系譜

バビロンの捕因、さらにローマ帝国によるエルサレムの破壊で、ユダヤの国家は滅亡した、と通常の歴史には書かれている。しかし、これは事実ではない。パリサイ派は、サンヘドリン(ユダヤの最高評議会)を掌握し、その地下政府を維待し続けている。エルサレムが失われたあとは、ヤッファに移り、ヤッファが危なくなったあと、テペリアに移リ、テペリアからバビロンに移り、バビロンからコンスタンチノープルに、そしてコンスタンチノープルからサロニカ(トルコ、現在はギリシアに属し住民の大多数はユダヤ人であった)に、ユダヤの王が存在した。

サロニカのあとはロンドン、パリ、ニューョーク、そのいずれかであろう。一六世紀、エリザベス女王の時代(一五五八〜一六○三年)に、コンスタンチノープルのユダヤ王、ラビ・レーベンは、英国政府とユダヤとの真正の同盟を締結することを提議する公文書を女王に送った、と史実にある。この件はその後、エリザベスの死後、ジェームスー世の時代(一六○三〜一六二五年)に具体化されたもののごとくである。

しかし、ユダヤはそら恐ろしい。彼らはやがて、クロムウエルの革命を用意して、スチュアート一世の首をバッサリと切った。そしてクロムウエル以後、英国そのものをユダヤ化する段取りに入っている。歴史の首尾一貫性からみれば、このパリサイ派ユダヤ地底国は、世界最古、最長である。その発端から数えれぱ二干五百年。その間に無数の国家が興り、亡ぴた。パリサイ派ユダヤの権刀の核は継続する。「ロックフェラー現象」は、この視点から見なけれぱ常人には埋解不能で紀元一九○年、ユダヤの王(総教長)に就任したパリサイ派の学者、聖ユダは、武力をもってユダヤ国を奪還する考えを捨て、思想的・宗教的にユダヤを団結させねぱならないと決意した。そこで彼は、タルムードの編纂を開始した。彼の死後、バビロンでタルムードの編纂が行なわれた。

バビロンのタルムードは、ユダヤ人の間で絶大な尊崇をもって歓迎された。このタルムードをもって、パリサイ派のラビたちは、全世界のユダヤ人を教育し続けたのだ。このユダヤ地底政府の原点にして中核体は、紀元九○年、ローマによってエルサレムが占領された直後、地中海沿岸のヤッファ市に創立されたユダヤ教の(校長と評議会とパリサイ派のラビにょって組織された)大学である。このユダヤ教の大学は、パリサイ派秘密結社による世界征服の参謀本部として機能した。ちなみに、次ぺ−ジにこの〃見えざる世界の権力構造方をまとめてみよう。