レーニンはユダヤ人でないとされているが、祖母はユダヤ人といわれ、レーニンの妻(グルー
スプカヤ)はれっきとしたユダヤ女性である。しかし、国際ユダヤのロシア革命工作の本命は、ユダヤ人、トロッキーであったようだ。トロッキーがわずか二十五歳で、一九○五年の第一次ロシア革命の大スターにのし上がったのはなぜなのか?その秘密は、彼がシベリア流刑脱走後結婚した二度目の妻が、クーン・ロエプ財閥と親類関係にあり、この線から巨額の革命資全を左右する立場にあったことを知れば氷解する。一九一七年に、ペトログラードに再ぴ現われたトロッキーの背後には、クーン・ロエプ財閥が、そしてその奥にはロスチャイルドが立っていたのだ。一九一七年十月までのトロッキーの大成功を保証したのは、実にユダヤ世界帝国の首脳部の決定であったのだ。
十月革命で樹立されたソヴィエト政府の執行部(官史)五百四十五人のうち、ユダヤ人は四百四十七名(八十ニパーセント)を占める、と記録されている。こうなれば、ユダヤ人の血の復警が始まるのは埋の当然だ。ロマノフ帝制峙代に、ロシアは三百万人のユダヤ人を殺したという。その報復は三干万ともいわれるロシア民衆の血であった。一九一七年の革命以前をロシア民族の支配時代とするなら、それ以後はユダヤ民族の支配峙代、すなわちプロレタリア独裁、共産党独裁の名のもとでの、ロシア民族被圧迫時代である。ロシア,ユダヤ政権と、米英ユダヤ財閥の二本建ての体制がここにできあがったわけだ。