ロスチャイルド王朝のアメリカ代理人モルガン

初代ジュニアス・スペンサー・モルガン(一八一三〜一八九○年)は、アメリカ・マサチューセッツ州に生まれた。ロンドンに渡ってモルガン商会をつくり、その息子ジョン・ビアモント・モルガン(一八三七〜一九一三年)が、ロンドンからアメリカ・ニューヨークに戻って、一八七一年にJ Pモルガン商会という銀行をつくっている。このモルガンは、ユダヤか、アングロサクソンか、どちらなのか?モルガンはアングロサクソン系であると断定する説(アレン・ェプラハム『インサイダー』)があり、また多くの説は、モルガンを問題なくユダヤとしている。真相は、ロンドン・ロスチャイルド家が、ジョン・ビアモント・モルガンを、ロスチャイルド王朝のアメリカ総代埋人として送り出した、というところにある。G‐アームストロングは、「モルガン商会はロスチャイルドの支店である」と記している。米下院議員ルイス・マックファデンら多くの人々も、J Pモルガンはイギリス・ロスチャイルド家の在米最高代埋人であると考えていた(『ィンサイダー』)。

戦略的必要上、このモルガンがキリスト教徒、あるいはアングロサクソンであるかのごとき擬
装をしていたことはありうる話だ。J Pモルガン商会がニューョークに設立された一八七一年といえぱ、南北戦争が終結し、アメリカに本格的な産業革命の嵐が吹きまくる時代の幕明けの頃だ。モルガン商会は鉄道およぴ鉄鋼に対する金融業で大富豪となった、というのが定説だが、いったいJP モルガンは、その莫大な没資の資金をどこから工面してきたのか。それは、ロスチャイルドその他のョーロッパのユダヤ銀行家からである。一九七○年代になって、英仏ロスチャイルド家が見る影もなく没落したことを嘆き、ロスチャイルドは百年前にアメリカ進出をすべきであったと悔やんでいる、などとロスチャイルド側の宣伝文書は語ってみせるが、これは子供だましにもならない。
 

百年前、ロスチャイルドはロンドンから、子飼いのJ Pモルガンを派遣し、ドイツからは、ヤコプ・シッフ、ヴァールプルクなど、腕利きの番頭・手代を送り込んでいる。モルガンに与えられた任務は、金融を通じてアメリカの新興産業をユダヤ・ロスチャイルドの傘下に収めることである。ロスチャイルドが直接乗り込むのは、アメリカ人側の抵抗が大きすぎる(なぜなら、単純なアメリカ人はイギリスに反抗し、反逆して独立したというプライドを持っているから)とみて、彼らは腹心の部下を使う戦略をとっただけのことだ。そしてこの戦略は、彼らの予定どおり、計画したとおりに、あるいはそれ以上に成功した。