宮が崩壊し、そして、反キリストが登場する日

―その日、教会の教理は崩壊し、クリスチャンは諸手を上げて反キリストを受入れるようになる。

 

AD70年におけるエルサレム、宮の崩壊:

ユダヤ人は救い主キリストを拒否し、彼を非難し、逮捕し、死罪に定め、十字架で命を奪った。その結果、

神の怒りは、燃え上がり、その40年後、冒涜の町エルサレムはローマにより、攻撃され、

宮は崩壊し、エルサレムの住民は最後の一人まで、殺された。

彼らはその行いの当然の報いを受けたのである。

このことを通して、神の怒りと、その背信の民への裁きの厳しさを知るべきである。

そして、この神の宮、教会の崩壊は終末の日、新約の教会、クリスチャンの背信の極まる日に再現する。

 

 

 

このページではマタイ24章、終末預言の中で、主のいわれた宮の崩壊に関して考察してみる。

また、反キリスト登場の日に関しても考えたい。宮は、神への礼拝場所として、教会のたとえである。

主は終末の日に、教会の教理も教えも崩壊し、またそこを流れる霊も聖霊ならぬ、

他の霊となり、宮である教会は崩壊することを預言された。このことをみていきたい。

 

 

<終末の日の大きなできごとは宮が崩壊することである>

 

 

主が福音書の中で世の終わりに関して、告げられたことは、私たちの

よく知っていることであるが、その時、主はその話を宮の崩壊の話から、

始められた。以下の通りである。

 

マタイ24:1 イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。

 

2 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

 

3 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

 

 

このことを通して、宮の崩壊という出来事に、何か終末の日の一連の出来事の中で、大きな意味合いがあることがわかる。

 

 

ローマにより、エルサレムの宮が崩壊した日:

それは、神の祝福ではなく、怒りの日であり、神の民の忠実さが現れた日ではなく、

神の民の背信の極まった日である。

このことを知らないなら、終末預言の一つとして理解できない

 

<宮の崩壊の意味することは何か?>

 

宮の崩壊が意味することは何か?

 

それは、文字通りの宮、建物としてのエルサレムの宮の崩壊を意味するわけではないと思われる。

何故なら、エルサレムの神殿は、西暦70年のローマによるエルサレム侵攻により、崩壊して以来、

今に至るまで2000年近くもの長い間、再建していないからである。

宮は現在存在していない。倒れた電柱が再度倒壊するのは無理であるように、既に崩壊し、存在していない宮が崩壊することはありえない。エルサレムの宮の崩壊をいくら注目しても無意味である。

第3神殿が再建されて、さらに崩壊するなんて、気の長いことをいう人もいるが、

それは、現実的に不可能である。何故なら、かつて主の宮があった場所には、

現在、イスラム教の神殿が建ち、そこは、イスラム教の3大聖地であり、世界中からイスラム教徒が巡礼しているところだからである。ソロモンの神殿はどこにでも建てればよい、というわけではなく、アブラハムがイサクをささげた場所、モリヤの山上以外は聖書的にはありえない。

神が定めた、ここ以外の場所はありえず、

それ以外の場所に建てた建物は聖書的な意味での神殿とはいわない。

そして、そこには、すでにイスラム教の寺院が建っている。彼らがイスラム教の神殿を放棄することもないし、今後その場所を明け渡すこともない。すなわち、ソロモンの第3神殿が建つ場所のスペースが皆無なのである。

 

神は、この事実、宮がもう存在していないこと、さらにそこに宮を建設することもまったく不可能であることを通して、この宮の崩壊の預言に関して他の面を見るようにいわれているように思える。

他の面?すなわち、宮の崩壊に関するたとえの意味合いである。

 

エルサレム、モリヤ山上に建つイスラム教の神殿である黄金ドーム及び多くのイスラム教徒:

ソロモンの神殿が建っていた場所はすでにこのように、占拠されており、このドームが移動する計画など、全くない、100%ない。したがって、ソロモンの第3神殿の建設などは夢物語であり、実現する可能性は皆無である

<宮は教会のたとえ>

 

聖書のほかの箇所を見るとき、宮とは、実は教会のたとえであることに気がつく。

 

 

エペソ 2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。

 

 2:21 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり

 

 2:22 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

 

ここでは明らかに教会を神の宮と呼んでいる。したがって宮とは教会をさすのである。

従って、教会時代の終わりに崩壊するのは神の宮、礼拝場所としての教会であり、全世界の教会であることがわかる。その崩壊とは、物理的な建物としての教会堂の破壊ではなく、教会の土台、基本の教理が崩され、教会ならぬものに変質してしまうことが想像できる。 

預言者イザヤ:

新約聖書でいう「宮」とは教会をさし、その土台は使徒や預言者の教えである。

 

<教会の信仰土台の徹底的な破壊、壊滅の日がくる>

 

したがって、宮の崩壊を告げる主の預言的なことばは、終末に起きるキリストの教会の崩壊、神の宮、礼拝場所としての教会教理、の徹底的な破壊の日に関して預言であると理解できる。

 

 

マタイ24:2 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

 

ここでいう「石が崩されずに、積まれたまま残ることは決して」なといとの意味合いは何か?

 

その意味合いは、以下のことばから、想像できる。

 

“エペソ 2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。

 

 2:21 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、“

 

日本の家は木造建てであるが、エルサレムの宮は石、岩を積み重ねて作られている

その宮、教会を構成する石は上記ことばによれば、教会の働き人である使徒、預言者、さらに土台石であるキリストのことをさす。

それらの石が崩されるとは、すなわち、教会の中の使徒であるペテロ、ヨハネ、パウロの教えもまた、イザヤ、エゼキエルなどの預言者の教えもみな、否定され、廃棄される日がくると、理解できる。

そして、さらに驚くべきは、教会はその背教の日に、もうキリストを土台とはしなくなる、可能性があることである。

何故なら、「ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

とすべての石が崩壊することが描かれている。

もし、それが本当なら、隅の頭石であるイエス・

キリストの教えや教理さえ、教会から取り除かれる可能性があるからである。

まことに恐るべき教会の徹底的な崩壊がここでは、預言されているわけである。

 

キリストが宮である、教会から取り除かれる、崩されるとは具体的にはどういうことをさすのか?

具体的にはこういうことか。すなわち、その日、教会において、キリストはもう唯一の救い主であるとはいわれず、イスラム教にも、仏教にも救いがある、といわれるようになる、そんな教会へと変化してしまうのかもしれない。

 

 

また、キリストの復活や、唯一のあがないぬしであるとの最も教会の土台となる教えは破棄され、キリストも普通の人である、といわれるようになる、のかもしれない。

 

その宮の崩壊の日、教会はもうキリストを自らの土台とはしなくなり、どの宗教にも救いがある、と公けに

語るようになる、とも理解できる。キリストによる救い、あがない、再臨、罪のきよめ、これらの教えがみな、

教会から取り去られてしまうわけなのである。

 

 

<多くのみことばが教会の背教の日を預言している>

 

 

ところで、この様な考え、終末の日に神への礼拝場所としての教会が崩壊する、という考え、教理は聖書的な考えなのか?

実は聖書を読むなら、終末の日に教会が、背教することは明確に預言されている。

以下の通りである。

 

 

“2テサロニケ2:3 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。

 

2:4 彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。”

 

 

ここでは、明確に終わりの日にキリストの教会に背教が起きることを語られている。

さらにあろうことか、神の宮である教会の中に、反キリストである、不法の人、滅びの子が

座を設けることが描かれている。

 

したがって、ここで、語られていることは、終末の日に神の教会が崩壊し、

キリストをその座から追い出し、代わりに、反キリストである不法の人、滅びの子を

その座につける、という恐るべき冒涜の未来なのである。

 

 

 

アメリカの背教を告げるニュース:

左:路傍伝道を行っていて殺されたクリスチャン

右:アラブフェステイバルで伝道したとの罪(?)
で、逮捕された4人のクリスチャン

 

獣の国アメリカの強権の下で、教会の土台はひっくり返される>

 

ところで、キリストの教会が、キリストをその座から追い出し、代わりに反キリストを

その座に受け入れる、というトンでもない背教は一体全体、どのようにして

実現するのだろうか?黙示録はその宮の崩壊は、獣の国アメリカの

圧倒的な強権の下で実現することを預言する。黙示録13:5−8である。

この箇所を一節ずつ見ていきたい。

 

 

““黙示録13:5 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。”

 

教会が強制的に背教に引きずられるその理由はこの獣、アメリカの国の強権のゆえである。

 

今後、アメリカは汚しごと、すなわち、神を冒涜する様なことばを

盛んに語るようになる。具体的には、聖書が明確に禁止している

同性愛を認めたり、伝道や、福音を禁止するこrとばを発する。

というより、もう既にこの傾向はアメリカで顕著におきている。

同性愛は、クリントン大統領の時認められ、また、オバマ大統領は同性の結婚を合法化した。

 

同性愛が合法である、と語ることには裏があり、それに反対する人は

違法であり、法律に逆らっている、との詭弁になる。この詭弁に従い、

同性愛に反対するクリスチャンが頻繁に逮捕、罰金されている。

 

また、アメリカでは、道端で路傍伝道や、トラクト配布するクリスチャンが逮捕されつつある。

この様に今すでに獣の牙をむき出しつつあるアメリカが、いずれ42ヶ月、3年半の艱難時代を計画し、実行するようになる。また、いずれ、教会に圧力をかけ、背教を強制するようになる。

 

 13:6 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。“

 

 

アメリカは冒涜的になり、神の御名をののしるようになる。

神の御名、すなわち、キリストの名前や、その教えや生涯はこれから、アメリカにおいて、

ののしりの対象になる。すなわち、キリストは、実は結婚していた、マグダラのマリヤと結婚していた、子供もいた普通の人間である、福音書に書かれていることは嘘っぱち、キリストは稀代の詐欺師だった、などと、キリストへのののしりや、作られた嘘、悪評が語られるようになる。

 

そして、「その幕屋、すなわち、天に住む者たち」、すなわち、キリストにどこまでも

忠実なクリスチャンもアメリカ主導でののしられるようになる。

すなわち、歴史的な事実(キリストは詐欺師だという事実)を受け入れず、妄信的、非科学的な狂信者の一団として、ののしりや、さげすみの対象になる。

そしてこの冒涜的なトレンドは、アメリカの圧倒的な宣伝力、アッピール力、強圧をもって、全世界へ広がるようになる。

 

 

 13:7 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。“

 

 

彼、すなわち、獣の国、アメリカはその圧倒的な政治力、権力、影響力、マスコミの力等により、

「聖徒たちに戦いをいど」む。すなわち、クリスチャンの教会の教理や、信仰に戦いをいどむのである。

その戦いの結果はどうなるか、というと、獣の国アメリカの勝利に終わることが描かれている。

「戦いをいどんで打ち勝つことが許され」とは、アメリカによる、キリスト教会の教理や、信条、

信仰に対する戦いが始まり、残念ながら、その結果、教会は戦いに勝利を得ることができず、

敗北することをさす表現なのである。いずれ、教会は破れ、反キリスト的な政策や、

方針、教理を受入れざるを得なくなるのである。

 

 

 

聖徒であるクリスチャンとアメリカ政府との戦い、この戦いはアメリカですでに始まっているが現状は、アメリカ政府が圧倒的な権力でもって、勝利を収めつつある。

 

同性愛に反対するクリスチャンがビラを配っただけで逮捕されたり、また、高校の卒業式のスピーチ(答辞)の中で、キリストを証しする高校生は逮捕で脅されるようになっている。

 

この様な状況の行き着く先は、逮捕、投獄を恐れる教会、クリスチャンがアメリカ政府が主導する

冒涜的な強制に屈っし、真理を曲げ、偽りを受け入れるようになることである。

 

 

 

獣の国アメリカにおけるクリスチャンへの圧迫:

左:信仰に基づき中絶反対のプラカードを掲げ、殺されたクリスチャン

右:信仰に従い、同性愛を肯定するカウンセリングを拒否したため、職を失ったクリスチャン

 

 

「あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。“

 

神を冒涜し、キリストを冒涜するアメリカが、「あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与え」

られる。すなわち、恐るべきことは、この反キリスト的なアメリカ、獣の国が全世界を支配するようになる、結果として、全世界のキリスト教会を支配するようになることである。

すなわち、全世界津々浦々まで、反キリスト的な政策、方針が強制されるようになる、のである。結果、全世界の教会は、アメリカ主導の冒涜に従うようになる。

 

 

 

 13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。“

 

妥協的なクリスチャンはアメリカ主導の変質させられた教会にそれでも集い、

その背教的な教理を受け入れるようになり、拝するようになる。

しかし、彼らは「ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者」となる、すなわち、彼らはその冒涜的な行いのゆえに、永遠の命と無関係なものとなる。

 

 

 

わかりやすくいえば、これから全世界の教会で起きる、背教のトレンドに、

従うか否かで、いのちの書に名前があるかどうかの区分がなされる。

 

 

そのようなわけで、このことを知らなければならない。

教会はいつでもどこでも行けばよいというものではない、ということをである。

特に

教会が獣の国の支配に屈っし、その冒涜的な教理を受入れるようになるときには、

いくべきではなく,加入するべきではない。その日、

あえて、冒涜的な教会にとどまる人は神の祝福どころか、神の怒りをかい、

永遠の命を失うようになる。

 

終末の獣帝国:それはアメリカである

 

 

 

<ダニエル7章も教会の背教の日を預言している>

 

 

“ダニエル

 7:21 私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。

 

 7:22 しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。

 

 7:23 彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。

 

 7:24 十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。

 

 7:25 彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。

 

 7:26 しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。“

 

 

この箇所を見てみる。

 

 

 

 7:21 私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。“

 

ここにも、獣の国アメリカが聖徒すなわち、クリスチャンや教会に対して戦いを挑むこと、その

結果、クリスチャンが敗北し、教会がアメリカに敗北することが描かれている。

 

敗北した結果、教会の基本、根本である教理、教えは覆され、否定され、捨て去られるようになる。すなわち、キリストが唯一の救い主であるとの教えは覆されるようになる。

 

 

 

 7:25 彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。“

 

法則とは律法、教えのこと、すなわち、「法則を変えようとし」とは、アメリカ主導で、神のことばや、その教えが変えられるようになることをさす。

 

キリストがあがない主であるとの教えが変えられる、また罪など指摘しないような教会になる。

 

ダビンチコード:キリストの復活を否定する小説

 

<ダニエル8章も教会が覆される日を預言する>

 

“ダニエル

8:9 そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。

 

 

8:10 それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、

 

 8:11 軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。

 

 8:12 軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。“

 

 

この箇所を見てみる。

 

 

8:9 そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。”

 

一本の小さな角(70人訳では、一本の強い角)が終末の日の教会崩壊の主役であり、

それは、終末の獣の国、アメリカのことである。

 

8:10 それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり“

 

 

天の軍勢、星の軍勢とのことばには、たとえが使われている。

それは、天の星のようになる、地の砂の様になる、といわれた、アブラハムの子孫、

すなわち、新約のイスラエルである、クリスチャンをさす。

 

イスラエルとは神の兵士との意味合いがあり、すなわち、新約のイスラエル、クリスチャンは、

星の軍勢なのである。

 

「それは大きくなって、天の軍勢に達し、」の意味合いは終末の獣の国アメリカが時代とともに力を増し加え、強大な権力を持つようになりついには、天の軍勢、すなわち、クリスチャンや教会を変質させたり、

方向を捻じ曲げる権力を持つようになるとの意味合いである。

 

 

「星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり」

 

星の軍勢、すなわち、キリスト教、各教派のいくつかは、アメリカの強権により、

地に落ちる、すなわち、この世の教えや、価値観を受け入れるようになる。

 

性同一性障害などのこの世のことばとともに、教会は同性愛を受け入れるようになる。

教会はアメリカ主導の逮捕、投獄を含む、強権に屈っし、正しい教理は踏みにじられるようになる。

 

 8:11 軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。“

 

獣の国、アメリカが軍勢の長、すなわち、全世界のキリスト教会のトップになることが預言されている。本来星の軍勢の長、すなわち、クリスチャンの集まりのトップ、主はキリストであり、

キリストのみである。しかし、この時においては、キリストはその軍勢の長の座を追い出され、

獣の国の威光を借りた反キリストがその長となる。

そのとき、全世界の全ての教会が組織化され、制度化され、登録されるようになるのかもしれない。

そして、全世界のどの教会であっても獣の国アメリカ主導の冒涜的な教理に従わなければ、

廃止されたり、牧師が首にされたりするようになると想像できる。すでにアメリカでは、政府や市が、教会の牧師の任命、罷免の権利を持つとの動きがある。

 

そして、その結果、神への常供のささげものである、正しいみことばのメッセージは廃止され、キリストはただの人間であり、妻帯し、子供もいたなどとの冒涜的なメッセージが捧げられるようになる。

また、聖霊ではなく、悪霊が礼拝で下されるようになる。

 

「その聖所の基はくつがえされる。」

 

 

神を礼拝するところ、聖所としての教会のその土台、基は、くつがえされるようになる。

教会の土台、基とは、キリストが神であること、復活されたこと、再臨されたことなど、

そして、もっとも大事な基は礎石であるキリスト語自身であるが、教会がもう、

キリストを神と認めなくなるのである。確かに聖所の基は覆されるようになる。

 

 

ダニエル8:24 彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。

 

 8:25 彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。“

 

 

この箇所も見てみる。

 

「彼は、あきれ果てるような破壊を行ない」

 

とのことばどおり、その終末の日、教会に対してアメリカ主導で、「あきれ果てるような破壊」が行われる。

 

結果、教会は教会ならぬものになる。

 

 

「彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ」

 

 

アメリカの教会破壊は用意周到な作戦と洗脳と宣伝の下で行われる。

たとえば、同性愛を強教会に認めさせ、教会の土台を崩すためにあらゆる悪巧みが行われている。

 

心理学者だの、医者だのに、同性愛はもって生まれたその人の傾向、病気なようなものだとの

意見を浸透させ、それに反対するものは、人権を侵すものだとの主旨のもと、正しいクリスチャンは同性愛に反対しただけで、逮捕している。

 

「君の君に向かって立ち上がる。」

 

アメリカ主導でこれから起きるキリスト教攻撃のもっとも大きなターゲットは、君の君、すなわち、

主イエスキリストである。

 

 

イエスキリストに対するあらゆる冒涜が、教会内で語られるようになる。

すなわち、キリストは神の子でなく、普通の人、妻帯もし、子供も生んでいる。

キリストは十字架になどかかっていない、ただのペテン師である、などとの

とんでもない冒涜話が教会のメッセージで語られるようになる。

 

 

 

 

福音のために逮捕されるアメリカクリスチャン

<アメリカの現状は、これらの預言を裏書きする>

 

 

上記いくつかの預言の解釈は、また、アメリカにおける、

クリスチャン圧迫、クリスチャン迫害の現状を説明するものである。

アメリカでは、最近、以下の様に正しいクリスチャンへの圧迫、迫害が増している。

 

    同性愛に反対するクリスチャンは、訴えられている。

 

    路傍伝道する牧師は逮捕されている。

 

    福音トラクトを配布するクリスチャンは逮捕される。

 

    家庭集会を自宅で行った牧師は逮捕される。

 

逮捕されるアメリカクリスチャン:

左:市の主催する「ゲイフェステイバル」で、福音を述べ伝えたゆえ逮捕されたクリスチャン

47年もの長期入獄の危険にさらされている。

右:公園で祈っていた罪(?)で逮捕された7人のクリスチャン

 

<旧約時代の終わりにも神の民の集会は、背教した>

 

神の宮の崩壊とは第一義的には、西暦70年のローマによる、エルサレム崩壊の日に実現した。そして、その神の宮崩壊は終末の日の神の宮、教会崩壊の型である。

 

何故旧約の神の民の宮が崩壊したのか?このことに関して、

聖書はこう語っている。

 

 

“ルカ19:41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、

 

 19:42 言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。

 

 19:43 やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、

 

 19:44 そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」“

 

 

 

 

主は敵がエルサレムを囲み、エルサレムの住民が包囲され、攻撃され、

結果、子供がたたきつけられ、殺され、また、一つの石も他の石の上に

積まれたままのこらないような徹底的な破壊について語られた。

 

それは、恐ろしい災いの日であるが、しかし、その災いはゆえなくして起きるわけではない。

その災いの理由は何か?

以下の箇所を見ればわかるだろうか。

 

 

 

 

“ルカ23:26 彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。

 

 23:27 大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが、イエスのあとについて行った。

 

 23:28 しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。

 

 23:29 なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ。』と言う日が来るのですから。

 

 23:30 そのとき、人々は山に向かって、『われわれの上に倒れかかってくれ。』と言い、丘に向かって、『われわれをおおってくれ。』と言い始めます。

 

 23:31 彼らが生木にこのようなことをするのなら、枯れ木には、いったい、何が起こるでしょう。」“

 

 

ここでも同じくエルサレムが敵に攻撃され、民が攻撃される日について語られている。

しかも、その語られた時、主は十字架につけられるべく引かれていく途中だったのである。

神から救い主として遣わされてきた神の子イエスは、その民に訴えられ、

捕らえられ、命を失った。

 

 

その神の子を殺したこととこのエルサレム攻撃は無縁ではない。

そう、エルサレムの攻撃そして、その時、起きた宮の崩壊の理由は民の背教のゆえなのである。

 

このことを通して、終末の日の宮の崩壊に関して、その

理由が類推できる。すなわち、教会時代の終わりに起きる教会の崩壊、教会の教理や、基礎の崩壊の理由は、

それは、他でもない新約の神の民の背教のゆえなのである。

終末の日のクリスチャンはもう真理に忠実に歩まなくなり、その結果、

世界の教会はアメリカの下で土台が崩され宮が崩壊するのである。終末においても、

理由がなく、宮が崩壊するわけではないのである。

 

 

十字架を負う主イエス:

主のエルサレム崩壊に関する預言は十字架を負わされ、歩む

その中で語られた。従って、エルサレムの崩壊は、イエスの十字架と

無縁ではない、否、キリストを十字架につけた当然の報いとして起こったのである。

同じく、終末の日の神の宮、教会の崩壊も、新約の神の民の冒涜や、背教と無縁ではない

 

<反キリストが宮、教会に登場する>

 

その教会の背教の行き着く先は、反キリストの登場である。

以下にその日のことが記載されている。

 

 

 

2テサロニケ2:3 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。

 

 2:4 彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。“

 

 

この箇所を見てみる。

 

3 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。”

 

 

ここに書いてあるように、まず、教会の背教があり、さらに

その背教の究極の姿として、教会の真ん中で、キリストの代わりに反キリストを拝む。その結果、

冒涜の教会への神の裁きとして、主の日が来ることがわかる。

たとえて、いえば、不良生徒が誰のいうこともきかなくなり、友人を殴る、それどころか、止めに入った先生を殴りつけ、学校を破壊したり乱暴、狼藉を働き、しかたなく、最後の手段として、警官が、学校に

駆けつけるようなものである。

 

この時、駆けつける警官は決してその不良生徒を保護したり、表彰しようとして駆けつけるわけでなく、逆にこの不良を捕まえ、罰を与えるために来るわけである。同じように、主の日、また、キリストの再臨は、多くの背教クリスチャン、教会にとり、誉れや、恵みとしてくるのでなく、逆にその裁きのために来られる。

 

 

「不法の人、すなわち滅びの子」

 

 

教会はキリストを追い出し、その代わりに反キリストという個人を拝するようになる。

その反キリストを表現して、「不法の人:KJV: man of sin:罪の人」と書かれている。

この反キリストは、聖書でいう罪を大いに奨励する人物となることが想像できる。同性愛、キリストへの冒涜などが大いに奨励されるようになるのか。

 

 

2:4 彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。“

 

 

 

神の宮、すなわち、教会の中に反キリストの座が設けられる。その座は聖なる座であり、他でもない、イエスキリストがそれまで教会の中で座していた座である。

 

罪の人、反キリストは、キリストを教会から追い出し、その神の座を奪う

 

 

<黙示録に記されている反キリストの姿>

 

 

反キリストに関する黙示録の記述を見てみる。

 

 

“黙示録13:11 また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。

 

 13:12 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。

 

 13:13 また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行なった。

 

 13:14 また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。

 

 13:15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

 

 13:16 また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。

 

 13:17 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。

 

 13:18 ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。“

 

 

この箇所を見てみる。

 

 

“黙示録13:11 また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。”

 

 

この「小羊のような二本の角を持つ獣」とは、獣化したキリスト教会であり、その2本の角とは、

キリスト教の2大勢力、プロテスタントとカソリックである。

 

 

 13:12 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。“

 

最初の獣とは、獣の国アメリカのことである。その日、背教した教会はアメリカの権力を用いて、

その獣的な方策、方針を進めることがわかる。

 

 

 13:13 また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行なった。“

 

 

その獣化した教会にはそれなりに霊的な力があり、不思議やしるしを悪霊により、起こすことができる。

 

 

 13:14 また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。“

 

 

そのしるしと不思議をもって獣化した教会は、この世についた信者を惑わす。

このしるしこそ、神の働きの証拠だと説得するわけである。

そして、教会の中で、獣の像、すなわち、獣の国アメリカを体言するような人物、反キリストを、全教会のリーダー、また、礼拝されるべき人物として立てる。

彼は教会の中で、キリストの代わりに拝される。

 

 

 

 

 

 13:15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。“

 

この人物、反キリストには、息、すなわち、霊の力がある。さらに彼はもの言う、すなわち、反キリストのメッセージこそが全教会が拝聴するべきメッセージとして、用いられる。

そして、その反キリストをキリストの座につかせ、拝さないものは、皆殺すようにされる。

全世界の公の教会は反キリストを拝むか、それとも死罪になるか、

2つに一つの選択を迫られるようになる。

しかし、このような極端な時に至るまで、公の教会にとどまるべきではない。

 

 

 13:16 また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。“

 

この獣教会に属するクリスチャンは聖霊の印ならぬ、悪霊のしるしを受ける。この刻印を受けたものは、永遠の命から外される。

 

 

 13:17 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。“

 

売り買いは、買い取るすなわち、あがないと関係することば。すなわち、獣のしるしを受けた器

以外はこの獣教会では奉仕できなくなる。

 

その日、背教の教会にとどまり、666のしるしを受けるクリスチャンは、

神の怒りを受け、永遠の命を受け継がない。

 

<福音書に記されている反キリストの姿>

 

福音書の中で、主ご自身がこの反キリストに関して語られている。

以下の通りである。

 

 

“マタイ24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

 

 24:16 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

 

 24:17 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

 

 24:18 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

 

 24:19 だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。“

 

この箇所を見てみる。

 

 

 

15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

 

聖なるところとは、教会の中で、主であるキリストが座しておられるその宮の座のこと。

その日、教会は堕落し、キリストをその座から追い払い、代わりに反キリストという個人をその座に立たせる。

 

 

 24:16 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。“

 

その日、宮を離れて山へ逃げることが語られている。要するに背教の教会からは離れて、

避難すべきなのである。

 

 

 

 24:17 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

 

屋上とは仮庵の祭りの時、家の屋上に仮庵を建てる人のことを前提にしたことば。

家、すなわち、冒涜の教会に入らず、屋上すなわち、仮庵、地下教会にとどまるべきことが語られている。

 

 

 24:18 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。“

 

畑、すなわち、たねまき、みことばを伝える人も、家、公の冒涜教会に戻らないことが

勧められている。

 

 24:19 だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。“

 

身重の女と乳飲み子を持つ女の共通点は、乳を飲む幼児の存在。それは、また

ヘブル書のいう、堅い食物を食べられず、たとえを理解できない、乳飲み子クリスチャン、牧師をさす。

終末のみことばの全てはたとえにより書かれた、堅い食物なので、そのような牧師に導かれ、たとえを

理解できない教会は、その終末の日をどのようにして歩むか、聖書から読み取れず、結果、悲惨になる。

 

 

 

仮庵:

家の屋上におり、仮庵すなわち、地下教会にいるものは、家すなわち

公の教会に戻らないことが薦められている

<ダニエル書が語る反キリストの姿>

主のいわれた、「ダニエルのいった荒らす憎むべき者」の記述は以下の箇所である。

 

“ダニエル12:11 常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。

 

 12:12 幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。“

 

 

この箇所の意味合いは、何か?

 

「常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。」

 

このことばの意味合いは、本来キリストへささげるべき礼拝、献身が、キリストから、取り去られ、その代わりに教会の中心である、聖なる御座に荒らす忌むべきもの

、すなわち反キリストが据えられてから、1290日があるということを語っているのである。

1290日は、約3年半、すなわち、艱難時代が、3年半続き、その間、反キリストが教会の王座に

据えられ、従わないクリスチャンがみな、殺されるという大変な時が続く、と考えられる。

 

 

「幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。」

 

このことばの意味合いは何か?1335日、すなわち、反キリストが教会の王座につき、

キリストに代わり、教会で礼拝対象となってから、1335日目には何が起きるのか?

この日数は、艱難時代、3年半、1260日にプラスすること75日、すなわち、

艱難時代が始まって3年と8ヵ月半ほど経った日である。この日に何が起きるのか?

この箇所だけではわからないが、以下の2テサロニケ書を読むとき、理解できる。

 

 

“2テサロニケ2:8 その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。”

 

ここで、書かれているのは、不法の人、すなわち、反キリストは登場するが、しかし、

主の来臨の日、あっけなく、殺されるという結末である。

であるので、上記ダニエル書でいわれる千三百三十五日に起きることは、キリストの来臨であり、反キリストが滅ぼされる日であることがわかる。

 

キリストの来臨の日を定めてはいけない、とはキリスト教会でよくいわれる、常識の様なものではあるが、しかし、主が、キリストのために艱難に会う人々に対して、希望を伝え、必ず来る主の助けの日について、日数を定め、約束を与えていると考えることは、聖書的と思われる。

 

 

そのような、意味合いで、私たちは、聖書が語っている、我々クリスチャンの常識をくつがえす考え、すなわち、「荒らす忌むべきものが据えられる」日がわかるなら、自動的に

キリストの来臨の日、また、反キリストの滅ぼされる日もわかる、という考えを

持つべきと思われる。例として、

高校の入学した年月がわかれば、卒業の年月も自動的にわかるものである。

何故なら、普通高校は3年間通うものだからである。

西暦2015年4月に高校へ入学したと聞くなら、ああそうか、西暦2018年3月に卒業するのだと、おおむね、卒業の日がわかる。

同じような意味合いで反キリストが立つ日がわかるなら、キリストの来臨の日も

わかる、と思われる。

それは、反キリスト擁立後3年半の後のことなのである。

 

 

何はともあれ、反キリストによる教会統治の日は限られており、永遠に続くわけではない。

 

反キリストにしても、強制収容所を作る人々、また正しいクリスチャンを

迫害する人々にしても、永遠に君臨するわけでなく、いずれキリストの来臨の日に滅ぼされる。

このことを聖書は語っているのであり、無意味に失望すべきでないとして、

このように語っているのである。

反キリストにつく彼らは、光秀の3日天下ならぬ、3年半天下の短い、天下に過ぎないことを

2600年も前のダニエルの時から、聖書は語っているのである。ゆめゆめこの様な人々にまどわされ、脅かされ、希望を失って永遠の命を失うべきではない。

 

 

 

 

再臨のキリスト:

反キリストが教会の王として立てられてから

3年半後にキリストの再臨がある

 

<荒らす憎むべき者の型>

 

荒らす憎むべきものに関してダニエル11章にも、記述がある。

この箇所を通して、終末の日の荒らす憎むべきもの、反キリストに関して、

学びがある。

 

 

“ダニエル11:28 彼は多くの財宝を携えて自分の国に帰るが、彼の心は聖なる契約を敵視して、ほしいままにふるまい、自分の国に帰る。

 

 11:29 定めの時になって、彼は再び南へ攻めて行くが、この二度目は、初めのときのようではない。

 

 11:30 キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。

 

 11:31 彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。

 

 11:32 彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。

 

 11:33 民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。

 

 11:34 彼らが倒れるとき、彼らへの助けは少ないが、多くの人は、巧言を使って思慮深い人につく。

 

 11:35 思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。“

 

 

上記聖書箇所に荒らす憎むべき者に関する記述がある。

しかも、この預言は、すでに紀元前2世紀にシリアの王アンティオコス・エピファネス

により、成就している。その彼の行ったことを見ることにより、

終末の日の反キリスト、荒らすにくむべき者の姿を理解することができると思われる。

 

一節づつ見ていく。

 

 

:28 彼は多くの財宝を携えて自分の国に帰るが、彼の心は聖なる契約を敵視して、ほしいままにふるまい、自分の国に帰る。”

 

 

聖なる契約とは、当時のユダヤ人たちが守ろうとしていた、神への契約。

その契約を、アンティオコス・エピファネスは敵視した。

同じ意味合いで、終末の日に教会の真ん中に立ち、キリストの代わりに

聖なる座につく反キリストも、クリスチャンとキリストとの間に交わされた

聖なる契約を敵視する。

 

クリスチャンをキリストとの永遠の契約から、切り離し、永遠の命を失うべく画策する。

 

 

 11:31 彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。“

 

 

エピファネスは、エルサレム神殿に、ギリシャの多神教の主神である「ゼウス神」を祭り、彼はその偶像を聖なる神殿に置き、その祭儀に人々が参加するよう強要した。

 「エピファネス」の名は「現神王」の意味で、その名のとおり彼は自分を神とし、自分を神と崇めるよう人々に強要した。

 

 

そのようにして、旧約の神の宮は汚されたが、同じように終末の日に新約の神の宮である

教会も汚される。

 

荒らす憎むべきものである、反キリストが教会の中心に立ち、キリスト礼拝の

代わりに反キリスト礼拝を強制するからである。

 

 

 

 “11:32 彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。“

 

彼、エピファネスは、神との契約を犯すもユダヤ人達を、堕落させた。

同じように、教会の中心に君臨した反キリストは、キリストとの契約を犯し、

教えを破るものを優遇する。

 

 

 11:33 民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。“

 

 

そのような迫害の中でも、思慮深いユダヤ人達は、このことの意味合いを多くの人に悟らせた。

同じように終末の日、反キリストに教会の聖なる座を奪われてしまった様な時代になっても、思慮深い、

クリスチャンたちは今起きていることの意味合いを聖書に基づき、他の人に悟らせる。

 

 11:34 彼らが倒れるとき、彼らへの助けは少ないが、多くの人は、巧言を使って思慮深い人につく。“

 

 

正しい人々が倒れるとき、彼らへの助けは少ない。

同じように艱難時代において、正しいクリスチャンへの助けは少ない。

 

 

 11:35 思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。“

 

 

ユダヤ人達は、「彼らを練り、清め(追放:KJV)、白くするために倒れ」た。

同じ様に正しいクリスチャンが終末の日に迫害されるのも彼らを試み、追放し、

白くするためである。

 

 

 

結論として、聖書はあらゆる箇所で、終末の日に教会が堕落し、背教し、

結果、そのキリストを追放し、その聖なる座に反キリストを受け入れることを語っている。

その日は必ず来ると思うべきである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

反キリストの型、アンテイオコス・エピファネス

彼は神聖な神の神殿に忌むべき動物、豚をささげた。

同じく、反キリストも神聖な神の宮である教会において、

キリストへの冒涜的なささげものを行う

 

<麦と毒麦の分離>

 

“マタイ13:29 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。

 

 13:30 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」“

 

 

この様に世界中の公の教会が背教に入り込む。従って真にキリストにつこうとする

人々はいずれ、自然とそのような教会に参加せず、自分たちで集会を持つようになる。

いわゆる地下教会が発生するようになる。

 

結果、世界中のクリスチャンは2つにわかれることになる。

冒涜の公の教会と、真にキリストに従う地下教会。それは、また、毒麦と良い麦の区分でもある。

かねてから、いわれていた麦と毒麦の分離が世の終わりになされる。

 

 

麦と毒麦:

終末の日において、すべてのクリスチャンに対して、麦と毒麦の区分が行われる。

麦は倉、天の御国に入るが、毒麦とみなされたクリスチャンは倉に入らず火で焼かれる

 

 

 

 

 

 <正しい教会の回復>

 

その終末の日、地下教会を通して、神の前に真の教会、宮の回復が行われる。

 

それは、エズラ、ネヘミヤ書に預言されている。

 

“ネヘミヤ書は都の回復が述べられているが、その書の中に仮庵の祭りの記載がある。

以下のとおりである。

 

 

ネヘミヤ8:14 こうして彼らは、主がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出した。

 

 8:15 これを聞くと、彼らは、自分たちのすべての町々とエルサレムに、次のようなおふれを出した。「山へ出て行き、オリーブ、野生のオリーブの木、ミルトス、なつめやし、また、枝の茂った木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作りなさい。」

 

 8:16 そこで、民は出て行って、それを持って帰り、それぞれ自分の家の屋根の上や、庭の中、または、神の宮の庭や、水の門の広場、エフライムの門の広場などに、自分たちのために仮庵を作った。

 

 8:17 捕囚から帰って来た全集団は、仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。

 

 8:18 神の律法の書は、最初の日から最後の日まで、毎日朗読された。祭りは七日間、祝われ、八日目には定めに従って、きよめの集会が行なわれた。“

 

 

この記述を通して主が語っていることはこうである。

すなわち、仮庵の祭り、地下教会の中にこそ、真の都の回復があり、教会の回復がある、

そのことである。その日には、背教する公の教会でなく、地下教会、

仮庵の祭りにみこころがある。

 

仮庵の祭り:地下教会の型である

 

<盲人教師、偽預言者にしたがってはならない>

 

主は盲人教師に従うものは益を見ないことを語られた。以下の通りである。

 

“マタイ15:14 彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を手引きする盲人です。もし、盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」”

 

 

今の時代の教師たちの多くは盲人であり、上記の様な聖書の警告を悟らず、終末の日に必ず起きる、宮の崩壊、教会の土台が崩壊する日に関するみことばの一つをも理解しない。したがって、それらの盲人教師に従うものは同じ穴に落ち込むようになる。

 

また、終末は多くの偽預言者が起きるときである。

主が以下の様に語られたとおりである。

 

 

“マタイ24:11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。”

 

だから、今、キリスト教会に存在する終末を語る教師、牧師の中には、残念ながら、

多くの偽預言者が存在すると理解することが聖書的なのである。

主ご自身が多くの偽預言者が出ると語られた以上そう思うのが正しいのである。

 

 

偽預言者のひとつの特徴は、決して人から悪く言われないメッセージ、教理を語る、ということにある。以下のことばのとおりである。

 

“ルカ6:26 みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。”

 

 

終末の日に教会の崩壊、背教はない、教会は艱難前に挙げられると説くことはみなからほめられ、

喜ばれるメッセージであるが、しかし、それは、人うけのみを狙った偽預言者の働きに過ぎない。

偽預言者の歩みに従うものは、永遠の命を奪われる可能性がある。

 

盲人を導く盲人:

聖書の終末を理解せず、耳ざわりの良いウソ話を繰り返す盲人教師に従う

盲人クリスチャンはともにゲヘナ、地獄の穴に落ち込む。このことは自己責任。

 

―以上―

 

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