ユタヤ、フリーメーソンと国連

 

こうして
アメリカと英国の政治が反ファシズムに動いたといわれる。
 フリーメーソンは英国の世界政策と合致して世界に進出した。英国の八〇万人のフリ
ーメーソンの指導者は王族・貴族であった。ユダヤが英国の貴族と結びついていること
は、前章でのべた通りである。
 たとえばチャーチル首相(英)はメーソンであった。そのチャーチルが反ナチスを指
導したのは当然であった。
 今日、フリーメーソンの主要な国はアメリカである。アメリカはその世界政治を通じ
てフリーメーソンの戦略を遂行するのである。
一九三二年三月十二日、日本は満州国を樹立、薄儀を皇帝とする新国家を建設した。
この新国家は中国政府はもとより、国際連盟からの批判が集中した。
一九三三年二月、英仏が牛耳り、アメリカが強力に支援する国際連盟の特別総会にお
                
ける「満州国における日本軍の行動は侵略である。日本軍は満州国から撤退せょ」とい
う決議を日本が反対、タイ国の棄権を除く全会一致で可決した。
 このとき起こつた日本へのモ国際世論モは「日本が満州国を植民地にした」という
ものであった。この批判は馬鹿げたモいいがかりモであった。英仏は世界中に殖民地を
もっていたにもかかわらず、日本だけが批判されたのである。これ以後、日本は英米仏
の作り出すモ国際世論モによって「世界の孤児」となって第二次大戦に突入し、大日本
帝国は敗戦するのである。
 この一事を見ても国際連盟の正体がわかるだろう。英仏が世界支配する道具が国際連
盟だった。
 国際連合は第二次大戦後、戦争における惨事に対する国際的嫌悪のため作られたもの
だといわれている。しかし実際は、ユダヤ・フリーメーソンの作り出したCFRによっ
て構想され、国際連合の用語は一九四二年に早くも使われている。
一九四三年一月にコーデル・ハル国務長官はCFRのメンバーからなる運営委員会
を作った。来たるべき国際連合を考えるためであった。CFRによって国際連合の原
案が起草された。この槻念を提唱したのが、ポウマン(CFR)であった。大統領はこ
れを了承し、一九四四年六月、これを公表した。
 国際連合設立会議は一九四五年にサンフランシスコで開催された。出席したアメリカ
の代表のうち四〇人以上がCFRのメンバーであった。いうまでもなくCFRはロス
チャイルド、ロックフエラーによって作られ、アメリカのモ見えざる政府モとなった権
力である。国連は世界政権の一部となつた。ジョン・D・ロックフエラー・ジュニアか
ら贈られた八五〇万ドルを使ってニューヨークのイーストリバーに国連本部の土地が
買われた。
一九四五年十月二四日、国連は五四か国で発足した。国連憲章第一条は「国際平和と
安全を維持」とうたっているが、その目的はユダヤ・フリーメーソンの理想を隠してい
る。一九四七年に、イスラエルの建国を認めたのも国連の権威だった。実際はユダヤ人
がパレスチナの地を盗み取ったにもかかわらず、である。
 国連は設立以来、CFRの代弁誌『フオーリン・アフェアーズ』で、この世界組織
に一層の権威と権力を与えるよう叫ばれてきた。
一九四四年のプレトン・ウツズ会議で、国際通貨基金(IMF)と世界銀行が作られ
た際に全世界的な世界銀行(中央銀行)という考え方が作り出された。これらもCFR
が考え出したものである。
表面上、IMFは国際為替相場を管理して「通貨を安定させる」ため設立されたが、
                 
実際は通貨を発行する中央銀行の体制をとっている。プレトン・ウッズ会議において連
邦準備制度理事会理事マリナー・エックルズが、「国際通貨は、国際政権と同意語であ
る」とのべたことは注意すべきである。
 プレトン・ウツズ会議における指導的英国人ジョン・メイナード・ケインズは自らバ
ンコアと呼ぶ世界通貨を提案した。しかし、この案はアメリカの都合で、ドルを世界通
貨とする案で結着した。
 しかし、「世界通貨」の目標は決して放棄されない。一九七五年に元IMF総裁のヨ
ハネス・ライッラヴエーン博士がIMFは「公式の国際準備資産の独占的発行者」とな
るべきだといった。
 EUのユーロ通貨の発足(一九九九年一月一日)など、世界通貨の準備段階にある
と考えてよい。                  、
 今日、世界的に地域的な経済共同体ができつつある。これは未来の世界政権の柱づくり
である。ヨーロッパのEUを代表とし、その壮大な実験が始められているといってよい。
 こうしてユダヤ・フリーメーソンの世界共和国のモ理想モが隠然と進められているの
である。フリーメーソン↓円卓↓CFR↓三極委員会↓国連といった流れの中に国連の
正体が隠されているのである。