<回復の教えとは?>

以下簡単に説明します。
 
 

 回復の教えとは、世の終わりに教会が回復するという教えです。教会が、1世紀以来、神のご計画に従わなかったため、堕落、墜落したという前提に立ちます。それゆえ、その元来の目的を達成する支配が回復されるべきである、と語ります。この中には、使徒と預言者の回復を含みます。
 ダビデの幕屋の回復には、礼拝と賛美の再構築がその特徴としてあり、力(しるしと不思議)が回復されると説きます。
 
 

*回復された教会
神がダビデの幕屋を回復されるのは、彼の教会が来るべきリバイバルに備えるためである。

*リバイバルされた教会
神が幕屋を回復されるのは、彼の教会をリバイブし、終わりの日に約束されている大いなる魂の収穫に備えさせるためある。

*躍動する教会
神はダビデの幕屋を回復して、再臨のキリストのために、大いなる収穫をもたらす。
 

*要約:
神は住むべき場所が備えられるまでは、その全存在をもってわれわれの間に住まわれることは不可能である。ダビデは神の住まいを用意し、人々を準備し、その上で契約の箱、神の臨在をシオンに運び登った。同じように、われわれも、まず初めに回復のために神を求めなければならない。その後で、リバイバルが訪れる。教会にリバイバルの全体が訪れる前には教会の回復があるべきなのである。

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<HP責任者の解説>

終末の日に教会の回復があるという教え自体は、「聖書的」であると思います。また、聖書は、確かにこのことを語っています。エズラ、ネヘミヤ、ゼカリヤ、ハガイあらゆる聖書箇所は終末の日に教会が回復する、このことを語るように思います。(エレミヤHP参照)

彼等のいう教会の回復という教理、この点は正しいと思います。
しかしそれだけで終わらず、問題があります。これが回復であるといって、彼等が差し出すことがらは、
どれも本物まがいの偽物、良い麦ならぬ毒麦、また命の水ならぬ毒水ばかりだからです。

彼等の理論やよし、しかし、彼等の持ってくるものの中身は毒まんじゅう、これはまずいということになります。

教会を回復するために終の雨として下ったという霊、聖霊の第3の波でもてはやされる霊は怪しい笑いを引き起こし、信者をライオン、馬、猿のような「獣」に変える、獣の霊に過ぎません。

また、教会が回復するために必要とされるとされている「使徒、預言者」は、今売り出し中の自称「預言者」「使徒」を見た限り、要するに誰も彼も、
「意図を持ったユダヤ系の人々」です。
彼等を教会の頭に仰いだ上で、行われる全世界の教会統一とは、要するに「ユダヤ化されたキリスト教の
完成」、「ユダヤ教のキリスト教征服」のことです。

そして、これらの(隠れ)ユダヤ人の究極の目標は、彼等の敵、「主につくクリスチャンの抹殺」です。