◆編集後記◆ラオデキヤ教会の登場2002/4/21

”黙示録3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自
分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。”

聖書は終末の日に7つ目の教会、ラオデキヤが現れることを
預言しています。逆にいうと、ラオデキヤ教会が現れた時こそ、
もうまさに終末といえるのかもしれません。

この預言された教会、ラオデキヤは教会時代の長い歴史の
中で、決して出現することはなかったのですが、
もしかするとまさに我々のこの時代に、出現した様に思われます。

上記節によると、この教会は、「自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もない」と誤解
している教会のようです。
富んだ、豊かになったとは、要するに金持ちになったということなのでしょう。聖書で、書かれてい
る金持ちになる話、たとえば
1タラントが5タラント、10タラントに増える話は、「聖霊のたまものが増し加わる」ことがらに関す
るたとえであると理解されています。

とすると、このラオデキヤの教会の「富んでいる、豊かになった」との言葉は、自分の教会には、聖
霊の賜物、すなわち、預言、いやし、
奇跡があふれているという状態ををさすのかもしれません。
しかし、主はこの教会に対して、「実は..みじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者」であると語
っているのです。
すなわち、彼等はみかけ、奇跡と聖霊のたまものにあふれているが、
その実、それは、神からのものでない、だから、「みじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者」
なのでしょう。

今の時代の私達はまさにこの状況にぴったりの教会を知っています。ミラクルクルセードだとか、預
言、奇跡、金粉が舞うといわれているが、その実、
ビデオの中では、メッセンジャーが「デーモン、デーモン」
などと悪霊を呼び出している教会、「聖霊の第3の波」と称する働きこそ、それではないでしょう
か。

絶対の確信を持っていえるわけではありませんが、どうも
この波は、このラオデキヤ教会に直結するような気がします。
もしそうなら、この「聖霊の第3の波」は、カソリックにも及ぶエキュメニカルなものとなってきて
いるようですのでこの教会こそ、終末の日にイスラエル、みこころの神の民と一戦を交えるゴグ、マ
ゴグとなるのかもしれません。

終末の日は決して遠い先のことではないと思われます。