◆◆編集後記◆◆ ◆アンネフランクはアウシュビッツで死亡していない(!?)◆2000/8/28

◆繰り返すようですが、「彼ら」が強調すること、むきになって、
強弁すること。また、「マルコポーロ事件」のように、アウシュビッツ関係の
記事を圧力で中止、廃刊(!)させる時、逆に隠れている表向きにできない、
秘密があることをしらなければなりません。

◆「黙示録」は別に暴露メルマガでも中傷メルマガでもないのですが、
しかし、あまりにも「真実」を告げる媒体が少ないようなので、
いくつかは伝えていかなければと思っている次第です。
繰り返すようですが、世界の政治、金融、穀物、石油等を実質支配している彼らこそ、
その気になれば、黙示録の獣にもっとも近い位置にいるからです。

◆先週伝えた、本(リベルタ出版、「アウシュビッツの争点」木村愛二 2575円)
の中には、いくつもの我々の知らなかった事実が書かれていますが、
そのもう一つは、例の有名なアンネフランクが「アウシュビッツでは死亡してい
ない」という事実です。

◆アウシュビッツに収容されたのは、勿論事実ですが、その後ドイツ国内の
収容所へ移され、そこでチフスで死亡したということです。
以下にその部分のみ引用します。

ー引用ー

さて、アンネ・フランクの話にもどるが、この有名なフランクー家の物語は、
当時のドイツ支配下にあったユダヤ人一家のひとつの典型なのである。一家の四人
がアウシュヴィッツに強制収容された。アンネの母親はアウシュヴィッツで死ん
だ。しかし、ほかの三人はまだ生きのこっていた。アンネと姉のマルゴーはアウシ
ュヴィッツからドイツの西側のベルゲン・ベルゼンに移送され、そこで「発疹チフ
ス」におかされて死んだ。父親のオットーはアウシュヴィッツで「発疹チフス」に
かかって入院し、回復し、一九八○年にスイスのバーゼルで死ぬまで、九一歳の寿
命をまっとうしたのである。もう一度いう。フラング家の四人がアウシュヴィッツ
に強制取容された。そのことはたしかに悲惨な経験ではあるが、ともかく三人はア
ウシュヴィッツでは死なずに生きのこっていたのである。フランク家の姉妹がソ連
軍の侵攻前にドイツ国内に移送された事実も、注目に値する。元収容所司令官ホェ
スの『遣録』の解説によれば、これらの国内移送は、ベルゲン・ベルゼンが「疾病
抑留者の受入収容所に指定」されたためである。その結果、それまでは一万五千人
のところに五万人をつめこむという超過密状態となり、この状態がチフスの流行に
拍車をかけたとされている。

アンネ・フランクも、もしかするとすでにアウシュヴィッッでチフスにかかってい
て、「疾病抑留者」として移送されたのかもしれない。だがなぜ、「絶滅」する予
定の「疾病」ユダヤ人を手間ひまかけて「ドイツ国内に移送」したのだろうか。こ
こにも「絶滅説」の巨大な矛盾がある。

ー引用終わりー

この本の著者の略歴は以下の通り。

木村愛二(きむらあいじ)1937年生まれ。防衛大学校(三期)中退。東京大学文学
部卒。1961年日本テレビ放送網M入社。編成局編成部・広報部・調査部勤務。198
8年同退社後、フリージャーナリスト。著書:『古代アフりカ・エジプト史への疑
問」(鷹書房)、『読売新間・日本テレビ・グループ研究』、『テレビ腐蝕検証』
(共著)

◆東大を出て、日本テレビで仕事をしていた方のようなので
決して怪し気な人ではないことがわかるでしょう。彼は「アウシュビッツ」等、
いわゆるホロコーストの報道に関して、あまりにも嘘が多く、真実を圧迫する、
国際的な力が強いことに義憤を感じてこの本を書いています。

◆何故彼らはこのこと、すなわち、アンネフランクがアウシュビッツでは死亡してはいなかったこと
を隠すのでしょうか。アウシュビッツから移送された以上、彼女は当然、ガス室で死亡したわけでも
ありません。物語の半分(彼女がアウシュビッツに収容されたこと)は事実でも後の半分(彼女がア
ウシュビッツで死亡したと思わせる事)は事実ではありません。そして、この偽りの事実を指摘する
人々にはそのようなことを発言しただけで、ドイツにおいては国の法で禁固5年までの罰則を与える
と言うのです。

◆繰り返すようですが、「彼ら」の主張することには、このように、多くの嘘、
偽りが含まれています。このことを理解することは確かに終末を理解するカギ
なのです。