◆◆編集後記◆◆「崩れつつある2段階携挙説」2000/5/29
◆キリスト教雑誌ハーザーの5月号の終末に関する特集記事の1部に
注目すべき内容がありました。

ー以下引用ー

<前説(艱難前段携挙説)への批判>
...しかし、前説とくに艱難前携挙説への批判は聞くべきものがあるようだ。
前説者がテサロニケ人への第一の手紙の

「16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響き
のうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにあ
る死者が、まず初めによみがえり、
17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに
雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このよう
にして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」

を引用してこれは、秘密の携挙だというのだが、これを読んでそのように、理解できるだろうか。....
それに再臨を大艱難時代7年間の前と後で、2度にわけるという
聖書的根拠はないのではないかと、批判している。」

ー引用終わりー

艱難前携挙説は日本の教会ではあたかも定説、定まった教理のように、
扱われています。しかし、この説の聖書的根拠は無く、もしくは全然薄く、
「キリストの秘密の再臨がある」「キリストが2度に渡って再臨する」という、聖書のどこにも書い
てない事実を前提としているのです。
これは、艱難中携挙説も同じです。

これれはおかしな教えなのですが、誰も異端といわれたり、
教会や神学校を追い出されないために、あえて反対をしない、
できなかった教えなのです。皆、人や教会に嫌われるより、
神のことばを曲げることを選んできたのです。

しかし、今このような勇気あることば、「これは、秘密の携挙だというのだが、これを読んでそのよ
うに、理解できるだろうか。.」という言葉
がキリスト教
雑誌に載るようになってきた意味は大きいのです。

「風」は確かに吹いてきているのです。
ゼカリヤ書に書いてあるようにゼルベブルの前の大山、神のこと
ばのまっすぐな道をさまたげる大山、偽りの教理が崩され、「平地」
となる日は近いのです。