ユダヤ民族のためだけの宗教

この際、我々はユダヤ教それも正統的なユダヤ教に対する誤解と錯覚を完全に払拭しておかなくてはならない。ユダヤ教とは徹頭徹尾ユダヤ民族の民族宗教である。学問的に何と言うのか知らないが、これは一つの部族宗教なのであって、決して世界宗教ではないし、もし我々が今日言うところの世界宗教となれと言ったら、ユダヤ教自身が断るだろう。だからユダヤ教を偏狭だとかその神には愛がないとか言うのはお門違いもはなはだしい。それは国内専用の旋客機に国際線の装備がしてないと文句を言うようなものである。我々から見て厳しいだの愛がないだのと言っても、ユダヤ人から言えば大きなお世話だ。

ひとの
家の親父が厳しかろうと優しかろうと他人が文句を言う筋合いではない。ではユダヤ教の神、旧約聖書の神は世界を創造した神ではないのだろうか。世界人類の神ではないのだろうか。旧約聖書の神は世界を創造した世界人類の神である。ただ、神は自分を人類に知らせる方法として、ユダヤ民族と言う苗床に種を植えたのである。ユダヤ人はこの種を大切に育てた。ところが芽が出てみると自分たちが期侍していたものと違っていたので苗床から抜き取って捨ててしまったのだ。しかし、苗は外の土の上で大きく成長したのである。もう1つの問題は古代社会の各民族には固有の創造神話があったと言う事である。ュダヤ人の創造神話(私が神話だと信じているわけではない)は他民族から見れば単に一つの民族の創造神話に過ぎない。

それが世界的に認知されたのは、すなわち聖書の天地創造が世界的に認められ
たのはずっと後世の事である。その上、ユダヤ民族は旧約聖書の民として知られるが、モーセの律法がBC一四○○年でこれを持っていた。旧約聖書が完成したのはBC3○○年ぐらいの事である。その後の一○○○年間は旧約聖書が書かれていたのである。だからユダヤ民族が旧約聖書の民と言うのはBC三○○年以降の事なのである。新約聖書が完成したのがAD一○○年ぐらいだから旧約聖書と新約聖書の違いはたかだか五○○年である。

多くの人々は何千年も前からユダヤ人が旧約聖書を持っていたと錯覚していないだろ
うか。ではユダヤ教は世界宗教と成り得るだろうか。一つだけ考えられる。それはユダヤ民族が世界を征服し、全ての異邦人を支配した時の征服者としての世界宗教である。その時は恩恵または強制として異邦人がユダヤ教を信じることになるだろう。しかし、決して同格としてではなく一段も二段も低いものとしてである。ユダヤ人はたしかにそう行動している。それを我々は陰謀だとか人類への挑戦だとか言っているのである。しかし、これは民族宗教にとって当たり前の事で何もユダヤ教独特の悪ではない。日本だって第二次世界大戦前アジア諸国を征服した時、至るところに神社と烏居を立て、参拝を強要したではないか。そして彼等に名前まで日本式にさせた。

だからと言ってまったく日本人と同格に認
めたわけではなかった。神社は日本の民族宗教であったからだ。誤解してほしくないが私は民族宗教だから悪いと言っているわけではない。宗教の優劣善悪を語っているのでもない。事実を確認しているのである。民族宗教が世界宗教になるところに本質的な間題があると言っているのだ。ただ、ユダヤ教の
場合それだけではないから大変なのだ。ユダヤ教はまったく別の内容
で世界宗教に変身した。カパリズムユダヤ教はこのユダヤ教とは似ても似つかね悪魔礼拝であるがそれについては後に書く事にする。
 

イスラエルとユダヤ共に減ぼされる

約束の地カナンを前にして、モーセは神の命によって死ぬ。またエジブト生れの世代はヨシュアとカレブと言う二人を除いてことごとく死ぬ。あるユダヤ人のラビはエジプトで長い間奴隷として生きて来た世代は、その奴隷根性の故に新しい地に入る精神的な構造になかったと言っている。ところでモーセの墓は今に知られていない。それはあれほど偉大な人物の墓は、必ず聖地となり偶像となっているはずであるからである。ヨシュアはイスラェルの壮丁六○万を率いてカナンの国々を征服して行く。もっとも、この六○万には異議がある。聖書の出エジブト記にはたしかにへブライ人の兵役につける男子は六○万人とある。だから民族全体では三○○万人にもなろうと言う人口である。一体シナイの荒野で本当に三○○方人もの人口を移動させる事が出来たのであろうか。

先年モーセが塩の水を真水に変える奇跡を行ったメラ(現在でも塩の意味)の泉というところに行った事がある。しかし、どう考えてもその水では三○○万人どころか三万人も養えそうもなかった。また、カナンに定住してずいぶん経ってから行われたダビデの人口調査でもほぽ同じ数が出ている。これはおかしい、もっと人口増加があるはずである。実はへブル語の一○○人の長と一○○人とはほば同じ文字なのである。だから一○○人の長一人を一○○人と書き写したのではないかと言われている。それだと全体の人口は数十万人である。それなら納得する。

だから恐らく軍
隊も五〜一○万程度ではなかったかと思う。また当時の都市国家を攻めるのに六○万の大軍は要らないだろう。さて、ヨシュアは実際には完全に先住民族を根絶はできなかった。一つにはまだ彼等は農耕民族ではなかったので一度に滅ばしてしまうと農地が荒れてしまうから、またイスラエル民族が思い上がり神を忘れてしまうといけないからだと聖書は言っている。こうしてイスラェル民族はその部族ごとにカナンを分分割し、定住した。その後、イスラエルは神制政治が行われる。神の霊感を受けた指導者士師がたって、国を治めた。この士師のうちで一番有名な人物がサムソンである。この男は強かったが、女には滅法弱かった。このサムソンあたりの話は劇画的だから読んでいてもあきない。

今では丈
夫なトランク、サムソナイトに名を残している。士師は極めてボランタリーな制度だったから、どうもそれでは具合が悪い、我々も周りの国々のように王がほしいと民衆が言うので神は王を立てる事を許す。士師の最後の人物はサムエルと言う。彼には王を探して立てるという役目があった。この役目には後に預言者として知られるイスラエル独特の制度の芽があった。サムエルは士師と預言者の中間的存在であり、その生い立ちが美しい物語なので印象的な人物である。

民衆の要求が強くなったので、サムエ
ルは不承不承、王にベニヤミン族のサウルを選んだ王サウルの生涯は権力者となった者の陥りやすい誘惑と悲哀に満ちている。彼は初め極めて謙虚だったが、王となるに及んで自分の地位が脅かされるのを恐れ、次の王になるダビデを追い回すと言う醜態を演じている。しかし、一般の国々の王に比ぺればまだ賢明な王だったと言えるのではないだろうか。サウルは戦いの中に死んで行く。ダビデ。これこそユダヤ人の理想の王。勇敢にして沈着。賢明にして大胆。愛情豊かで詩人であり、事の判断において誤る事がなかった。彼のこのような美点はひとえに彼の深い信仰によるもので、一国の王でありながら幼子のように神を慕い求め生涯踏み迷う事がなかった。

正に男の中の男、壬の中の王である。ダビデはそれ
ゆえメシヤの雛形とされる祖
よくキングオブキングスと言う言い方があるが、英語では前のKingは大文字で始まり後のkingsは小文字で始まると言う当たり前の事が日本では間違えられているのでご注意。しかし、人間ダビデにしてやはり完全ではなかった。彼は戦いを部下にまかせて王宮でひまを持て余していたとき、たまたま屋土から見た湯浴み女に欲清し、その女が忠実な部下の将軍ウリヤの妻であるにもかかわらず寝て子を設ける。
それが分かると困るのでウリヤを戦場から呼ぴ寄せ事を隠そうとするが真面日なウリヤは、皆が戦っているのに自分だけ家に帰ることなど出来ないと帰らなかった。

困ったダビデは参謀総長ヨアブに命じて
ウリヤを戦場に一人置き去りにして殺してしまうのである。この行為は神を怒らせ親戚の預言者ナタンを遣わし激しくダビデを責める。この時ダビデは涙を流して悔い、神に許しを請う。ここがダビデの他の王とは違うところで、彼はサウルのように神の前にかたくなではなかった。しがし、ダビデはこの罪業のつけを愛子アブサロムの反乱と言う形で支払うことになる。それにしても何と生々しい赤裸々な話を、しかも、民族の憧れの王の恥をかくも克明に書き残すこの民族の正直さはどうだろう。聖書にそんな話をのせなくてもいいではないかと思われないだろうか。

旧約聖書は人間の罪の記録である、杏、人類の歴史そのものが神への背信と違
反なのである。こんな人間を神は愛し、ひとり子を十字架につけて救われようとしたのである。ダビデは神をまるで目に見える友人のように書き残している。彼はすでに古くなったテントの神殿(会見の幕屋)から契約の箱(アーク)を自分で建てた新しいテントに移している。このテントが従来の神殿の形式を大胆に逸脱したものであって、ダビデはたしかに新約聖書の思想を持っていたのである。八五ぺージにその見取り図を書くが、彼は神殿を一つの部屋にし、いわば誰でも入れるようにした。

そしてそこ
で四○○○人の聖歌隊を組ごとに分けて昼夜を分かたず賛美歌を歌わせている。ダビデにしても、逆上ってアブラハム、モーセにしても旧約聖書中の重要人物は、まだ生まれてこないメシヤに救いを託していた。今日のキリスト教徒はすでに世に来たメシヤ・キリストを信じ、これらの人々は世に来るはずのメシヤ・キリストを信じていた。その意味で彼らはすでにユダヤ教徒というよりもキリスト教徒なのである。ダビデの後継者となったのはあまたの子供達の内で何とあのウリヤの妻パテシバから生まれたソロモンであった(不倫の子は死んで、二番目の子)。ソロモンについては結構日
本でも知られているようだが、ほとんどでたらめばかりである。

ソロモンで本当の事は妻と妾を合わせ
て一○○○人も持っていたこと(これはでたらめではなく、ペらぽうと言うぺきか)。銀は相手にしないで金しか用いられなかったと言う事。一年間に入ってくる金は六六六タラント約ニトンだったと言う事。とにかく大変に賛沢だったことである。ソロモンの信仰的功績は神殿を建てた事だが、実はこの神殿はダビデが建てるはずだったのを神に止められ、その時全ての準備万端整っていたもので、むしろダビデの神殿と言うぺきものである。ソロモンは老年になって神に帰るまで、その異民族の妻たちと異教に交わり、結局その悪しき遺産はその後の王たちに受け継がれて行く。

金すなわち富が六六六と言うの
は彼の信仰を暗示しているように思える。イスラエルはソロモンの子の時代に分裂し、北にヨセフの家系エフライムを中心とするイスラエルー○部族、南にユダとベニヤミンの二部族のユダヤになり、それぞれに王を立てて抗争しながら続く。この王たちの時代は宗教的には最悪の時代であった。もともとイスラエル人はモーセの時代から偶像崇拝をしていた。一般に言われているように一神教、ヤハウェ神を忠実に信じた民族ではなく、歴史上常
に偶像崇拝者であった。

特に王たちの内ダビデを除いてソロモンからほとんどが偶像崇拝をやった。そ
れでも、まったくヤハウェ信仰が無くなるということはなかった。所々に結び自のある紐のように時々熱心な王や祭司が現れて刷新しようとしたこともあったが結局徒労に終わった。ひどい時にはもっとも神聖なヤハウェ神殿の中に偶像が祭られていることもあった。また預言者の中のエゼキェルは幻の内に祭司長や長老が密かに偶像崇拝をしている現場を見せられている。この背信行為は重大な結果を招いた。神は怒り、特にひどかったイスラエルをBC七一三年にアッシリヤによって滅ぽし、それほどでもなかったがやはりひどかったユダヤをBC五八七年にバビロンの手に渡し、それぞれの民衆の大部分を捕囚として連行させた。

この事は預言者によって初めから忠告されていたことであった。預言者たちは懸命
に王や民衆に悔い改めるように説得していたのである。イスラエル、ユダヤ共にこれを無視し続けた。
預言者はユダヤ教独特の制度であって、律法、神殿、祭司団を補う働き、前の制度を官僚とするなら民間の宗教的権威とでもいうものである。しかも、神からの直接の任命という前提があった。この制度はまったく自己申告制であった。しかしまた、この制度には厳格な決まりもあった。それは特に末来の事を予言して一○○バーセント当たらなければ殺されるというものである。

これは九九パーセントでも許されなかった。もし、この制度を日本に適用し
たら、今でも随分殺される超能力者や占い師がいるだろう。この預言者のことをナービーと呼ぶ。ここからナビゲーターという言葉ができた。預言者は神に直接任命されたがその人物を預言者と認めたのは前の預言者と民衆である。特に先輩に当たる預言者は後継者としての預言者を選び、頭から香油(オリーブ油にいろいろな香料を混ぜたもの)を注いで任命した。この香油を注がれた者をメシヤと呼んだ。
メシヤとは「油注がれたもの」と言う意味である。この他に祭司と、預言者が任命する王にもこの香油は注がれた。だからメシヤとは王と祭司と預言者を言う。キリストの場合はこの三つの資格を全て持っていた。

メシヤが救世主という意味になったのはダビデ王の子孫に永遠の王座が与えられるという預言
(サムエル記下七章一三節)があってからである。預言者の任務は神の代弁者として王と民衆に神の言葉を語り、警告したり励ましたりする事であった。預言者と予言者とは違う。あくまで預言者は神の言葉を預かるのであって未来を予言する占い師ではないのである。預言者の多くは高潔、大胆、忠実な人々であった。彼らには弟子や学校のような集団もあった。