ユダヤ人宰相の先駆者ヨセフという男

これらの子らのうちヨセフはヤコブの最愛の妻ラケルが産まず女だったが癒されて生んだ子であった事から、ヤコブに特別に愛され、そのために兄たちの妬みを買い、奴隷とLて売られてしまった。ヨセフはエジブトに連れて行かれ、そこでエジブトの王ファラオの夢を言い当てる能力で宰相まで昇りつめる。現代ですら多くの国家の権力者は占い師や呪術師に頼る。まして三○○○年前のエジブトでヨセフの超能力は国家も支配するものであったが、もちろんこれはイスラエルの神の与えた賜物(カリスマ)であった。この時、エジプトを支配していたのは純粋なエジブト人ではなく北方から侵略してきたヒクソス人であったこともヨセフに幸いした。間もなく中東一帯に飢饉が起こった。ヨセフの夢判断はその飢饉のことだったから、十分に準備していたエジプトだけが食料に困らなかった。

そのために兄たちは
エジブトに食料を買いに来る。ここでヨセフは劇的に兄たちと会い、父
と兄たちをエジプトのゴセンの地に呼び寄せる。イスラエル人はこの地で繁栄する。しかし、この繁栄は長くは続かなかった。間もなく異民族ヒクソスはエジプト人に滅ぽされ、支配階級だったイスラェル人は一転して奴隷となってしまった。それから約3○○年間イスラユルはエジブト人の圧制の下に坤吟することとなる。とまあ、かいつまんで話してみると、なんとまあ波乱万丈、まるでどんな劇作家も考えつかないような絢爛たるストーリーではないか。

これが本当にあったことなのだから、ュダヤ人の神
様も大変にドラマチックな方である。しかし、物語はさらに豪華に展開する。実際、これほどスケールの大きな筋立てを、もし、考えた人がいたとしたら、それは正に天才中の天才に違いない。さて、そこからあのモーセによるエジプト脱出のスペクタクルとなる。この辺はあのセシル・B‐デミルの『十戒』でご存じだろう。ところでこのヨセフはエジプトで死ぬのだが、彼を愛した父ヤコブは、ヨセフの出世にも動かされたのであろう、ヨセフの子エフライムとマナセを自分の子とする。孫を昇格させたわけである。そうするとイスラエルは一三部族になる。

しかし、この内レビ族は神殿に仕える祭司部族と
して抜けるので、一二部族となる。ヨセフはその出世は兄弟一だったが、父の家系を継ぐことはなかった。家系を継いだの
は四男ユダである。その点は順序に従ったのだろうか。しかし、このヨセフの子エフライムの部族は後にユダに対するイスラエルの指導的役割を担う事になり、イスラエルはまたエフライムの家とも呼ばれるようになる。ヨセフその人は聖書の中で唯一と言っていいほど欠点の書かれていない人であり、父に愛された子であり、兄弟の妬みで憎しみを受け、ついには当時の世界の頂点にまで昇り、兄弟たちがその足の下にひざまずき、窮状を救われ、繁栄の地を与えるという、不思議な人物である。ここからヨセフもイエス・キリストの雛形とされる。
 

ユダヤ教の最大の特徴は何か

ユダヤ人以外は人間と認めない民族宗教
 
 

モーセと言う名は聖書には、彼の他にまったく出てこない。それはモーセ(ヘブル語のモシェ)と言うのはユジプト人の名だからである。モーセはヘブル人の男の子は全て殺せと言うエジブトの王ファラオの命で殺されるのを恐れた母親がナイル用に葦の船を作って流し、それをファラオの近親者である王妃が拾って育てた。川から引き出したから「引き出す」モーセと言う事になっている。しかし、実際はエジプトではモーセと言うのはごくポビュラーな名であった。モーセと言うのは「○○○の子」と言う意味である。例えば宥名なラメセスニ世のラメセスはラー・モーセス「太陽神ラーの子」であり、トートメスはトート・モーセス「冥府の神の書記トートの子」である。モーセも恐らく「○○○神の子」だったに違いない。しかし、モーセは他国の宗教の偶像神の名を嫌って取ってしまったのだろう。普通ヘブライ人は他国に行ってその国の名を名乗っても必ずヘブル名を持っている。しかし、モーセの場合赤子の時にエジブト王家に拾われて育てられたのでへブル名を
 つける事ができなかったのかもしれない。

あるいはあってもモーセで通ってしまったのかも知れない。
とにかくヘブル人にとっては異質の名の指導者だったことは問違いない。モーセの後継者はその子ではなかった。イスラエルの民は、まっすぐ神の約束の地カナン、現在のパレスチナに行けば数日で行けたのだが神に不従順だったためにシナイ半島で四○年間放浪することになる。この間、彼らはシナイ山に天下ったヤハウェなる神により、律法、すなわち信仰と生活の規範を受けた。これは当時としては驚異的な法律であった。これに先立つハムラビ法典などと比ベてもその規範の荘重、明快、厳格、均衡なること、どれを取っても他に類を見ない。モーセはこれをシナイ山頂で親しく神から受け、その中心となる十の戒め『十戒』を石の板ニ枚に掘り刻んで貰っている。

しかし、この板はモーセが山を下った時
に、イスラエル民族があまりにも不信仰だったためにモーセ自身によって砕かれてしまった。代わって二度目にモーセが山に登った時にモーセ自身の手で再制作された。十戒はユダヤ教の中心である。それを守れば神の民として、現世と来世を約束しようと言う神との契約である。この契約と言う思想をよく覚えていてほしい。ュダヤ教もキリスト教も契約の宗教なのである。これが旧約、新約聖書の約の意味である(英語では
Testament。十戒に始まる律法は後ほど記すようにキリスト教では解釈が違うが、正しい戒めには違いなく、尊重する事には変わりがない。

1あなたはわたしの他になにものをも神としてはならない。
2あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。
3あなたはあなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
4安息日を覚えてこれを聖とせよ。
5あなたの父と母とを敬え。
6あなたは殺してはならない。
7あなたは姦淫してはならない。
8あなたは盗んではならない。
9あなたは隣人について偽証してはならない。
10あなたは隣人の家をむさぽってはならない。

よく御覧いただきたい。これが二枚の石の板に書かれていた。初めの四つは神への戒め。後の六つは人間への戒めである。後の六つについては誰しも納得するだろう。しかし、初めの四つについては少し説明しなければならない。これこそがユダヤ教のユダヤ教たる所
以だからである。実際考えて見れば、出エジプト記に始まり、申命記に至るこれらの律法は、そのほとんどは他宗教が認める事のできないものではない。それは祭のやり方であったり、奴隷の扱い方、犯罪者の処罰、食物の禁止範囲などであって、多かれ少なかれ他宗教にも共通点のあるものであろう。だから極論すればユダヤ教の特徴は実はこの四つの戒めだけだとさえ言えるかもしれない。これは神は唯一であるという事の表現である。

第1の戒め、他の神を認めないというのがこの宗教の最大の特徴であっ
た。聖書の神は唯一である。なぜなら全能の神だからである。全能、できない事は何もないと言う事はすなわち唯一だということである。簡単な事だが私も言われて見るまでは分からなかった。もし、全能の神が二人いたら、相手をどうすることもできないのだから一点だけでも全能では無くなる。唯一神こそがユダヤ教の最大の特徴であった。しかし、イスラエル人はいつもこの戒めを破り他の神々を求めた。第2の戒め、偶像を造らないというのも厳格な戒めであった。これは拝む拝まないにかかわらず作る事自体が悪いとされた。それでユダヤ人には彫刻家がいないという事だが実際には旧約聖書の中で、イスラエルは偶像を造って、あろうことかヤハウェの神殿の中で祭ったと言う記録すらある。なお、カトリックのマリヤ像が偶像でないとは信じられない。
 

第3の戎め、神の名をみだりに唱えない。これは厳重に守られたために呼び方すら忘れられたと言われ
る。しかし、今日英語では神の名、イエスの名を罵倒の言葉として用いているのはその違反の最たるものであろう。第4の戒め、一週間七日で一年を分割すると言うのはもちろんユダヤ教から始まった事である。それは神が七日で世界を創造されたという創世記の記事に基づいていることは言うまでもない。そして一週間の最後の日に神が休まれたから、土曜日を休み、神を思い感謝するために用いる。これは比較的楽に守れたからだろう厳格に守られた。しかし、戒めと言うものは過激になりがちなもので、ついには安息日に椅子を引いてもいけない、何歩以上歩いてもいけないと言う事になり、その形式主義を
イエスはひどく怒っている。この安息日は「ユダヤ人が安息日を守ったのではない、安息日がユダヤ人を守ったのだ」と言われるほどユダヤ教独特の戒めであって、それは毎週の祭りであったのだ。律法をよく読んで見るとユダヤ人はほとんど一年中祭りをしている。それほど神を称え、神を思うように作られていたのである。一週間を七日とするこの律法は今では全世界で採用されている。もっともキリスト教国では安息日が日曜日となっているのは、その日にキリストが復活されたからである。

ュダヤ人は自らを律法の民と呼ぶ。神から与えられた律法を持っているというのが彼らの自慢であり自信であった。彼らの選民意識が彼らを独特の民族に変えた。しかし、イエスの先達であったパプテスマのヨハネは「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起こすことができるのだ」とユダヤ人の高慢を打ち砕いている。またイエスは「古いぶどう酒と皮袋」とこの律法を呼び、自分の十字架の死によって開かれる救いの道を「新しい契約」と呼んでいる。また、パウロは「律法は罪の自覚を与えるもの、罪を罪としてあからさまにするためのもの」とし、「石に彫りつけた死の努め」と呼ぶ。この律法の見方にユダヤ教とキリスト教のもっとも大きな違いがあるがそれについては後述する。さて、シナイ山でモーセは律法の他に、移動式の神殿の制作を命じられた。

それはテントの神殿で、金張りの聖所を
備えていた。その聖所には契約の箱(アーク)というもっとも聖なる箱があった。こうしてイスラエルの宗教は生まれた。律法と神殿と契約の箱とそれらを運営する祭司団がユダヤ教の最重要な要素である。この祭司団としてレビ族が選ばれた。祭司として選ばれるのはレビ族の三○〜六○歳までの男子で、その数は約二万人と言われる。この数については後に検証する。
 
 
 

これがュダヤ教の原形である。律法の内、特にモーセの五書と言われる「創世記、出工ジプト記、レピ記、民数記、申命記」をトーラーまたはトラと言う。「トラの巻」とは本当に最も大切な書物と言う意味なのである。律法は暗記できるし持ち運ぶことができた。神殿はその後、ソロモンによって石造りのものになり三度破壊されて二度建て直された。最後はイエスの予言通りAD七○年ローマ軍によって完全に破壊され、それ以来建て直されていない。今エルサレムでユダヤ人の聖地とされる「嘆きの壁」はそのソロモンの神殿の基礎部分であるという。

この神殿の建設はイスラエル国家の最重要国家事業であ
る。しかし、この神殿に置く日本的に言うなら御神体にも当たる契約の箱がなければ神殿はただの家である。契約の箱(アーク)はインディー・ジョーンズの映画にも出てきたように、ユダヤ人が必死に探し求めている最高の宝物である。なにしろ神殿を造っても、祭司団を養成しても(現に行われていると言う事だ)この契約の箱がない事には話にならない。この箱の蓋は分厚い純金で出来ていて贖罪所と呼ばれる。両脇にケルビムと言う天使の像がある。この蓋の上に羊の血を注ぐ事でイスラェルの罪が許されると言う儀式が年1回行われるのだがそれはもっとも重要な儀式であった。
 

四○年の放浪の末に約束の地カナンに入る事になった時の指導者はモーセの後継者ヨシュアであった。総じてモーセにしてもョシュアにしてもこの時代のイスラェルの指導者の特徴は極めて私心のない事である。およそ他の国々の王や領主のように自分の保身や蓄財に汲々とすると言うところがなかった。それにしてもヨシュアに命じられた約束の地の征服は、それこそ今なら世界中から非難ごうごうの覇権主義的軍事行動であった。なにしろ平和に住んでいるいくつもの民族を、滅ぽし、絶やし、皆殺しにしろと神は命じているのだから。明治、大正、昭和の初期ならそれでも通したが、戦後はさすがに聖書の翻訳には困ってしまった。それで最近翻訳された新改訳聖書はこれを「聖絶」と訳している。なかなかの
名訳だと思うが、当時の世界では当たり前の事だったので、あえて言い訳する必要はないのではなかろうか。恐らく一つの町が一つの国家であったから、戦争となった場合、互いに殺し合う他になかったのだろ う。

和解とか融和なんてのは有りえなかったのだろう。また特有の病気、近親結婚による劣性遺伝など
も考慮されょう。(聖書の翻訳も面白いものでキリストの言葉でマタイによる福青書5章11節に英語で
は「占領軍の兵士の要求には無理難題でもよろこんで従え」と言うのがある。戦後すぐに翻訳された口語訳聖書はさすがにそうは訳せなかったと見えて占領軍とは訳していない)ただ、同じ事が34○○年後の一九四○年代に起こったのだから驚く他はない。同じカナン、バレスチナの地にユダヤ民族は帰って来た。それまで二○○○年も平和に住んでいたアラブ人を追い出し、滅ぽし、絶やし、皆殺し……にはしなかったけれど本当はそうしたかったのである。

バレスチナ間題はこの旧約聖害の記事を参考にし
ないと絶対に理解できない。イスラエルは必ずバレスチナ人を追い出すか殺すだろう。もっとも最近では最下層の仕事に必要だから取っておこうと言う意見もあるそうだ。旧約聖害の神は極悪非道。選民イスラェルだけを可愛がる偏愛の神なのだろうか。恐らくこの辺が改ざんされたと言う根拠なのではなかろうか。しかし三○○○年前の倫理観と今の倫理観が同じでなくとも不思議はない。この時代、一つの町、都市国家には固有の宗教、神々があった。これらの都市に別の神々を伝える事は今日でも難しいが当時は不可能 だっただろう。

民族と民族の戦争はその神々の戦いであった。一つの町が減びると言う事はその宗教の
滅亡、その町の神々の死でもあった。この時、まだ聖書の宗教は一民族の宗教の地位にしかなかった。だから、聖書の神は偏狭な利己的な神だというのは、むしろ聖書の神が知られた結果の発想なのである。神と言う概念が世界的宇宙的になったのはもっとずっと後の事である。それはキリスト教の神概念の軌跡だということを覚えていただきたい。あなたの中にすでにキリスト教的倫理観があるのである。
しかし、国家の神々の死は何も三○○○年前でなくともほんの五○年前にも有り得たと言う事を付言しておきたい。もし日本がアメリカではなくソ連に占領されていたら、果たしてこの数限りない日本の神々は生き長らえていただろうか。

日本の神々の運命はあの時連合軍の寛大さに掛かっていたのではな
かったか。そうすると戦後のありとあらゆる宗教とそれに伴う全ての事(膨大な文章も含めて)には何の意味があったのだろう。さらに古代多くの宗教はその内部において極めて残虐非道であった。南米のインカ、アステカ、マヤなどの文化はまさに宗教文化であった。しかし、その宗教は何十万と言う殺人を要求する宗教であった。インカなどの祭壇、ピラミッドには必ず人問の犠牲を捧げる聖所を持っている。多かれ少なかれ古代宗教はそのような要素を持っている。

また極度の
自己犠牲、性的混乱、病的な儀式、魔術、占い、祭司たちの横暴、強権など暗く悲しいものが多い。また、自分の町以外は敵であるとすれば、結婚は勢い近親結婚にならざるを得ず、長い歴史があればあるほど、内部に不其者、異常者を抱えていたかもしれない。だからそれらの町々、都市国家は内部ですでに腐敗し、滅ぶべくして滅びたのであろう。