アプラハムが果たした役割は何か

ハランに居たアブラムにある日、神が語られた「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わた
しが示す地に行きなさい」創世記12:1
この時まで、聖書はアブラムと神の関係、言い換えればアブラムの宗教的背景については全く語ってい
ない。ユダヤ人の伝説ではアブラムの父テラは偶像を作って売っていたと
いう。実際今日のメソボタミヤ地方の考吉学的な発掘でも、聖書に言う唯一神信仰の証拠はない。むし
ろあらゆる偶像、占星術、オカルト的宗教が発掘されている。聖書の記述でもアブラムの約二○○○年
前に起きたノアの洪水以来、決して唯一神信仰が地を満たしていたとは思えない。むしろあの悲惨な洪
水にもかかわらず人類は相も変わらず偶像を拝み悪霊に仕えていたのである。ところが全く唐突に、こ
こで再び唯一神が出てくる。

聖書はこのアブラムと言う人物が極めて特殊な人物だったことを表してい
る。彼はこの偶像信仰の蔓延する吉代世界でただ一人唯一神を信じ抜いた人である。もっともただ一人
だったというのは正しくないかもしれない。人知れず同じような信仰を抱いていた人物が他にも沢山居
たかもしれない。しかし、少なくともこの人物ほどその後の世界に影響を及ぽした者はいない。聖書は
アブラムに対して神が「国を出て、親族に別れ、父の家を離れ」と言ったと、実にくどい表現で書いて
いる。これは明らかにただ移住せよと言う命令ではない。古代社会は言うに及ばず、つい近代までも宗
教と言うものは国、親族、家と結び付いて居た。神はアブラムに対して、全くそれらを離れる事を要求
した。これは言わばルネッサンス以上に人類の重大な転換点であった。

アブラムは後に神に命じられて、アブラハム、「多くの人の父」と名を変えさせられている。それまで
のアブラムは「高貴な父」だった。面白い事にアブラハムが信仰の父と仰がれるようになったのは子が
居なかったから、すなわち彼は晩年まで父ではなかったからである。まして「多くの人の父」ではなか
った。彼の妻、サライ(後にサラと変えられた)は産まず女であったからだ。しかし、信仰によって、
子を与えるという神の約束を信じて彼はなんと九九歳で子を設けている。このアブラハムが居なかった
ら聖書は意味を成さなくなる。アブラハムは信仰の父と呼ばれる。

神を信じて侍つ。見えないものを見
ているように思う。アブラハムはそれまでの人間の絆を断ち切って、ただ神にのみ従うものの代表者と
なった。聖書の中にはこのように神との決定的な出会いをしたために、神と人とのつながり(キリスト
のような意味ではないが)を作った人々がいる。モーセ、ダビデなどはそのような人々である。人間の
中に神の仕事の手助けをした者たちがいたと言う事は何と不思議なことだろう。人間は悪魔の化身のよ
うなものもいるし、永遠の神の手となるものもいる。一体人間とは何だろう。聖書の詩篇は言う、「人
は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、
人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。

ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉れと
をこうむらせ、これにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下におかれました」8:4〜6
アブラハムが信仰の父と呼ばれたのは、彼が高齢にもかかわらず神が子を与えると言った約束を信じ切
ったところにある。だから、よほど子を設けると言う事は重大な事だったのだろう。古代社会において
は男で子が無いのはもっとも恥ずぺき事であったのだろう。だからアブラハムの生涯を別の角度で見る
と、実に気の毒な男なのである。何しろ九九歳まで子が無かったのだから。普通ならここで本妻、二
号、三号と・女性を持つのが習慣だった。

しかし、アブラハムは妻のサラが見かねて自分の侍女を差し
出すまで他の女を作らなかった。この点でも彼はまれに見る高潔な人格者だったのだろう。この侍女、
エジプト人の奴隷ハガルから産まれたのが後のアラブ人の祖先イシマェルだった。これはアブラハムの
数少ない失敗の物語である。彼は神の約束を侍ち切れなかったのである。この人間としてはいかにもあ
りそうな失敗がその後四○○○年のアラブとの対立を生んだのである。やがて九○歳の妻サラから神の
約束の子イサクが産まれた。さらにイサクにユソウとヤ
コブという双子の兄弟が生まれこの内の弟ヤコブから産まれた一二人の兄弟がイスラユル民族となり、
その内のダとベニヤミンの部族が今日のユダヤ人と呼ばれるようになる。

(もっとも他の一○の部族も
すでにこのユダヤ人の中に入っていると多くの学者は考えている。この事については後述する)それに
しても何と長き歴史であろうか。そしてその歴史が聖書に書かれ全世界に知られ、東洋の果ての日本の
教会の日曜学校で話されるというのも奇妙な話ではないか。本来ならばこれは日本なら神話の世界の事
である。海彦、山彦、大国主命より古い話なのである。しかし、戦いあり、恋あり、駆け引きあり、涙
あり、笑いあり、まるでほんのとなりの国の昨日の物語のように生々しく、生気にあふれてこれらの物
語は、書かれ、書き写され、保存されて来たのである。

聖書は改ざんされ偽書であるという人がいる。
しかしこんなみずみずしい物語を改ざんなどできるものではない。しかも、世界各所で保存されてきた
以上それらの全てに渡って改ざんの意思統一を図るなど到底出来る事ではない。聖書は写本と呼ばれる
筆記本によって保存されて来た。その際、筆記の便のために子音だけが書かれ、母音は省略された。だ
から改ざんできたと言うが、逆にもし子音だけを頼りに別の文書にし、それを一貫した書物にする事な
ど不可能と言うものであろう。
 
 

ここがイスラエルどユダヤの違い

イサクは聖書の中でそれほど活躍していない。彼はいかにも二代日のぽんぽんであらゆるものに父アブ
ラハムの祝福を受けている。イサクの、妻リベカとの嫁取りの話は美しい一幅の絵のようである。イサ
クにはエソウとヤコブと言う双子の兄弟が生まれる。エソウは兄だったが信仰の事は関心がなく、野原
を駆け巡って狩りをする事にうつつを抜かしていた。一方、弟のヤコブは双子の弟の自分があらゆる面
で兄の後塵を拝するのが面白くない。当時の社会では長男は特別な地位にあった。神の祝福も格段に違
うと考えられていた。ヤコブは何とかして兄から長男の権利をわが物としようとする。そして策略を持
って、老齢となり目が悪くなった父イサクから長男の祝福をだましとるのである。

神はこのヤコブを愛
する。なぜなら人をだましてでも神の祝福を得ようとするヤコブの信仰への熱心を評価したからであ
る。これはあまり倫理的な話ではないが、貴重な物の価値を理解できなかったエソウはやはりその器で
はなかったのである。もっともヤコブはそ
の後、家を逃げださなければならなくなり祖父アブラハムの故郷ハランの親戚でこってりと自分の仕業
のつげ払いをさせられる。

ヤコブはこの地で親戚のラパンの娘二人をめとる事になる。その後もヤコブ
の人生には苦労が絶えないのだが、彼は神への信仰だけは、その名ヤコブ(押しのける者)のように他
人を寄せ付けない強さを持っていたので神からイスラエル「神と共に治めるもの」と言う名を貰う。今
日のイスラエルと言う国名はそこから来ているのである。ヤコブは二人の妻、レアとラケルの間に挟ま
れて、今の時代でもほとんど変わらない女同士の輸当てに悩まされながら、それぞれの侍女ビルハとジ
ルバまで巻き込んで一二人の子を設ける。この辺の話は聖書をしかつめらしい倫理の本などと言う先入
観で読む人には驚きだろう。聖書は人間を赤裸々に描いている。決して偉人聖人の嘘八百の伝記物語で
はない。人間は本来罪深いもので、それだから救い主が必要なのだと語るのである。ヤコブの一二人の
子らの名前を覚えておくのも何かの参考になるかもしれない。ヤコブはその祖父と違って四人の妻を持
った。その妻と子を並べると次のようになる。
正妻レア ルベン1 シメオン2 レビ3 ユダ4 イッサカル9ゼブルン10
妾 ビルハ(ラケルの侍女) ダン5 ナフタリ6
 

妾ジルバ(レアの侍女) ガド 7 アセル 8
愛妻ラケル ヨセフ 11 ベニヤミン12

この辺りの物語は到底四○○○年も前の物語とは思えない。まるでテレピのワイドショ−並みのリアリ
ティーである。とにかく読んで見られよ。蛇足だがヤコブの子らの名前はレビはリーバイとかレビー、
ユダはジュダ、ペニヤミンはベンジャミンと言い換えれば案外親しみやすいのではなかろうか。ラケル
も読みようではレイチェルである。この子らのうちルベン、シメオン、レピの兄たちはそれぞれ不始末
をして家系を継ぐ権利を失い、四男のユダにお鉢が回って来た。どうもユダは兄弟の内でもっとも賢か
ったように見える。結局ユダはその後最大の部族となる。

このユダ族とベニヤミン族のことをユダヤ人
というのである。他の一○部族を合わせた場合はイスラエルと呼ぶ。ところが少しばかりややこしい事
になる。カナン、今日のバレスチナの北と南に定住したとき、一二部族全体ではイスラエルと呼んだ。
それでいて一○部族と二部族に分けると前がイスラエルであり、後のユダとベニヤミンはユダヤであ
る。本当は一二部族全体を民族として呼ぶ場合はヘブライ人と言うのが正しいのである。これ以後聖書
の中には一二と
言う数字がよく出てくる。キリストの一二使徒、天国の一二の門。