何ともパカバカしい日ユ同祖論

私は一時、日本人ユダヤ人論に傾倒した事がある。誰にでもルーツ探しは面白いものである。
アレックス・ヘイリーの「ルーツ」だって、そういう興味が全ての人にあったからあれほど売れたのだろう。初めからフィクションと言えばいいのに変にノンフィクションにこだわるから評判を落としたようだ。日本は本当に不思議な国である。私は伊勢神宮の石灯ろうにあるダピデの星も見た。「ナギャドヤラ」という青森八戸の民謡がへブル語の詩歌だという川守田博士の本も読んだ。幼い頃、小耳にはさんだ「スメラミコト」という天皇の名が「サマリヤの王」だというヨセフ・アイデルバーグの本にも驚嘆した。

もしかすると日本人の中にはユダヤ人(ヘブル人)の血が一部流れているか、あるいは一時、大いに活躍して、その後、静かに地方に滞在しているのかもしれないとも思った。イスラエルに行った時、日本人に似た人も多く見掛けた。しかし、日本人ユダヤ人論の向かうところの空しさに気付いてから興味を失ってしまった。

クリスチャンにとって「血筋」は何の意味も無い、否、むしろ弊害を産みかねないと
思うようになったからである。
「しかし、彼を受け入れたもの、すなわちその名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は血すじによらず、肉の欲によらず、また人の欲にもよらず、ただ神によりて生まれたのである」ヨハネ1:12〜13もともと日本人ユダヤ人論、日ユ同祖論を最初に日本に持ち込んだのは、マクレオッドというイギリス人でああった。彼はユダヤ人ではないと言うが、ユダヤ人でない人間が、そんな事に関心を持つだろうか。

この男はその後、朝鮮に行って「朝鮮ユダヤ同祖論」をぶちあ
げたと言うのだからほとんどマニアだったのだろう(あるいは扇動者か)。もっとも韓国でも朝鮮民族はヘプル民族のダン部族の末裔だと真面目に言うのを聞いたことがある。この他、アメリカインディアン、アングロサクソンなど同祖論は世界中に多くある。実はイルミナティ、世界統一を計っている連中は自分たちの足掛かりの無い国では、この同祖論で足掛かりをつけるのだという。日本の場合、特に他の追随を許さない天皇制というシステムがあってこれを味方につける事は必然となる。その際、同祖論は有益である。さて、もし日本が本当にヘブル民族の失われた一○部族の末裔だということが判ったとすると何が起こるだろうか(失われた一○部族については後述する)。仮に四国の剣山からユダヤ民族の秘宝、契約の箱(アーク)が出て、仁徳天皇の陵墓からヘブル民族を表す
ものが出て、天皇家の極秘文書がへブル文字だったとして一体何がどうなるのだろうか。

日本人がユダ
ヤの親戚だとすると日本の神道はユダヤ教の神ヤハウェ神を祭っていたことになる。天皇家はヘブル民族の半分イスラエルの首都サマリヤに居た王家の末裔だったということになる。それは天皇がユダヤ全体の王ではなくせいぜいその一方の地方勢力だったという事である。神社では羊が殺されて捧げられることになるのか。日本は世界支配の片棒を担がされるというのか。ユダヤ人が真面目にそんな事を考えていると言うのか。第一、今日のユダヤ民族が旧約聖書を信じて契約の箱にもう一度羊の血を捧げると信じているのか。

どの神に向かって?ヤハウェなる神か。その神はすでにキリスト者に、「こういうわ
けで、わたしたちはイェスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ」ると約束されておられる。(ヘブル書10:19)ユダヤ民族の大半は旧約聖書ではなくヤハウェ神を冒漬するタルムードを信奉しているのだ。特に強力な力を持つ大富豪たちは明白にサタンに仕えているというのに。契約の箱が仮にも日本から出てきたとしても、我々クリスチャンから見ればそれは、「天にある聖所のひな形と影とに仕えている者にすぎない」ヘブル書8:5「しかし、キリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、
この世界に属さない、さらに大きく完全な幕屋(天幕の神殿)をとおり、かつ、やぎと〃子牛との血によらず、ご自身の血(キリストの身代わりのこと)によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである」同9:11〜12 少しむずかしいと思うがこういうことである。

契約の箱とはその蓋の上に羊や牛の血を注いで、罪の許しを請う儀式の道具なのであって、イエ
ス・キリストが神の子羊として十字架の上で血を流し、天にある本当の聖所で神の前に完全なあがないとなったからには全く無意味な道具だという事なのである。契約の箱とはモーセがシナイ山で神の命令によって造った天幕の神殿の奥殿、至聖所に置かれたヘブル民族の最高の宝物であった。それがあるときから忽然と消えてしまったのだが、それは律法と呼ばれるモーセが神から受けたヘブル民族固有の宗教の象徴的なものである。しかし、新約聖書はその律法そのものを次のように言っている。「律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられない」ローマ3:20「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」同3:28「わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである」同7:6
「キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終り(完成)となられたのである」同10:4 

要するに契約の箱を含む律法全体を、すでに古くて人間の罪を完全にはあがなう(消す)事の
出来ない無力なものとして退けているのである。私は契約の箱が本当にあるのなら見てみたいと思う。
しかし、それは歴史的遺物としてであって、参考として少しは感ずるところがあるかもしれないが、救いや信仰に関わるものではない。こんな事を書いていて、果たして日本人の読者がどれだけ理解できるかいささか心もとないのだが、私の言いたい事は、仮に契約の箱が出てきたとしてもせいぜい人間の救いには全く無力な古い契約に導くだけであり、そればかりかキリスト教から日本人を遠ざける結果になるのではないかと言う事である。

なぜなら、たとえ万が一にも日本人がユダヤ人だということが証明さ
れたとしても、宗教的に言うならばすでにキリストが通り過ぎ、パウロがその無力さを証明した古い、死んだ信仰にようやく到達したと言う事にすぎない。それよりは神は福音によって、すなわち、「しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。それはイエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる
人に与えられるものである。

そこにはなんらの差別もない」ローマ3:21とあるようにキリスト教に
よる救いこそ本当の救いであって、契約の箱に代表されるユダヤ教は人類を救わないのである。実際、私はなぜキリスト者が日本人がユダヤ人と同祖であるとか契約の箱が剣山にあつこなにうつつを抜かすのか理解できない。主イエスが御血をもって完成された救いの、言わば型紙みたいなものに情熱を傾けるのか、パウロがその信仰ゆえにむち打たれ、死に面した事もたびたびあったと言う「栄光ある霊の努め(キリストの福音)ではなく「石に彫りつけられた死の努め」(モーセの律法のこと)にわざわざ何も知らない人々を導き行くのか理解できない。

ましてや日ユ同祖論者の論法たるや日本とユダヤの連合
が実現するのは1000年王国であるという始末である。この1000年王国というのは全く実体のつかめないゆめまばろしの話で、しかも私が調べたところでは、ユダヤ・カパリストが作り出してキリスト教会に植え付けたおとぎ話なのだ。それではおとぎ話でない本当のユダヤ人の歴史を旧約聖書からひもといて見よう
 

ユダヤ人にとってユダヤ教とは何か

ユダヤ民族の運命だけがなぜ特異か
 
 

異邦人。これはユダヤ人以外の人間全てを指す言葉である。世界にはこの二種類の人間しかいないと考える民族がいて、彼等の主張する異邦人と言う言葉が世界的に認められる言語となっているという事は奇妙な事ではあるまいか。それではユダヤ人とはなにか。これがまた簡単ではない。厳密に言えば旧約聖書のヤコブの一二人の子供達の内、ュダ族とベニヤミン族 十 祭司の種族レビ族の一部を指す言葉である。しかし、何しろ二○○○〜四○○○年も前の話なのだから、今、おまえはユダかべニヤミンかと言われても、日本で言うなら縄文人か弥生人かと言うに等しい話なのである。もちろん彼らにとってはもっと身近なのだろうが。実際、いつも驚くのは聖書の話の時代を越えたリアリティーである。キリストでさえ二○○○年前の話である。それがユダヤの英雄ダビデとなると、三○○○年前。彼らの祖先アブラハムとなると四○○○年も前の話なのである。

ところが聖書を読む限り、我々はダ
ビデの息遣いや、アブラハムの祈りの声さえ間こえて来るかのようなリアリティーを感じるのである。もう一度言うが、聖書の物語はもっとも新しいものでも日本の卑弥呼の時代なのだと言う事をよく覚え
ておいてほしい。これが日本の話だったらどうだろうか。日本では五○○年前ですら考古学だが、欧米ではマルチンルターのくしやみが聞こえようと言う時代感覚である。ルネッサンスが室町時代。信長、秀吉、家康の時代にコロンブス、マゼランが活躍し、東インド会社が出来ている。日本の歴史は古いと言うがこんなにも新しいとも言えるのである。さて、ユダヤ人は初めヘブル人と呼ばれた。これは本(ビブル)の民だという説もあるし、移住者を表すイーブリーだという説もある。BC一五世紀のアマルナ文書にはハビルという民族が出てくる。

またBC一二世紀のエジブトの記録にはアピルーという名で出
てくる。いずれにせよごく古い民族である事に間違いない。民族としての固有性をかくも長く存続したこの民族に匹敵する民族は今日ほとんど居ないのではなかろうか。しかし、この民族は明白に出身地が分かっている。それは今日のイラク南部の古い地名、カルデヤ地方であった。アブラム(後にアブラハムと改名)という人物がその直接の祖先である、彼は明らかにカルデヤ人であった。カルデヤはメンポタミア、シュメール、パビ
ロニアなどの文化圏の総称と言っていいだろう。このアブラムは父テラに連れられてカルデヤの都市ウルから北に向かって移住し今のシリヤのハランと言う町に住んだ。

カルデヤは今日カレンダーと言う名
が残っているほど天文学(吉代星占術)の盛んな地方であった。それは文化的にも宗教的にも極めて繁栄した国だったと言う事を示しているのだろう。ここで注意しておきたいのはユダヤ人と言えども、何か特別に発生した人類の異種ではなくごく普通の人類から派生したと言う事である。では何がユダヤを今日のユダヤたらしめたのであろうか。