ユダヤ教から生まれたモルモン教

私はユダヤ人に対して何の恨みもない。それどころか彼らの悲痛な歴史に同情し、イスラエルを訪れた時には自分の国のようにうれしく感じたものである。ところが統一世界政府の陰謀の迷路をたどって行くと、辻々角々にどうしてもユダヤの三文字が現れてしまうのである。私が偏見を持って見ているのではなく、向こうから現れてくるのだ。エホバの証人のラッセルに続いてと言うより、本当はそれより前に、モルモン教を作ったジョセフ・スミスもまたユダヤの血筋であった。

驚くべき事にアメリカで生まれた多くの新興宗教の九○%が
マサチューセヅッ州ピッツパーグを中心とする一五○マイル以内の、しかもほんのわずかの家系から出ている。その家系がユダヤ人であった。ジョセフ・スミスもそのひとりであり、その前の自称預言者たちも後もそうである。初期のモルモン教会の核となった家族集団はコネチカットからバーモントへ、さらにパルミラからニューヨークへと一緒に移動した。彼らは互いに結婚し、ユダヤ人であった。ユダヤ
人ベネット家はジョセフ・スミスの思想に多くの影響を与えた。もっとも特出した家族はウオルター、ウインケル、ハールバットの三家である。他にコードリー、ヤング家、またロイヤル・パーニーにつながるヤベツ・カーター、オリン・ポーター・ロクヱル、サムエル・F.ローレンス、アルバ・ピーマン、エラストス・アイビスらである.
これらの家族の中から後にモルモン教を形成する重要な人々が出た。例えばヨーロッパに行ってオカルトを学んだ魔術師ルーマン・ウオルターズはジョセフ・スミスの妻とトーマス・タットルを共通の先祖としている。ウオルターズはウインケルと共にジヨセフ・スミスのオカルトの教師であった。

ウインケ
ルはスミスにオカルトの秘儀「アロンの杖』を紹
介し、「杖の人の友愛会」(Fratanity オブ ロッドメン )と呼ばれるようになった秘密の信仰サーク
ルを作った。彼らは自分たちがユダヤ人で、千年王国と正しい信仰の回復を信じ、いつの日か彼らがアメリカ大陸の主となると信じていた。その当時はだれもこの人々に注意を向けるものはなかったが、彼らが後にモルモン教会の元となったのである。

さて、こうして見て行くと、モルモン教もエホパの証人
もそれぞれジョセフ・スミス、チャールズ・ラッセルと言う男達が突然変異的に作り出した宗教ではなく、長いオカルトとりわけユダヤ教のカバラの影響下にユダヤ人家族集団によって作り出されたものだということが判る。ところでエホパの証人のラッセルが「ものみの塔」という別の特別な名称を用いた理由についてはすでに学んだ通りであるが、では、なぜジョセフ・スミスはモルモン教会を「未日聖徒イエス・キリスト教会」Lastday Saint Jesus Christ Churchと呼んだのであろうか。ここには驚くような秘密が隠されている。実は私も最近までは、モルモン教会がなぜ「未日聖徒イエス・キリスト教会」などという名称を使うのか不思議でならなかった。彼らはイエス・キリストが本当は嫌いなはずなのにというしごく単純な理由からである。彼らは単純にクリスチャンを騎すためにそんな名前を使ったのだろうと考えていた。

ところがラッセルにしてもスミスにしてもそんな子
供騎しのトリックなどで彼らの宗教の第二の名称をつけたのではない。ジョセフ・スミスは自分がイエス・キリストの子孫だと言っているのである。フリーメーソンには「イエスの子孫」という集団がある。彼らはイエスがマグダラのマリヤという女性と結婚して子をもうけ、その正統の子孫が五世紀のメロビング家であり、その血統は絶えること無く今に続いているという罰当たりなオカルト物語を作った。さらに二世紀の弁証家ユスチヌス(ジャスティン・マーター)がキリストが異教徒の秘教のジュピターに対応するとしているように、はるか昔からキリストをジュピターの子とするオカルトの教説もあった。それでジョセフ・スミスと彼の家族は彼をイエスの子孫、またジュピターの子と言うのである。
 

これらはすべてフリーメーソンの密儀であり、スミスはその信仰の再建または完成を自分の手で果たそうとしたのである。スミスは天使が自分にいくつかのフリーメーソンの階級に欠けていたキーワードを持って来たと言っている。それは彼にいかなる高位のメーソンよりも高い位を約束するものだと信じていた。ジョセフ・スミスは全てのフリーメーソンの階級にも勝る結社を作ったと思っていたのだろう。
彼はカパラの魔術に際立った才能を示し、イスラエルの祭司制度と『イエスの宗教』の復元を計った。これはフリーメーソン、薔薇十字団の密儀的信仰のテーマであり、高位のメーソンに教えられるものである。

一八三二年の『幻』でスミスは奥義のキリスト
教について述べているが、これはマンリー・ホールがその著書「象徴哲学体系」の中で「神秘のキリスト教」と呼んでいるものである。スミスは創世記をモーセの書として書き直しているがそれはオカルト的神秘主義であり、グノーシス主義である。実はスミスはこれらの知識をインマヌエル・スエデンポルグの著書から学んだのである。スエデンボルグはヘルメス学哲学者であり、キリスト教神秘主義者であり、高位のメーソンだった。スミスはスエデンポルグの三重の天、空中の王国のこの上なき存在、と言う概念を採用している。ジョセフ・スミスを無学文盲、迷信家、うそつき、詐欺師と批評する事はかえって彼らのモルモン教会の源泉を隠す上で役立ってしまう。
 

スミスの家族は極めて家系を重んじる人々
であった。彼の母は彼に一六六六年までさかのぽる彼らの全ての家族の系図を教え、彼がいかに預言者として選ばれたか、彼の家族が幾世代にもわたって、いかにその信仰と霊的祝福を受けてきたかを示している。彼はダイナミックな人間であり、多くの能力に温れていた。またスミスはユダヤ・カパラ思想を聖なる知識であり、神からアダムへ、アダムからエノクへ、さらにノア、メルキゼデクを経てモーセに伝えられ、時を経て自分に天使が教えてくれたものだと言う。

それは魔術の知識であった。カパラは極めて魔術に近く、多くの魔術
がカパラから出てきた。ジョセフ・スミスは多くのメーソンや魔術のグループのようにモルモンの指導者たちと自分に新しい名前をつけた。彼の名はエノクであった。その後、モルモン教会はブリガム・ヤングなどの指導者によって導かれ、現在ではかなり変化もあるかも知れない。しかし、今回はここまで研究するのがやっとだった。私の前著と共に参考にされたい。
 

 では新教はユダヤ教にどこまで犯されたか

中世の弾圧と迫害を経験したユダヤ人は、ルネッサンスによって反撃に転じ、宗教改革を背後から応援してカトリック教会を弱体化した。ルターは一時ユダヤ人とフリーメーソンに助けられたがやがてユダ人の真意に気付き激しく低抗するようになる。一方、宗教改革運動のもう一人の英雄カルビンについては彼自身がユダヤ人だったという説がある。カルビンとはイスラエル一二部族のレビ族特有の名前コーへンから来たものであるらしい。

カルビンについてはその強い「予定説」がユダヤ選民思想と似通っているとは思うが、彼の著書からはユダヤ・カバリズムの不気味な霊感は全く感じられない。むしろ、極めて健全で有能なキリスト教護教の勇士としか現在の私には思えない。私たちキリスト者には特別の能力が与えられていると信じられている。それは聖霊による賜物(カリスマタ)と言い、いくつかの分野があるのだがその一つに「霊を見分ける力」と言うのがある。だから大抵の場合はその霊が健全な霊か、不健全な霊か判別できるのであ
る。カルビンがもしユダヤ人であったとしても彼の信仰と霊性はキリストの霊、聖霊からのものであるに違いない。そういう事があっても不思議ではない。

なぜなら、キリストもバウロもユダヤ人だったの
だから。ユダヤ人の全てがカパリストではない。むしろカバラやタルムードを忌み嫌っている人々もいるのである。しかし、今日ではそんな事を口にする事は出来ない事だろう。カルビンの時代はまだ自由があったに違いない。ユダヤ・カバリストはかつてのように、強制的に改宗させられたユダヤ人をマラノと蔑むのではなく、むしろまったく表面上は並のクリスチャン以上に熱心なキリスト教徒のように振る舞うようになった事だけは確かである。そのために特に一八世紀以降はどれがどれやらまったく判らなくなっている。そして最近では世界でもっとも有名な伝道者がフリ
ーメーソン三三階級であるという驚天動地の事さえ起こっているのだ。

これはカトリックのロヨラに匹
敵するプロテスタント史上最大の珍事である。さて、そんな中で一つの事実を取り上げよう。それは今世界のプロテスタントの約半分が信じている教理であって、キリスト教徒がこの文章を読んだら必ず私を異端視するかもしれないほど重要な教えとなっている間題である。一八世紀に「携挙」Raptureという教えがプロテスタントに生まれた。それはキリストの再臨が二度起こるというものであった。よく知られているようにキリストの肉体での地上への帰還を再臨というが、その前に、「空中再臨」というのがあって、世界に襲い来る患難の時代の前に、キリストが空中に来られて忠実なキリスト教徒を生きながらに空中に引き上げそのまま天国に連れて行く、その後、地上には最終戦争が起こり、殺毅と荒廃が地
を覆う、そして地上の人間が死に絶える寸前になってキリストが聖徒と共に地上に再臨し、世界の軍隊を滅ぽし平和をもたらすというものである。「患難期前再臨説」という。考えて見ればずいぶん手前勝手な御都合主義なのだが、これが真面目に世界のプロテスタントの半分で信じられているし、実をいうとつい昨日まで私も信じていた。実はこの教理の元になったという聖書の御言葉がある。
 

「わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッバの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいることであろう。だからあなた方は、これらの言葉を持って互いに慰め合いなさい」Iテサロニケ4:15~18しかし、この言葉から再臨が二度あると読み取ることもできない。またもう一つの聖書の裏付けとして、マタイによる福音書24:37~42の言葉「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。そのとき、ふたりの者が畑にいると、一人は取り去られ、一人は残されるであろう。二人の女がうすをひいていると、ひと
りは取り去られ、ひとりは残されるであろう。だから目をさましていなさい。いつの日に
あなたがたの主がこられるのか、あなたがたにはわからないからである。」が用いられている。
しか
し、ここも再臨が二度あるという前提で読むとそう思えるが、まったく白紙で読んだ場合、再臨が二度あることの証明にはならない。

取り去られる、取り残されると言う言葉がその後もう一度本当のキリス
トが来るという意味を積極的に述ベているとは言えない。ここで注意しておきたいのは携挙と言う形態がないと言っているのではなく、二段階(または時間差)の再臨はないと言っているのである。ところが実はこれらの聖書の言葉から空中再臨と携挙が導き出されたのではないのである。もともと一八世紀のクリスチャンたちは今日言われている「千年期後再臨説」を信じていた。それは再臨は一度だけでその時クリスチャンたちはキリストに会う、それが本来この箇所の聖書の意味とされて来た。しかし、イエズス会と友好的なスコットランド、アイルランド、イングランドのプロテスタントのグループがこの秘密の携挙を説教し始めたのである。もう一度言うが、この教えは本当は上記の聖書の言葉から始まったのではない。それは全く別の方向から来たのである。ゴードン・メルトンの『アメリカ宗教辞典』に
よるとこの考えは一八三○年にマーガレット・マクドナルドから始まったとされている。

イギリス人ロ
バート・ノートン博士はチ
ャネラーまたは霊媒であるマーガレット・マクドナルドから彼女の見た幻について聞き、また彼女自身が書いたものを受け取った。一方、アーヴィング派もラビ・ベン・エズラというペンネームを持つスペインからの亡命ユダヤ人でイエズス会士のエマニエル・ラカンタから教えを受けてこの教えを広めている。マーガレヅト・マクドナルドはスコヅトランドのポート・グラスゴーに住んでいた一八三○年二月一日に「帰って来たキリストにクリスチャンたちが個々に携挙される」最初の幻を見た。ノートン博士はこれをThe Restoration of Apostlesand Prophets; In Catholic Apostlic Church in 1861いう本の中に書いているがこれは非常に希にしか目にすることが出来ない本である。この教えはさらに「千年期前再臨説」Premilialismというのとセットになっている。それはこうして再臨されたキリストがュダヤ人の王として(この辺がうさん臭いではないか)世界を一○○○年間支配するというものである。

ところがその時キ
リスト教徒はどうなるのかというとこれが全く判らないのである。読者は何をばかげた事を言っているかと思われるかもしれないがこのような論争は欧米では極めて重大な間題なのだ。
アイルランド人のジョーン・ダービー、ロバート ノートン、幾人かのアーブィング派、
その他の人々がマーガレットの家に行って幻について聞いた。エドワード・アーヴィングは手紙にこう書いている。「メアリー・キャンベルとマーガレット・マクドナルドの幻と啓示は私に表現し難い霊的な認罪と悔い改めをもたらした」アーヴィングがマーガレットの幻について説教を始めるのにはそんなに長い時間を必要としなかった。

また彼はラカンタがイユズス会の僧侶であることを良く知りながらラ
カンタの著書を翻訳し始めた。ラカンタの患難期前再臨説の初期の言及ははすでに一八二○年代に現れていた。ダービーが大きな影響を与えたプレマス・ブレズレンと言う団体は、ダービー以前、一八三一年にキャプテン・バーシー・ホールによってこの患難期前再臨説を紹介されている。ダービーとスコフィールドと言う二人の法律家がアメリカでこの教説を広めた。ダービーは一八六○年代から七○年代にかけてアメリカを巡って携挙の教えを促進した。これらブレズレン派のエドワード・クローニンらはプロテスタント運動の行き過ぎを是正するオックスフォード運動を導いたが、クローニンは「自由、平等、博愛」のフリーメーソンのスローガンを掲げた。この運動を影で操っていたのはイエズス会であった。オックスフォード運動家の一人、ロパート・パクスターは天使とのコミュニケーションによる預言を発表したが、後年それはサタンからのものだったと述懐している。
 
 

ところでプレマス・ブレズレンにしてもイエズス会にしてもそのトッブはかように怪Lげな思想を持っ
ていたが、不思議なものでごく一般の信者や会士は至極純粋な信仰を持っていた。それと言うのもキリスト教というものは厳密に自発的なものであって、決して脅追や強制によって信仰を持つ事も継続する事も出来ないからである。キリスト教の最大の特徴はこの『信仰の自由』であってこれは何人も犯してはならないものである。だから、一般信者や長い年月の間には淘汰されて本当の信仰だけが残るものである。これに反して新興宗教の多くが強制、脅追、洗脳を拡大の手段としているのは人間の魂の尊厳に対する挑戦であり、結局、長い年月の試練には耐えられないものなのである。「中世の終りに現れた千年王国リバイパルは、中世まで生き残った旧約聖書と天文学の現象(占星術)の学びによるュダヤ黙示主義によるものであり、メシヤの現れとその王国の実現を断言するものである」V.ノルスコブ・オルセン「メシヤの希望はいかなる時もイスラエル民族から失われた事はない」アパ・ヒレル・シルパー「王なるメシヤは未来において現れるであろう、そして、昔のダビデの王国を立て直し、神殿を再建し、イスラエル民族を集め、すべての律法はかつてのように実施される」マイモニデス(偉大なユダヤ人哲学者)
 

これらの信仰は、今日、プロテスタントの半分が信している、死者のよみがえり、最後の審判、新しいエルサレムを含んでいる。ただ違うのはその王メシヤが再臨のイェスその人ではなく、ダビデの血統を継ぐ人物と言うだけである。千年王国説とか千年期前再臨説とか呼ばれるこの信仰は、全くユダヤ思想に焼き印されたものだとマルチン・ルター、カルビン、アウグスブルグ信仰告白は言っている。

千年王国説の信仰とカパリステイック・オカルトはイギリスにスチュワート王朝の時代に入って来た。
その時、極秘の内にイエスの子孫の血統と称する人々が王位についた。
この時代にイギリスでピューリタン(清教徒)が始まった。ピューリタンの中ではこの千年王国信仰は非常なスケールで広がった。ピューリタンのもう一つの重大な要素はユダヤ・カパリズムのオカルトであった。ビューリタンの拡大があまりにも急激だったのでイギリスでは政治的な圧迫を受けたために、彼らは新天地アメリカに移動した。この最初のピューリタン移民をピルグリムと呼ぶ。その子孫は今日アメリカのイルミナティの最高位にある。彼らはマサチューセッツとコネチカットに住んだ。彼らの中
心的指導者はジョナサン・エドワースであった。

この有能な人物は千年王国説を理論的に発展させた。
来るべきュダヤ人のメシヤによる千年王国の信仰はピューリタンに、自分たちがこれを
世界に知らしめる、神からの使命を帯びていると思わせた。それは今日エホパの証人とモルモン教が取っている見解である。さてここまではプロテスタントの中にユダヤ・カパリストたちがいかに巧妙に入り込んでいるかを見て来た。他にも私など計り知ることもできない形で彼らは入り込んでいる。例えば聖書そのものの変更もひどい。重要な言葉や思想がなしくずしに聖書から消え失せている。その他、特に最近では「可能性思考」「繁栄の神学」「インナーヒーリング」などが巧妙にプロテスタントを骨抜
きにしている。

ユダヤ・カバリスト(またはいっその事サタニストと呼ぶほうが正しいだろうが)がど
うしてそんなにも簡単にキリスト教内部に入り込む事が出来るのかと言えば、それらの教説には聖書的根拠と思われるものがあるからで、初めからサタンの教えですよなどとやって来るわけではないからである。エパを輻した時のサタンもちやんと神の言葉を使っている。しかし、最近多くの教派や学者たちがこの携拳について疑間を表明するようになった。聖書本来の趣旨とは違っていると言い出している。この携挙信仰の最大の問題はクリスチャンがサタンの働きに対して警戒心を持たず、破壊工作に寛容遇ぎる態度を持つようになった事である。おそらくクリスチャンたち(特にアメリカの)は近い将来起こ
る迫害の嵐を突然起こった突風のように思うだろうが、
それははるか昔から計画されているのである。

しかし、聖書も主キリストもはっきりと終末におけるク
リスチャンの苦難を預言している。また、千年王国説もカパリスト・ユダヤの思いどおりになってい
る。プロテスタントでも改革派はこの説をまったく受け入れていない。空中再臨も千年王国も、それを信じているからクリスチャンである、信じないならクリスチャンではないと言った間題ではない。私自身はどちらもニュートラルである。はっきり言って判らない。判っていることは未来を握っている方を知っていると言う事である。ただ、末来の予言から教理を打ち立てようとは思わない。さて、二○世紀も終わろうとしている今、サタンがプロテスタント教会に対して行っている攻撃には非常に共通した特長がある。それは九九の正しい教えプラスーの誤った教えである。私の身近にもこのパターンの攻撃が激しく行われていて、ほとんどの牧師が気がついていない。今、一○○○リットルの水のタンクがあるとしよう。ここに九九九リットルの清らかな水を入れた。しかし、最後に汚い、細菌だらけの一リット
ルをこっそり入れたらどうだろうか。その水全体は汚れてしまう。今日、有名な伝道者、癒しの伝道者たちは(欧米にはこういう超能力者まがいのキリスト教伝道者がゴマンといる)九九九の正しいキリスト教を語るが、こっそりとサタンの教えをまぎれこませている。
 
 

最近故人となったアメリカの有名な癒しの女性伝道者キャサリン・クールマンは、オカルチストたちにも有名であった。彼女は実はChief Witchだったというのである。彼女の名誉?ある地位を継いだのはカーター元大統領の妹ルース・カーター・ステイブルトンである。Witchとは日本語では魔女とか魔術師と訳されているけれど、そんなおとぎ話の世界ではなく、言うなれば自発的に献身した悪魔礼拝者である。私はこのような事を公表する事が、何よりもまず、神の前に責任を問われることであることを自覚している。だから私を批判する人々もまったく同様に、神の前に責任を間われる事を自覚されたい。無責任な言葉は要らない。