<なぜマルコポーロの記車に過剰反応するか>

ちょうどその頃、ある雑誌に載った「ナチスのガス室はなかった」と言う論評に、ほとんど野犬のように噛み付いて来た民族の反応にはがっかりした。その民族は知性的な事、世界一を自認する民族ではなかっただろうか。ところがこの反応には知性のかけらもない。冷静な論議も何もなく、ただ、けしからんの感情論だけ。あとは記事を取り消せ、広告するなと声高に叫ぶだけである。本来言論と言うものは言論で反駁するものである。「ガス室はなかった」と言うのが偽りなら、「ガス室はあった」と論証すればいいではないか。それだけの話ではないか。これではかえって自分たちの嘘、偽りを覆い隠そうとする意図のようにさえ考えてしまう。

言論を力で圧迫するやり方はファッショ的であると教えてくれた
のは彼らではなかったのか。私はこういう事に関心のないごく普通の主婦の口から「今まで、ナチスのガス室はあったと思っていましたが、かえって今度の事件で、無かったのではないかと思うようになりました」と言うのを間いた。この一連の騒ぎを見ながら、「ドラえもん」と言う漫画のジャイアン少年を思い出した。彼も自分の意見が通らないと、腕力と脅しで相手を黙らせる。しかし、ジャイアンには怖いお袋さんがいるが、今やこの民族を押さえ付けるパワーは地上にはありそうもない。私はこれから書くことにためらいと葛藤がある。本当はこんな事は書きたくないのだ。

しかし、次々と新しい情報が
入って来る。それらの多くはすでに実際に起こっていることだから否定しようもない。こんな暗いニュースは知りたくない。何でこんな役柄を振り当てられたのか恨みたくなる。お前が好き好んでやっているのではないかと言われる。もう、黙っていようと思う。しかし、旧約聖書のエレミヤという預言者のように「燃える火のわが骨のうちに閉じ込められているようで、それを押さえるのにつかれはてて、耐える事が でき」ない。
 

ただしエレミヤと私が違うのは彼は神の預言者で、神から言葉を託されたが、私はこの世
の情報から押し出されて書いていると言う事である。私は預言者ではない。神の聖霊によって語っているわけではない。しかし、事実だけでも黙っていられないのだ、あまりにも多くの人々が迫り来る迫害と惨劇を知らないからである。私の知人たちは「もう、止めろ」と言う。「そんな暗い事ばかり調べてないで、神の救いと喜び、解放、病の癒し、繁栄、教会の成長」を語れと言う。しかし、それこそニューエイジそのものではないか。サタンは高笑いしている。

「クリスチャンを恵ませておけ、喜ばせておけ、病を癒し、繁栄させ、教会を成長させておけ。そして我々の計画には関心を持たせないでおけ。実
にスムーズに行っているではないか」確かに聖書の福音書と使徒行伝には神の力が人々を解放し、癒
し、繁栄させると書いている。しかし、一方で迫り来る飢饉、パウロに起こる迫害と弾圧、危険についても神の霊によって預言する預言者もいた。今アメリカや他の国々から来る預言者たちは耳障りのいい事しか話さない。次のような危機が現実に迫っていると言うのに聖霊(神の霊)は何も語らないと言うのか。何万人もの聴衆を集める神の霊の器と称する人々には迫害と惨劇は何も知らされていないと言うのか。
 
 
 

現在アメリカでは信じ難い準備が進んでいる。アメリカ全体が収容所になろうとしている。残虐な迫害と殺毅が計画されている。ナチスのドイツ、スターリンのソ連、毛沢東の中国、クメール・ルージュのカンポジアがアメリカで再現されようとしている。アメリカ共産党の党首ガス・フォールは、アメリカで今後六○○○万人が殺されるだろうと言っていると言う事も聞いた。その最大のターゲットは新世界秩序に従わないクリスチャンであることは言うまでもない。彼らの言ったことは必ず実現している。彼らは世界の人口を3分の一に減らそうとしているのだ、六○○○万だろうと1億だろうと物の数ではない。テックス・マーズ氏によればウイリアム・パプスト氏はすでに一○ケ所以上の強制収容所や精神病院が建設されていると一九七六年に本を書き、訴訟を起こしたが彼自身が行方不明になってしまったと言っている。一九九四年の時点でそれは23カ所になっていると言う。

収容所の運営のための実務者と
して若い高校生のエリート学校が建設されている。国連の名の下にロシアを始めとする大量(何万とも何十方とも言われる)の外国人がアメリカ国内で軍事訓練を受けている。それは危機の時にアメリカの軍人はアメリカ市民に発砲しないかも知れないからだと言う。今やアメリカは目に見えない大きな鉄格子に囲まれつつある。まだそれは少しだけ末完成の部分があるが、やがて全て塞がれる日も間近いだろう。アメリカの教会と国民はそんな事には一向関心を持たず、幼児のように無邪気に遊んでいるのだ。
 

プロローグ:

 今世界中で進行している悪魔の計画とは

日本という国家がなくなる日は近い

数ケ月前、奇妙な記事が新聞にのった。もっとも奇妙なと思ったのは私だけだったかもしれない。それは「フィアット社をイタリアの政府が援助する事をEUが許可した」と言うものだった。そこにはフランス政府のプジョー社への援助も同様にEUの許可を得たと書かれていた。私はこの何気ない記事に非常な違和感を感じた。なぜ、イタリヤ政府が自国の企業を援助する事をEUに許可されなければならないのだろう。その頃、やはりヨーロッパ諸国でEU議会の選拳が行われ、国によっては国会議員の選挙と同時進行しているような所もあるようだった。山下清氏ではないがフランスではEUの議員とフランス国会の議員とではどちらが偉いのだろうと思った。EU(ヨーロッパ連盟)それはEEC(ヨーロパ経済機構)からEC(ヨーロッパ共同体)を経て成立したヨーロッパ統合の夢の実現である。

そしてそれはイギリス、フラソス、ドイツ、
イタリヤなどの国々の終焉を意味している。これらの国々では今や自分たちの国が無くなろうとしているのだ。かつて、イギリスと言う国があった、フランス、ドイツ、イタリヤと言う国があったと言う日が確実にやってくるのである。そしてそれは、日本にも言える事なのである。「かつて日本と言う国があった」と言う日が来ようとしている。この事を日本人は緊急に理解しなければならない。ヨーロッバ諸国にとっては国家を統合すると言う事はそれほど難しい事ではないかも知れない。すでに歴史上幾度も国境線が引き直されているのだから。

しかし、日本にとって国家がなくなると言う事は一度も経験し
た事がない事態である。ヨーロッパ文化はアジアに比べて均質である。姿かたちにしたって我々にはイギリス人とドイツ人の違いなど分かりはしない。言語にしても日本の方言ぐらいの違いしかないように思える。食べるもの着るもの、そして何よりキリスト教と言う非常に強固な同一の宗教を持っている。
一方アジアは姿かたちも違うし、言語、食べるもの着るものも全く違う。宗教も違う。そして何より
我々には統合する必要など全くない。それにも関わらず、間もなく我々はEUを拡大したヨーロッバ帝国を中心主する、世界政府の下に国家という形態
を失い、せいぜい、州か県ぐらいの独立性しか認められない事になろうとしているのである。

世界連邦とか、世界は一家、人類は皆兄弟とはそういう意味なのである。世界連邦。この言葉にひかれる人々も多いのではないだろうか。世界が一つになり、戦争をやめ、共に助け合って生きる。なんとすばらしい事だろう。「宇宙から見ると、国境線はありませんでした」宇宙飛行士がいささかセンチメンタルに語るこの言葉も分かろうと言うものだ。しかし、この一大事業を遂行している巨大な組織ないしは人々が目指しているものはそんな乙女の祈りの実現を目指しているのではないのだ。

ルワンダもエイズも人口削減計画の一環

私は九三年と九四年「悪魔最後の陰謀」「続・悪魔最後の陰謀」といういささかセンセーショナルな名前の本を出版してこの巨大な陰謀について警告した。多くの人は真面目に受けとってくれたようだが、しかし、ほとんどの日本人は相変わらず無関心である。これが私には不思議でならない。今、自分の国が無くなるうとしているのだ。日本というこの二六○○余年(原田常治氏の優れた研究によれば実際には一九○○年ぐらいらしいのだが)の歴史ある国が独立国としての形態を失おうとしているのだ。それが発展的解消、世界連邦の1州としてそこそこの独立性を認められ、民族性、精神性、経済活動を尊重されるというならまだ許せるが、この陰謀者たちが行おうとしていることは、奴隷的社会主義であり、統一宗教の押し付け、
ブライバシーの極度の侵害、かてて加えて人口の大幅減少、すなわち大量の殺毅であるとすれば到底無関心ではいられないと思うのである。

それにしても戦後の日本は厳密な意味で果たして独立国だったの
だろうか。確かに政府はあった、行政は行われていた。しかし、肝心の事となると常にアメリカの意向を尋ねなければならなかった。日本は籠の鳥であった。籠の中でだけ生存を許されていた。その籠を理解しなかった田中角栄氏は葬り去られた。一九九五年の時点でこの寵の制作者たちは方針を変えたように見える。彼等はすでにヨーロッパの国々の独立をあからさまに制限し始めている。そして日本にもその方針は向けられている。かろうじて守られてきたかに見える日本の独立は、ついに息の根を止められつつある。国連のPK○活動はその一環である。

今や世界は一つとなる。国家は失われる。日本と言う国
は無くなる。といってもすでに一部は無くなっているのだが。日本が無くなる時、皇室はどうなるのだろう。一九九四年七月アメリカを訪間した平成天皇がニューヨーク空港に着いたとき、タラップの下に迎えに出た人物は誰あろうあのデ
イビッド・ロックフェラーその人だった。今、世界でデイピッド・ロックフェラーがタラッブの下まで出迎えに行く人物はそう多くはないことだろう。

昭和天皇の時もそうだった。クリントンなどはむしろ
ロックフェラー家に参勤交替でもしているのではなかろうか。そしてクリントンの天皇歓迎の晩餐会はエリザベス女王の時のものよりフォーマルだったと伝えられている。一体これは何を表すのだろうか。彼等は日本の皇室をどうしようとしているのか。なぜ、ロックフェラーはかくも日本の皇室を歓侍するのか。現在の天皇、皇太子、秋篠官と、その配偶者はすべて民間から選ばれた。この方々は皆、優れた素晴らしい女性たちであったが、これは皆、偶然なのだろうか。

それとも皇室自身が過去の日本と訣別
されたのであろうか。これは日本が無くなることの前兆なのだろうか。アフリカのルワンダにおいて進行しつつある動乱による信じ難い数の死者は、彼らの言う人口減少の実施ないしは実験かも知れないと、私やこの事に気付いている少数の人々は見ている。とりわけこの動乱で私が注目しているのは、この人口滅少作戦(作戦かどうかはまだ分からないのだが、あえてそう考えて見る)にはほとんどコスト
が掛かっていないと言う点である。ほんの一握りの荒らくれ集団に武器と金を与え、おだてればたちまちゲリラが出来上がる。あとはどこかの小さな放送設備から「危険だぞ、どこそこに逃げろ」
と放送すれば、砂漠だろうと湿地帯だろうと何百万人という難民が着のみ着のままで集まってくる。


ともと人間の住む条件など皆無の土地なのだから、飢餓、伝染病によってたちまち何万何十万という死者が出る。大量の武器も弾薬もいらない。安いものだ。その頃、日本の松本で奇怪な事件が発生した。ほんのどこにでもある住宅街で、サリンという軍事兵器の毒ガスが七名の死者と数十名の被害者を出した。この事件の不気味さは、だれが何の目的でやったか分からず、しかも、未だに犯人が全く特定できない点である。このガスがサリンならそんな簡単には扱えないと言う報道を見聞きするにつけても、どこか戦後の不可解な事件との共通点を感じないではいられない。

私がこの事件をあえてここで取り上げ
たのは、第二次大戦中からアメリカで作られたサリンは一万五○○○トン、人類を四○○○回も殺す事が出来るという報道に触れたからである。これは核兵器など及びもつかない恐ろしい兵器ではないか。しかも、低コストであり、核兵器のようにその地域を破壊し尽くすと言う事がない。しばらくたてばまた使用可能である。こうしてみると人口滅少など、どこでもいつでも簡単にやってのけられるのだなあと思わされたのである。もっと直接的に言うと松本だろうと、新宿だろうといつでも数十万、数百万人を殺す事が出来ると言う事なのである。
 
 

この事件の直前に松本市で旧日本軍の化学生物兵器の研究部隊、七三一部隊の展示会があったと言う報道があった。毒ガスと七三一部隊はあまりにも親しい関係である。そしてこの部隊の関係者は戦後アメリカ軍にその研究の成果を引き渡すことと引き替えに戦犯となることを免れたという話がある。これは彼らがその後もアメリカCIAないしはその上部団体であるイルミナティの支配下にあると考えられるのである。七三一部隊についてはさらに奇怪な噂を間いた。

九四年八月に横浜でエイズ会議なるものが開
かれ、皇太子ご夫妻までが出席された。前著にも書いたように、エイズのキャンペーンほど不思議なものはない。本来エイズは恥ずかしい病気のはずである。昔から性病は恥ずかしい病であった。ところがエイズは「エイズであることはちっとも恥ずかしくない、それを公表する事は勇気ある立派な行動である」とされている。大江戸八百八町の熊さんだって言うだろう。「てえへんだ、てえへんだ、八さんよ、えれえ学者さんが言うには、なんでもえいずてえのは由緒正しい高貴な病だそうだぜ」「そうかい、熊さん、そんじやあさっそく吉原へでも繰り出して、おいらんにうつしてもらってこようかい、おいらにも箔がつこうってものしやあないか」熊さん八さんもあきれるほどに異常なエイズに対する保護キャンペーンは、むしろエイズを広める
役割を果たすものだと言うアメリカからの情報を信じたくなるではないか。

もちろん私は血友病の方々
には深い同情を感じる。しかし、血友病のための血液製剤の輸入になんらかの信じ難いほどずさんなミスないしは意図的な工作があったと言う情報を私は聞いている。そのためにかつての七三一部隊の関係者が関わっていると言う。たかが噂を針小棒大に書くものではないと言われそうだが、これらの噂はもっと重大な事実と密接に関わって来るのだから無視できないのである。