遂にカトリック教会を崩壊させる

聖ピオー○世が一九○三年に即位すると、堅固に見えたカトリヅクの壁に危険な裂け目が現れた。慈悲深い「国際銀行家たち」は哀れみ深くもカトリック教会に浸透し、スパイを送り込んだが、まだ世界統一宗教の大切なパートは任せなかった。また世界統一政府の同調者にもしなかった。彼らは二○世紀はとりあえずカトリックをキリストの王国と言う状態にしておくことにしたのだ。一九○二年の聖職者会議で前のカトリック宣教師(Seminarian)でメーソンのラクロクス神父が法王ピオ11世として選ばれた。ラクロクス神父をローマに召喚したのは聖ピオー○世であった。ラクロクスは彼の遣志によりメーソンだったことが確認されている。ビオ11世は全てのメーソン司教によって与えられた僧職認証を自動的に継続することを禁止した。それはカトリック主流から分裂していたルファーブル派はメーソンの司教から僧職認証を受けていたからである。

この派の指導者ルファーブルは一九九○年に突然死ん
だ。ピオ11世は一九三○年代の非常に混乱した政治的陰謀の時代に生きた法王であった。一九三○年代のバチカンと世界統一政府の政策を検証すると、ますます疑惑がつのる。例えば、スペインの内乱は国際ユダヤと新ファシストの独裁者が招いたように見える。フランコ将軍と彼の財政的な後ろ盾はマラノ、改宗ユダヤ人である。フランコ将軍はまたグランド・オリエント・メーソンである。ピーター・ウイーデンはブランデーズ大学の記録保管係のヴィクター・A‐バーチがフランコ将軍に対抗した志願部隊リンカーン旅団の四○%はユダヤ人だったことを発見したと報告している。

さまざまの細かい過程は省くとして、戦争の結果は、共産主義者が一○○万ドル相当の金地金で蓄えられていたスペインの金保有を盗んでロシアに送ったと言う事である。輸送手段の一つであるソビエトの船コムソモールは一九三六年二月二日にオデッサに着いた。金はトラックに積み込まれ、モスクワのゴークランの貴金属倉庫に保管された。もう一つの結果はヒトラーがこの戦争でドイツの新兵器をテストさせることができ、軍事的機動力を復興させることができたという事である。もしドイツが彼らの軍事的能力をテストする機会を与えられなかったら、第二次大戦への歩みはもっと遅くなっていたことだろう。

さらに巨大な政治的作戦計画が計画されていた。コフリン神父はカトリック信徒に、来るべき危機に付いて瞥告し、ルーズベルトに反対して投票するように訴えていた。コフリン神父の長年のメーソンヘの警告の努力の最中に、法王の合衆国担当秘書宮バセリ枢機卿がやってきた。それは選挙に時を合わせて、ルーズベルトに対する法王の承認をアメリカのカトリック信徒に伝えるものだった。リベラ博士によればバセリ枢機卿はユダヤの血統である。バセリ枢機卿はレーニンと法王の協定、ロシア正教会がカトリック教会に取って代わるアブロマンハッタン協定の推進者であったことをご存じだろうか。バセリ枢機卿はその後、ピオー二世となる。彼は「妥協の名人」だった。

ルーズベルトは一八六七年から正式には途絶えていたパチカンとの外交関係を確立した。ヨハネ23世は貧しい生まれであった。彼の名はジ
ョセッペ・アンゲロ・ロンカリーと言った。七七歳になったとき彼は法王ヨハネ23世となった。しか
し、このヨハネ23世と言う名はいわくに満ちた名であった。これは一四一五年、反法王(偽名者)として破門された人物の名で、その後どの法王もあえて使用しなかった名だったのである。ヨハネはフリーメーソンの守護聖人の名であり、メーソンにとっては重要な名である(聖書やキリスト教とは何の関係もない)。パリ国立図書館にはヨハネ23世(ジャン・コクトー)と呼
ばれている人物が『シオンの長老」(ダビデの血統を自認するメーソン秘密結社)のクランドマスターだったと言う書類が存在する。

ロンカリーが、反法王のヨハネ23世が、自分の義妹を含めて二○○人以
上もの女性を誘惑した人物だったと言う事を知っていて、あえてその名を採用したという事にはよく考えて見るぺき理由がありそうだ。第一次世界大戦の時、ロンカリーは従軍神父として傷病兵を看病しミサを行った。この時期彼は強く平和を希求して、政治には関わりたくないと兄弟に手紙を書いている。
しかし、パチカンでは彼は政治に関わらないわけにはいかなかった。彼が平和を持ったのはユダヤ人たちとであった。彼は法王になった時、ユダヤ人がひどく嫌がっていた「良き金曜日」の礼拝式の言葉を廃止した。彼はユダヤ人を事あるごとに「兄弟」と呼んだ。一九三五年ローマ法王使節としてトルコを訪れた時、彼は薔薇十字団に入ったとある本に書かれている。

第二次大戦の時、彼はギリシャにいてそ
の後フランスに戻った。パリはあらゆるオカルトの秘密組織の神経中枢の都市であり、とりわけ薔薇十字団の本拠がある。興味深い事に一九五二年からユネスコの聖司教(Holy see)の永久オブザーバーはロンカリーである。ユネスコはニューエイジ宗教の推進者としてメーソンが発明したものである。戦後アメリカCIAはヨーロッパのメーソンロッジの再建に資金を提供し、カトリックヘも巨額の援助を与えている。

第ニパチカン公会議はユダヤ勝利の祭典

この時のCIAエイジェント、枢機卿プィクター・マルロチェッチが法
王パウロ六世となった。

コンスタンス・カンベイは彼女の著書『虹の隠れた危険』の中で「ローマカトリックの中にニューエイジの計画の根を植え付ける事を許した法王を一人あげるとすれば、それはヨハネニ三世であろう。彼はニューエイジとカトリック近代主義者から特別の尊敬を持って迎えられている」と書いている。第ニバチカン公会議はカトリックが異教を公認した最初で最大のターニングポイントである。それは正確にフリーメーンンの教義に従っている。例えばそれはだれでもその信じ従って居るところに忠実なら救われるとしている(キリスト教においてはキリストの贖罪だけが人を救う)。ヨハネニ三世はカトリック教会をフリーメーソンにするだけではなく、反共産主義の姿勢をも変えさせたこの会議の発起人に名を連ねている。ヨハネ23世はその全精力をこの
 
 

会議の成功に傾けた。それが彼の死を早めたのだとある者は言っている。第ニバチカン公会議に先立って彼は書簡を送ったがその中で、この会議の目的は「人類の一致による千年王国の実現である」と言っている。第ニバチカン会会議の議事録を全て研究したスプリングマイヤー氏によれば第ニパチカン公会議はカトリック教会の最後の権威には干渉せず、手をつけなかったという。キリスト教会の最終権威である『聖書に基づく』と言う事を否定はしなかった。『聖書と伝統に基づく』教会の権威は残している。依然としてそれは彼らの権威として表面的にはかろうじて残存している。キリストは沈黙させられてはいない。教会はキリストを信じている。

だからカトリック教会は自ら不可謬であると宣言し続ける
事ができるのである。これは実に巧妙な方法である。カトリック教会は形だけは残されているが、中身を食ぺ尽くされた西瓜のようになっている。さらにカトリックのヒェラルキーと権力は手をつけられないで残された。一九六三年、ヨハネニ三世はローマカトリック教会を共産主義との合成に近づけた。ま
た保守主義者との中立化を図るために彼の見解に好意的な一二人の枢機卿を追加任命した。興味深いのはヨハネニ三世はカラフルな儀式を行うスイス護衛隊を免職してしまったことである。彼らは法王の住居の外庭で寝ずの番をしていた。
同じ頃、法王の全般的な警護担当者から非常に多くの苦情が出た。この大幅な変更は、法王が秘密の組織とコンタクトすることが出来易くするためであったと見られている。