ユダヤ教に乗っ取られたカトリック教会

 

 

ここであらかじめ読者にご注意申し上げるが、この本の元になった資料の提供者フリッッ・スプリングマイヤー氏はカトリック信者ではなくブロテスタントである。それで氏はあえて、これから書くことについてわざわざその研究はカトリックに批判的な文書からではなく、まったくカトリック内部の文書のみを用いたといっている。実際、氏の資料には膨大な原資料のリストがあるのだが、この本は読者が読みやすいようにそれらを一切排除した。もしそれら全てを書いたとしたら、それだけで別の本を作らねばならない。また、このテーマ自身、本当に書いたならば何冊の本にもなるであろう。さて、一般には蛇とマングースのように見られているカトリック教会とユダヤ教が、実はほとんどユダヤ教カバリストに乗っ取られ、ついには法王すらユダヤ人となって久しいと言う事をご存じだろうか。

今日では法王庁すら世界統一政府のために、ニューエイジの創設に力を注いでいるのだから変われば変わったものである。とくに第ニバチカン公会議
  (一九六二年から六五年にかけて開かれたカトリック最高の会議)以来、まさに地滑り的にそれは進んでいる。一般信徒はその変わり方をあれよあれよと見守っている。その背景を順次検証して見よう。まず、概観から、そして個々の法王とユダヤカバリスト、フリーメーソンの浸透について検証する。カトリックにおけるイルミニズム(啓明される、特別な知恵知識を得る、霊的に高められる)のもっとも古い思想家は一七世紀のフロリスのヨアキムであった。

彼はこれをユダヤ・カバリズムの黙示文学から影
響を受けてクリスチャンのべールの下で「イルミネイトされた者たち」というグループを作った。ヨアキムは特別にイルミネイトされた種族が世界の管理に向かわなければならないと信じていた。この思想はその後、セブンスデー・アドベンチスト、エホパの証人を初めとする多くの宗教集団に受け継がれている。トマス・アクイナス(一七世紀カトリックの有名な神学者)はこの思想に強く反対してその著書『神学大全』の中で攻撃している。しかし、この思想を、彼らは「神の計画」The divine planと呼んでその後も長く継承して行った。「イルミネイトされた者たち」すなわち高度に発達した人間の典型的な実例はトーマス・エジンンやその友人ニコラ・テスラであるという。

エジンンの協力者ジョージ・ストリ
ン グフェロー、エパレット・フレイザーはフリーメーソンであった。では、人はどうやってイルミネイトされるのだろうか。言い換えればどういう人間がイルミネイトされた人間なのだろうか。イルミネイトの方法は種々あるがそれは奇妙なことにヒンヅー教の教えと共通している。麻薬、踊り、チャネリング(霊交)、儀式、知識の直感などである。これらは古代のエジプト、インド、バビロンの神秘主義の教育の方式であった。一方、キリスト教会はこれらを「悪霊の領域」として拒絶してきた。史上最高の発明者といわれるニコラ・テスラは極めてオープンに彼の天才は「知識の直感」から来ると言っている。

ほかの科学者たちもその才能はイルミネイトされた外部の源泉から来るのだと言っている。前章に述べたように旧約聖書の外典エノク書にはかの堕落天使たちが多くのテクノロジーを人間に教えたと書かれている。今日それは宇宙人とか、エイリアンなどの名前で登場している。
 

日本の読者にとって、これは
少しも悪い事ではないと思われるかもしれないが、ユダヤ人と欧米人にとってはこのような思想は明白に神への背信なのである。ユダヤ教の場合は
モーセの律法で蔡じられている。またキリストは自分を「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは父のみもとへ行くことはできない」と言われた。「イルミネイトされた者たち」はキリストとその教えに従わず、全能者なる神を畏れない。彼らは自らが神になろうとしているからである。また、あらゆる仮面をつけてルシファーへの礼拝を行っている(私はエジソンやテスラがそれを知っていたのか、また行っていたのかは知らない。

また、その様な知恵と知識が無かったら今
日の全てのテクノロジーが無かったのかどうかも判断できない。また知恵と知識が全て堕落天使からのものであるとも思えない。ここでは神への背信だけにスポットを当てている)。イルミナティの中心はユダヤ・カバリストである。そしてイルミネイトされたユダヤ・カバリストはすでに中世からカトリック教会に浸透した。法王レオー○世(フィレンツのメジチ家のジョパンニ 一五一三年〜二一年)はカバラに興味を持った。メジチ家はイタリアの名家でレオニ世、クレメント七世、レオー○世などの法王を輩出した。メロビング王朝時代にはステファン九世もそうである。ユダヤ人の書いたものの中で、スペインにおいていかに広範に彼らがマラノとして、外面的にカトリック信者になりすましたか自慢したものがある。

実際カトリック教会自身が
その様に取り計らったふしもある。その特別な実例はトレドの町が彼らに贈られた事である。トレドはイルミニズムの中心の一つであった。一四八五年五月二四日、トレドに異端審問所がやってきた。暴行が行われる前に「哀れみの時」が与えられ、この期間に約三○○○人のスファラディ・ユダヤ人が「改宗」した。その時点でトレドの人口」は一万五○○○〜一万八○○○人だったことを考えるとトレドがいかにユダヤ人の町だったか分かるであろう。

しかもこれらのユダヤ人はトレドの有力な市民たちであ
った。これらのスフアラディー・ユダヤ人たちは五○○〜七○○人のグループを作ってトレドの町を教会に向けて行進し、自分たちの罪を公に告自した。さらに彼らはアルコールや儀式といった彼らのライフスタイルを禁止し、いわゆる「ディサブルド」無力化をしたようにみせかけた。しかし、すぐにこれらの禁止は、なし崩しに回復した。結局、起こった事はカバラ信仰を持ったユダヤ人が名目だけカトリックに入り、彼らのユダヤ教を隠したと言う事だった。それどころかもっと悪い事が起こった。彼らはその名前をヨーロッパ的に変え公の記録すら改訂したので、その後だれがユダヤ人でだれがそうでないか判らなくなってしまったことである。もっとも、このような手段を講しなければならないと言う事は
ユダヤ人にとって気の毒
なことであるし、ユダヤ人が自分たちを防衛するために知力を尺くす事になったのは、ヨーロッバ・カトリック社会の罪であり、そのつけを今、払っているということなのかもしれない。

スペインのクイティズム「静寂主義」を率いたミカェル・ド・モリノスはイルミニズムと協力していた。ユダヤ人は占星術師であり、魔術師であり、金貸しであったから、ヨーロッパのカトリック王たちはしばしばユダヤ人に媚びを売った。クリスチャンは金にどんな関心も持ってはならないとされていたから、ユダヤ人だけが金貸しとなっていたのである。王や諸侯が戦争や浪費のために金が必要となった時、彼らはユダヤ人の金貸しのところに行った。カトリック・ヨーロッパ諸国は中国と貿易をしていたが、それはユダヤ人
に管理されていた。イタリヤの銀行はその遣産である。マルコ・ポーロが一二八六年に書いた本の中には中国においてユダヤ人が交易だけではなく政治的な力さえ持っていたこと、また、フランク王国と中国、インドとの交易も行っていたことが書かれている。結局、歴史の裏側ではヨーロッバ諸国はユダヤ人によって管理されていたのだ。

ユダヤ人はこれを誇り、それゆえ自分たちが世界も支配するのだと言
っている。ユダヤとカトリックの綱引きにおいて、いつもユダヤ人の方が狡狙だった。
カトリック教会はュダヤ人を特別な脅威と見なしたが、その対策はいつも不適切で、誤導し、不十分だった。カトリックが恐れたユダヤ人の脅威は主に二つある。一つは新しいメシヤの秘密の血統を守っている事(これにはプリェール・ド・シオン「シオンの長老」と言う組織が当たっている)。もう一つはタルムードである。タルムードはマルチン・ルターの改革のころにほぽ完成したが、明白に異邦人世界の征服と破壊を宜伝している(タルムードの完全な版を入手する事は非常に難しい。今、完全と言われている物は部分的なものであり、それすらそう多くはない)。

カトリックの最高首脳はメシヤの血統を
破壊し、その問題を押さえ込もうとした。また、タルムードを無きものにしようと、一二四四年パリで焚書にした。それは他の都市でも引き続いて起こった。しかし、何と言うまずい方法だった事だろう。思想と言うものは決して物理的な圧力では失われはしない。むしろ、逆効果ですらあると言う事を歴史は教えて いる。ところが事態は複雑になる。

カトリックはイエスの血統(ダビデの血統)と言われるものを恐れ
ていながら、内部にすでにユダヤ・カバリストを多数抱えていた。そして十字軍を起こしたカトリックの法王はダビデ王とイエス・キリストの血筋と彼らが考えている秘密の血統の要請によって十字軍運動を促進したのである。要するに、カトリック内部のユダヤ・カパリストが自分たちの土地と考えているパレスチナの奪回に動いたのである。これはまったくフリーメーソンのオカルト信仰から出ていた。よくある事なのだが動機と言うものはしばしば複雑なものである。

十字軍はカトリック教会のイスラム教
による恐怖の征服に対する反撃であった。しかし、これまたよくある事なのだがカトリックの最大の敵はカトリック教会自身だった。ある元カトリックの司祭によれば、モハメッドの財政を助けたのはカトリック教会だったのである。モハメッドは当時あの一帯を覆っていたキリスト教の異端ネストリウス派からその宗教的な知識を得ている。コーランは旧新約聖書をひどくいい加減に解釈した書物である。十字軍の中で最も有名になった聖堂騎士団(ナイトテンブラー)はこの血統を自認する
カトリック僧侶(必ずしもユダヤ人とは限らない、オカルト的信仰の持ち主)の軍隊だったという。そしてもしタイミングが良ければ新しいダビデ王の即位を公表するはずだった。聖堂騎士団は次第に人数と財産を増加させてヨーロッパの優勢な権力にのしあがった。

しかし、余りにも彼らのカが増大する事
を恐れた法王の協力によって、フランスの王が彼らのスケジュールをひっくりかえしてしまった。彼らはフランスで弾圧され、スペインとスコットランドでは非力な集団になった。ドイツではチュートン騎士団になった。その後、スペインとポルトガルでは結社を作ってクリストファー・コロンプスをバックアップする。コロンブスは船のマストに赤十字の旗を掲げたが、あれは聖堂騎士団のマークである。この赤十字はその後フリーメーソンの聖堂騎士団のマークにも使われている。コロンプスはギリシャ人だという歴史家が多いが本当はギリシャ出身のユダヤ人である。彼は一貫して強くカトリックの信仰を表しているが、そのもっともらしい表側の裏で、彼は秘密の結社と強い結び付きを持っていた。彼のサインは暗号である。またコロンブスの航海を助けたのは、著名なプラトニストで、多くの秘密結社のパトロン、黒い貴族メジチ家のロレンツオである。
 

 イルミナティの計画実行班イエズス会

イェズス会は神秘主義者ロヨラの聖イグナチウスによって創設された。一九一四年版の『カトリック百科事典』V16によればロヨラのイグナチウスとアヴィラの聖ヨハネはスペインにおけるイルミナティに関する異端審問の前に連れ出されたという。すなわち彼らもユダヤの血統かさもなければ最高度にイルミネイトされた、言い換えればユダヤ化された異邦人であったのだろう。このカトリックの資料によればイルミナティは彼らが「神のエッセンス」になると信じていた。また最高度な完全さというものは、一切の活動を排除し、自己をただ神に吸収されることだという。彼らによれば肉の欲望や行動は罪深いものではなくその中に溶け込むべきものだという。この見解はヒンヅー教の教えである。イェズス会結社はイルミニストでカトリック教会転覆の秘密の使命を帯びた集団であった。

例えば、有名なパパリ
ア・イルミナティはババリアのインゴルシュタットにイエズス会が作った大学で作られたものである。このイルミナティ支部を作ったアダム・ヴェイス
ハウブトはユダヤ人イエズス会士である(私は最初の本『悪魔最後の陰謀』でアダム・ヴェイスハウプトがユダヤ人としてイェズス会の僧侶に教えられたために、生涯キリスト教に憎悪を持つようになったと書いた。当時はその程度しか匁らなかったのだが、思えば無知だったものだ。アダム・ヴェイスハウ
プトがフリーメーソンの中にイルミナティを作ってフリーメーソンを陰謀組織にしたなどという情報しか知らなかったのだがイルミナティはアダム・ヴェイスハウプトのはるか前からあったのだ)。

イエズ
ス会は清貧、貞潔、聖地巡礼の誓いをたて、法王の命令には「死体のように運ばれ、盲人の杖のように用いられる」とした。この徹底した姿勢のために宗教改革によって動揺弱体化したカトリック教会に新しい息吹を与え、宗教改革に対抗する勢力の中心的存在となり、ついにはカトリック教会そのものを左右する勢力となって行った。イエズス会はカトリック内部に巣食った獅子身中の虫であり、カトリック
を完全に転覆破壊し、ユダヤ・カパリズムの巨大な宿主にしてしまった。ただし、それにもかかわら
ず、一般のイエズス会士と信徒とは真面自に神を礼拝し、生涯を神に捧げていた事を忘れてはならな
い。アダム・ヴェイスハウブトの後ろに、ニコライという男がいた。

彼はベルリンにイルミニズムを宣
伝する文学者のグループを作ったのだが、このニコライの後ろにレッシングと
メンデルスゾーンがいた。ゴットポルド・エフライム・レッシングはこの反キリストの男ニコライをサポートし、文学を通して協力した。また、モーゼス・メンデルスゾーンの回想録にも彼がニコライを支えていたことが書かれている。モーゼス・メンデルスゾーンは世界政府である「ユダヤ・カハール」のメンバーである。彼はユダヤ思想家で千年至福期説を教えたマイモニデスとメーソンであるロックに影響を受けた。間もなくロスチャイルドと他の強力なユダヤ人たちがアダムヴェイスハウプトのパパリア・イルミナティに加わった。この時代、ユダヤ人コミュニティは相互に連携し、秘密の情報はヘブル語で書かれた。

ヘブル語は当時ほんの少しの学者にしか読めない言語であったから秘密を守る上で非常
に安全であった。ポーランドはその地政学的な価値からフリーメーソンによって民族全体が滅ぽされ
た。また、フランス革命はジャコバン党(ジャコブとはイスラエル人の祖先ヤコブのこと)を含むイルミナティのいくつかの結社によって計画され実行された。そして無数のカトリックの聖職者たちが情け
容赦もなく殺された。フランス革命の後、ナポレオンとその四人の兄弟たち(そのいずれもフリーメー
ソン)が引き続きカトリック教会の力をそぎ続けた。

ナポレオンは法王の現世的な力を打ち破り、パリ
にあるほとんど全てのバチカンの公文書
保管所を捕獲し、いろいろな結社の学者たちがその分析を始めた。これが十分な効果を表わさなかったらマッツイー二とガリパルディがイタリヤで革命を起こし、メーソンの政府を立てるはずだった。イエズス会のカトリック教会支配の構造はかなり厳重に守られていた秘密であったが、一部のものには知られていた。イタリヤではイエズス会の総会長がその権力をあまりにも行使するので、黒い法王と呼ばれた。時には、あまりにもその権力の行使が目に余るので、全てのカトリック教国がイエズス会を追放したこともある。もっとも現代においては黒い法王も白い法王も(表と影のという意味)変わりはない。

唯一の例外はヨハネ・パウロ一世がイエズス会総会長アリューブとその代理人パウロ デザにすげ替えられた事ぐらいである(ヨハネ・パウロ一世については後述)。

元イエズス会士だったというアルベル
ト・リベラ博士は一九六○年代初期に、イエズス会の総会長がフリーメーソンであり、ロンドンのイル
ミナティと堅いつながりがあると知ったとき非常にショックを受けたという。なぜなら、イエズス会で
はフリーメーソンは敵だということに留意せよと教えられていたからである。ただし、同博士には疑間点が多い。