NO. 743 火の柱、雲の柱

”使徒の働き 2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』”
 

本日は、火の柱、雲の柱という題でメッセージしたいと思います。
テキストに沿って見ます。
 

”16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。”
 

この場面はペンテコステの日、聖霊降誕の日のことです。
そして、それは、かつてヨエルによって預言された日のことである、とペテロはいっているわけです。

ヨエル書では、この部分は以下の様に記されています。

”ヨエル書 2:28 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
30 わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。
31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
32 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。”

使徒行伝とは、以下の記述が異なります。

”30 わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。”

ヨエル書では、神が、その時代に天と地にしるしをあらわし、
それは、「血と火と煙の柱」であることが描かれているのです。

柱ということばで思い起こされるのはあの出エジプトの日の
雲の柱、火の柱です。以下のように書かれています。

”出エジプト記 13:21 主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。”

主御自身が、出エジプトしたイスラエルの民を、雲の柱、火の柱として、導かれたことが
書かれていたのです。
この雲の柱、火の柱の導きは正しく、神の民、イスラエルは後の日に入るべき、約束の地に
入ることができました。この約束の地は、新約のクリスチャンが入るべき天の御国の型です。

さて、そのようなわけで、今の時代の我々も正しく天の御国に入るには、雲の柱、火の柱に
導かれる必要があることがわかります。今の時代における雲の柱、火の柱とは何でしょうか?

それは、明らかに聖霊の働き、導きなのです。
かつて起きた出エジプトは型であり、後の日に再度繰り返されることの預言です。

それは、真の神の民がエジプト化した神の民の間から出て来ることを意味します。
そういう意味では、ペンテコステのこの日も出エジプトの日なのです。
この世についた当時のユダヤの民、この世的な、人間的な聖書解釈に明け暮れ、そのあげく、
送られてきた神のひとり子を認め得ず、十字架につけてしまい、神の怒りをかう、エジプト化した神の
民の間から、ペテロ、ヨハネを始めとした真のイスラエルが出エジプトしようという、その
時が、ペンテコステの日なのです。
 
 

”17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。”
 

さて、出エジプトの日においては、目に見える雲の柱、火の柱としてあらわれた神御自身ですが、
しかし、ペンテコステの日には、そのような形で、現れはしませんでした。
そうではなく、上記の様に、預言、幻、夢という形で現れたのです。

このような形、預言、幻、夢という形で、聖霊が働くこと、これが、ペンテコステの日に
おける雲の柱、火の柱なのです。
そして、その導きにより、新約におけるペテロ、ヨハネ達は入るべき御国にはいり、行うべき奉仕を着実に行えたのです。
実に尊いのは、ペンテコステの日の雲の柱、火の柱であり、彼らを着実に導いた、
聖霊の顕著なたまもの、預言、幻、夢なのです。
そのような視点でこの箇所は読み取るべきと思われます。
 
 

「息子や娘は預言し」

神はペンテコステの雲の柱、火の柱として、預言のたまものを下す、と語られました。
そして、そのたまものは、確かに雲の柱、火の柱として、初代の教会を導きました。
たとえば、以下のとおりです。

”使徒の働き 11:27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。
28 その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。
29 そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。
30 彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。”

この当時の教会には、御霊のたまものとして、預言のたまものを持つ、
預言者の働き人がおり、そのたまものを通して、これから起きるききんについて
預言がされ、それをもとにユダヤの兄弟への救援が行われたことがわかるのです。

「青年は幻を見、老人は夢を見る」

幻もペンテコステの日に大いに用いられています。たとえば、以下です。

”使徒の働き 9:10 さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。
11 すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。
12 彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」”

この日、幻を通して、サウロ、後の日の大伝道者、パウロの回心のための道が開かれました。
雲の柱、火の柱として、主が直接その方向を示してくださったのです。
 

また、ペテロにも主は夢を通して語られました。

”使徒10:9 その翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈りをするために屋上に上った。昼の十二時頃であった。
10 すると彼は非常に空腹を覚え、食事をしたくなった。ところが、食事の用意がされている間に、彼はうっとりと夢ごこちになった。
11 見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来た。
12 その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいた。
13 そして、彼に、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。」という声が聞こえた。
14 しかしペテロは言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」
15 すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」
16 こんなことが三回あって後、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。
17 ペテロが、いま見た幻はいったいどういうことだろう、と思い惑っていると、ちょうどそのとき、コルネリオから遣わされた人たちが、シモンの家をたずね当てて、その門口に立っていた。”

この夢は、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などを神が
ペテロに食べよ、と伝えた夢、解釈的には今迄、律法において汚れた者、避けるべき者として
扱われていた異邦人へ神のことばを伝える、そのことを語るものです。
いわば、伝道の大変換、転換を語るものです。
このことを神は夢を通して、弟子の筆頭格、ペテロに伝えたのです。
 

一つ、はっきりと知らなければならないことは、この時代には、旧約の神の民の集まり、
エジプト化した神の民の集まりも、ユダヤ教の会堂として、新約の教会と平行して存在していた、ということです。

どちらも、聖書を持ち、唯一の神を神として崇めていたはずなのです。しかし
、この2つの民の間には大きな差がありました。片方のこの世につき、エジプト化した民には、
雲の柱、火の柱の導きはなく、結果、入るべき所には入れない、しかし、
出エジプトし、雲の柱、火の柱、具体的には預言や幻、夢に導かれる神の民は、行くべき所を示され、
入るべき御国に入った、そのことです。

同じ神の民でもこのような差があったのです。
ペテロを始め、雲の柱、火の柱に導かれる民には、異邦人をどう扱うかということに
関して正しい方向性が示されました。一方、エジプト化した神の民、聖書は確かに持ってはいるが、
しかし、この世的な民には歩むべき方向性が示されず、従って、
旧態依然のように、異邦人を排除する、律法を守って義となる、道を歩むしか方法はなかったのです。
以下に私達に雲の柱、火の柱の導きが必要なのかわかります。
そして、それは、現在において、そうです、現在の終末のキリスト教会において、おおいに大事なことがらなのです。
 

さらに幻がペンテコステの時代、用いられた例があります。

”使徒の働き 16:9 ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。
10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。”

ここで、神は雲の柱、火の柱として、幻を通して、パウロにこれからの教会の宣教の方向性を示しています。

それは、マケドニヤへの宣教を通してです。
マケドニヤの歴史的な意味合いを考えてみましょう。
これは、あの有名なギリシャ、アレキサンダー大王の発祥地です。
ですから、マケドニヤとは、ギリシャ、ローマ文明、西洋文明の中心地とでもいえるでしょうか。
そこから、伝道をするということは明らかに福音は西回り、西洋がまず宣教されるとの神の
方向、順番が示されたのです。他の箇所では、「アジアで福音を語ることを聖霊が禁じた」とのことばもありますので、この方向は確かに神から来ているのです。

そのようなわけで、教会の宣教をどの方面から開始すべきか、ということに関しても、
神が雲の柱、火の柱として、具体的には幻を通して示して下さるのをここで見るのです。
そして、このようなパターン、雲の柱、火の柱に導かれるパターン、具体的には、
預言、夢、幻を通して導かれるというパターンが実は聖書的な方法であるということを知りましょう。

今の時代の教会、特に福音派においては、聖書は強調されますが、
聖霊のたまものは強調されません。しかし、出エジプトする民を、神が御霊のたまものをもって、
導くとはまさしく聖書的な方法であることを知りましょう。

私事ですが、当レムナント教会にも、
神からの預言、夢、幻が与えられています。
それによって、教会の歩むべき方向を示されています。
 

このことが、今の時代、どこもかしこも、この世的になり
エジプト化した教会において、非常に大事なことであることを知って下さい。

テキストに戻ります。

”18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。”
 

神のしもべ、はしためには、神の霊が注がれます。そして、預言が与えられます。このことが、
雲の柱、火の柱として我々を導くのです。

”19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。”

かつての日の天地のしるし、雲の柱、火の柱は新約の御霊のたまもの、
預言、夢、幻です。それをもって、新約の民は導かれるのです。
 


20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。”

太陽、月は器をさします。
闇は真理の光が消えること、血は悪霊の働きです。
ですから、終末の日の前にエジプト化した教会において、太陽に比せられる
器もその真理が消え、闇となる、また、月に比せられる器もその霊は神の霊というより、悪霊からのものとなる、そのことをさすのです。
まさにエジプトの悪霊の災いがエジプト化した教会に臨むのです。
 

”21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』”

そのような時代ですが、主の名を呼ぶもの、聖霊に導かれる者には救いがある、
そのことが語られています。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー -----------------------------7db1ee381032e Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream