NO. 734 バビロンに滅ぼされるツロ(2)

テキスト:エゼキエル26:11 彼は、馬のひづめで、おまえのちまたをすべて踏みにじり、剣でおまえの民を殺し、おまえの力強い柱を地に倒す。
12 おまえの財宝は略奪され、商品はかすめ奪われ、城壁はくつがえされ、住みごこちのよい家は取りこわされ、石や、木や、ちりまでも、水の中に投げ込まれる。
13 わたしはおまえの騒がしい歌をやめさせる。おまえの立琴の音ももう聞かれない。
14 わたしはおまえを裸岩とする。おまえは網を引く場所となり、二度と建て直されない。主であるわたしが語ったからだ。「「神である主の御告げ。「「
15 神である主はツロにこう仰せられる。刺された者がうめき、おまえの中で虐殺が続けられ、おまえがくずれ落ちるとき、その響きに、島々は身震いしないだろうか。
16 海辺の君主たちはみな、その王座をおり、上着を脱ぎ、あや織りの着物を脱ぎ、恐れを身にまとい、地面にすわり、身震いしながら、おまえのことでおののき、
17 おまえについて、哀歌を唱えて言う。海に住む者よ。おまえはどうして海から消えうせたのか。海で強くなり、ほめはやされた町よ。すべての住民を恐れさせたその町とその住民よ。
18 今、島々はおまえがくずれ落ちる日に身震いし、海沿いの島々はおまえの最期を見ておびえている。
19 まことに、神である主はこう仰せられる。わたしがおまえを廃墟の町とし、住む者のない町々のようにするとき、深淵をおまえの上にわき上がらせ、大水がおまえをおおうとき、
20 わたしがおまえを穴に下る者たちとともに昔の民のもとに下らせるとき、わたしはおまえを穴に下る者たちとともに、昔から廃墟であったような地下の国に住ませる。わたしが誉れを与える生ける者の地におまえが住めないようにするためだ。
21 わたしはおまえを恐怖とする。おまえはもう存在しなくなり、人がおまえを尋ねても、永久におまえを見つけることはない。「「神である主の御告げ。「「」”

本日は、「バビロンに滅ぼされるツロ(2)」として、この件をさらに見ていきたいと思います。
 

”テキスト:エゼキエル26:11 彼は、馬のひづめで、おまえのちまたをすべて踏みにじり、剣でおまえの民を殺し、おまえの力強い柱を地に倒す。”

彼とはバビロンの王のことであり、終末においては終末のバビロン、アメリカです。
アメリカ由来の教えはツロ、主の弟子の歩みを志すはずの、多くのクリスチャンの歩みを踏みにじり、また、剣、教理で、倒します。
悲しいかなこれは、日本のキリスト教会の神学校にもいえます。
多くの主の弟子を志し、主に仕えるはずの若者が神学校で教えられるアメリカ由来のインチキ教理に踏みにじられ、惑わされています。


12 おまえの財宝は略奪され、商品はかすめ奪われ、城壁はくつがえされ、住みごこちのよい家は取りこわされ、石や、木や、ちりまでも、水の中に投げ込まれる。”

石や、木やちりはみな、主の弟子をめざすクリスチャンをさします。彼らはみな、「水の中に投げ込まれ」ます。このことは成就し、おかしなヘンテコ系教会の神学校を始めとする学校では、
その学生をみな、おかしなリバイバル集会へいざないます。

”13 わたしはおまえの騒がしい歌をやめさせる。おまえの立琴の音ももう聞かれない。
14 わたしはおまえを裸岩とする。おまえは網を引く場所となり、二度と建て直されない。主であるわたしが語ったからだ。「「神である主の御告げ。「「”

網を引く場所ということばには隠れた意味合い、たとえがあります。
網は人間をとる漁師といわれたペテロ、弟子の筆頭格の彼と関係のあることばです。
終末の時代、弟子をめざす彼らは逆に網を引かれ、網にからめられていきます。
惑わしの第三の波系の教理やら、レフトビハインドの嘘教理の網に引かれて行くのです。


15 神である主はツロにこう仰せられる。刺された者がうめき、おまえの中で虐殺が続けられ、おまえがくずれ落ちるとき、その響きに、島々は身震いしないだろうか。”

刺される、虐殺は剣ということばに関連しています。そして、剣は、みことば、教理に関するたとえです。
ですから、ここでは、ツロ、弟子の歩みを志す人々が、剣、おかしな教理で倒される日が書かれているのです。

「おまえがくずれ落ちるとき、その響きに、島々は身震いしないだろうか。」

これは、要するに弟子、献身者が、倒され、惑わされる様子に多くの信者が驚きあきれる様を
あらわしたものです。この日は実現しており、カソリックの献身者である神父の変節、誤り、
スキャンダルに多くの信徒は呆れ返っています。


16 海辺の君主たちはみな、その王座をおり、上着を脱ぎ、あや織りの着物を脱ぎ、恐れを身にまとい、地面にすわり、身震いしながら、おまえのことでおののき、”
 

海辺の君主とは、たとえが使われており、
キリスト教会の君主、教団、教派のリーダー達の事です。彼らもあまりの献身者達の、堕落、信仰の変節に驚く、そういう状態の描写です。

”17 おまえについて、哀歌を唱えて言う。海に住む者よ。おまえはどうして海から消えうせたのか。海で強くなり、ほめはやされた町よ。すべての住民を恐れさせたその町とその住民よ。”
 

海で強くなったのに、その海から消え失せるとは、皮肉な表現ですが、たとえを語っています。
海は水、聖霊のたとえです。弟子のすばらしい点は、聖霊により、強められ、その力により
力付けられた歩みをすることです。しかし、終末の日において、弟子の歩みは惑わされたものとなり、祈りは消え失せ、聖霊の力は消え、結果ツロ、弟子達も一般の人とかわらない歩みになります。
どっかのにっきだかハッカだかいう教団では、同性愛の牧師がいるとのことですが、本当なら、
このことばの成就です。


18 今、島々はおまえがくずれ落ちる日に身震いし、海沿いの島々はおまえの最期を見ておびえている。”
 

島々は教会のたとえです。ここに書かれているのは、世界中の教会が神父や牧師の堕落や、スキャンダルに呆れ返り、びっくりしている状態の描写です。

”19 まことに、神である主はこう仰せられる。わたしがおまえを廃墟の町とし、住む者のない町々のようにするとき、深淵をおまえの上にわき上がらせ、大水がおまえをおおうとき、”
 

深淵、大水は霊的なことのたとえです。
悪霊のリバイバルに献身者達が惑わされて行く状況の描写です。
 

20 わたしがおまえを穴に下る者たちとともに昔の民のもとに下らせるとき、わたしはおまえを穴に下る者たちとともに、昔から廃墟であったような地下の国に住ませる。わたしが誉れを与える生ける者の地におまえが住めないようにするためだ。”

「生ける者の地におまえが住めないようにするためだ。」とは牧師、神父が、罪に入り込む日、結果、生ける者、罪のないものとはみなされず、永遠の命を失う日のたとえです。

”21 わたしはおまえを恐怖とする。おまえはもう存在しなくなり、人がおまえを尋ねても、永久におまえを見つけることはない。「「神である主の御告げ。「「」”
 

献身者である神父、牧師が恐怖のまととなる日が来ます。彼らの問題やらスキャンダルに多くの人が驚く日です。そして、それは今の日のことです。
これらのことばは今の時代、成就しつつあることを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー -----------------------------7da202182030e Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream