No. 730 黙示録と御使い

”テキスト:ヨハネの黙示録 7:1 この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押え、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。”
 

本日は「黙示録と御使い」という題でメッセージしたいと思います。
 

黙示録の一つの特徴は、その記述の中に御使いということばがひんぱんに出てくることです。
たとえば、以下のとおりです。

”ヨハネの黙示録 1:1 イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。
ヨハネの黙示録 1:20 わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。
ヨハネの黙示録 2:1 エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。
ヨハネの黙示録 2:8 また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。
ヨハネの黙示録 2:12 また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。”
 

さて、ところで、何故、御使いが黙示録の中で、ひんぱんに登場するのでしょう。
このことを考えてみたいと思うのです。
 

私の想像では、一つの理由はこういうことでしょうか。
それは、黙示録は、実は世界の実情をあらわす書だからではないのでしょうか。
他の書と異なり、黙示録こそ、世界の実情、見えない実情をあらわす、
だから、ひんぱんにこの書には、御使いに関する記述がある、そう思えるのです。
パウロは本当の戦いについてこう書きました。

”エペソ人への手紙 6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。”

私達の本当の格闘、戦いは血肉、人間に対する者ではなく、しかし、
もろもろの悪霊すなわち、御使いに対するものであることがここでは書かれています。

しかし、このことが本当であるとして、
我々の真の敵が御使いであるとして、何故、御使いは、
我々人間を敵とみなすのでしょうか?目のかたきにするのでしょうか?

その理由は、以前書いたように、我々弟である人間が兄である、
御使いの受け継ぐべきだった次の世界を受け継ぐようになったからです。
 

”ヘブル2:5 神は、私たちがいま話している後の世を、御使いたちに従わせることはなさらなかったのです。6 むしろ、ある個所で、ある人がこうあかししています。「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。”
 

弟にしてやられた兄は怒って弟を殺そうと思います。
エサウ、ヤコブの兄弟にしてもエサウは弟ヤコブを殺そうと計画します。

さて、終末の日、黙示録の時代の一つの特徴、それは、兄による弟殺しの時代である、
御使いがさまたげられることなく、弟を殺す時代である、そう理解できます。

兄である御使いはいつでも弟を憎んで、殺したかったのかもしれませんが、
その働きには制限がかけられていました。しかし、その制限が外れる日、
それが終末といえます。

以下の言葉はそれを暗示します。

”テサロニケ人への手紙第二 2:6 あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。
7 不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。
8 その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。
9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、
10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。”
 

ここには、彼、すなわち、反キリストの霊、御使いがその定められた時に現れるように、
引き止めているものがあることが書かれています。
それは聖霊の事です。そして、その聖霊が取り除かれる、背教の教会から
追い出されるその日に反キリストの霊が教会に働くことが書かれています。
すなわち、兄、御使いが、弟、人間の教会を席巻し、滅びにおいやる日について書いてあるのです。
以前から語っている言葉に沿えば、兄の弟殺しの日について書いてあるのです。

その具体的な方法、兄の弟殺しの具体的な方法についても書いてあります。
以下の様です。


9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い”

すなわち、サタンの方法、御使いの方法は、あらゆる偽りの力、しるし、不思議をもって、人間、
クリスチャンを惑わし、よいものと思わせて毒を食らわせるという方法です。
具体的には、聖霊の第三の波のように、しるしや不思議を強調し、惑わされてやってきた
クリスチャンに悪霊の油そそぎを与えて、悪霊のとりことする、悪霊のしるしをつけるという
方法です。

”10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。”

さらに人間の知恵にまさる御使いの悪知恵により、人間、クリスチャンを惑わし、滅びに至らせるため、
あらゆる教理を改ざんし、教会に通い、礼拝に通い、メッセージを聞きつつ、なお、
滅びに至るという方法によってです。

具体的には終末教理をかいざんし、クリスチャンの滅び、さばきを語る黙示録を
理解させず、艱難の前に挙げられますなどと、クリスチャンに根拠のない安心を与え、
油断させ滅びに至らせるという方法です。また、クリスチャンと名がつくなら、
決して滅びることはない、という決して聖書が語っていない嘘を語り、
惑わすという方法です。
何でこんな子供だましのような嘘に大の大人がだまされるかというと、「彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったから」なのです。

くり返しますが、終末の日、それは弟を憎む兄、御使いの弟殺しが成就する
日なのです。それで、黙示録の中には、何度も御使いが登場するのです。
たとえば、冒頭のテキストのようにです。


ヨハネの黙示録 7:1 この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押え、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。”
 

ここでは、御使いが働き、風、聖霊が働かないように
妨たげていることがわかります。
ですから、終末の日とは、兄、御使いの悪意、殺意により、
聖霊の働きは教会から消えて行くのです。
すばらしいリバイバルなんていっても、実は悪霊が大活躍しているに
過ぎない、なんていうことになるのです。その証拠におかしな獣
リバイバルに導かれる人は、馬や犬のように、獣のようになります。

それで、私達は、この終わりの時代、終末の時代の特殊性をよくよく
知らなければなりません。
この時代は他の時代の常識、今までの教会時代の常識が通用しない特殊な時代です。
その日は、人間の知恵にまさる、兄、御使いが、やっきとなって、
弟殺しを実行しようと、知恵をめぐらし、方法をめぐらし、あらゆる気付かないわなを
しかける時代なのです。

だからこそ、以下の様に書かれているのです。

”ルカの福音書 17:26 人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。
27 ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。
28 また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、
29 ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。
30 人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。”

終末の日は、ノア、ロトの日のようであり、終末の惑わし、御使いの
巧妙な窓わしを経てなおかつ命を得る、永遠の命を保つクリスチャンは少ないのです。
そのことを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
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