No.725 悪魔礼拝者が教会を席巻する日


”テキスト:黙示録9:1 第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は一つの星が天から地上に落ちるのを見た。その星には底知れぬ穴を開くかぎが与えられた。
2 その星が、底知れぬ穴を開くと、穴から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。
3 その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた。
4 そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。
5 しかし、人間を殺すことは許されず、ただ五か月の間苦しめることだけが許された。その与えた苦痛は、さそりが人を刺したときのような苦痛であった。
6 その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行くのである。
7 そのいなごの形は、出陣の用意の整った馬に似ていた。頭に金の冠のようなものを着け、顔は人間の顔のようであった。
8 また女の髪のような毛があり、歯は、ししの歯のようであった。
9 また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その翼の音は、多くの馬に引かれた戦車が、戦いに馳せつけるときの響きのようであった。
10 そのうえ彼らは、さそりのような尾と針とを持っており、尾には、五か月間人間に害を加える力があった。
11 彼らは、底知れぬ所の御使いを王にいただいている。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギリシヤ語でアポリュオンという。”
 

本日は、「悪魔礼拝者が教会を席巻する日」という題でメッセージをします。
テキストに沿って見ていきます。
 

”1 第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は一つの星が天から地上に落ちるのを見た。その星には底知れぬ穴を開くかぎが与えられた。”
 

一つの星について書いてあります。星は以前何度も見たように、「天の星のようになる」といわれたアブラハムの子孫、イスラエル、新約においては、新約のイスラエル、クリスチャンのたとえです。
ここでは、特別に「星」に関して明記されているので、ある大きなキリスト教会の器に関するたとえです。
 

星は普通空、天にあるものですが、この星は、地上に落ちて来ます。すなわち、天に属するべきなのに、この地上、この世に属するものとなった、ある大きなキリスト教会の器について書いてあるのです。
もしかすると反キリストのことかもしれません。

さて、この星には、底知れぬ穴を開くかぎが与えられていることが書かれています。
底知れぬ穴とは何でしょう?

底知れぬところとは、以下の様に悪霊やサタンのいるところです。

”ルカ8:31 悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。”

”黙示録20:1 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
2 彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
3 底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。”
 
 

ですから、星が底しれない穴を開く鍵を持っているという時、底知れぬ穴から悪霊を呼び出すキリスト教会の器に関して語っている、と理解できます。
キリスト教会の器が悪霊を呼び出すなんていうと、冗談かホラーかと思われるかも知れませんが、
しかし、それは、現実です。
私達はトロントビデオの中で、ベニーヒン、ロドニーハワード、ケネスコープランドなどの器が
影で悪霊を呼び出していることを見ています。
 

”2 その星が、底知れぬ穴を開くと、穴から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。”
 

ここの「炉」という原語は以下でもつ使われています。
 

”マタイ13:40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
41 人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、
42 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。”

ですから、「炉の煙のような煙が立ち上り」とは、地獄の火の様な悪霊の力が働く、そんな風に理解すればよいのでしょうか。

”、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。”

太陽はキリスト教会の大きな器、空は星、クリスチャンがいるところとして、教会のたとえです。
地獄の火の様な悪霊のちからにより、キリスト教会の器も、教会も暗くなり、正しい光を失っていく、そうこの箇所では語られていることになります。

”3 その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた。”

さて、その穴から、いなごが出て来ました。
このいなごとは何をたとえているのか?
いなごに関して、ヨエル書に記述があります。

”ヨエル1:4 かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。
5 酔っぱらいよ。目をさまして、泣け。すべてぶどう酒を飲む者よ。泣きわめけ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。
6 一つの国民がわたしの国に攻め上った。力強く、数えきれない国民だ。その歯は雄獅子の歯、それには雄獅子のきばがある。
7 それはわたしのぶどうの木を荒れすたれさせ、わたしのいちじくの木を引き裂き、これをまる裸に引きむいて投げ倒し、その枝々を白くした。
8 若い時の夫のために、荒布をまとったおとめのように、泣き悲しめ。
9 穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒は主の宮から断たれ、主に仕える祭司たちは喪に服する。
10 畑は荒らされ、地も喪に服する。これは穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上がり、油もかれてしまうからだ。”

このヨエル書から理解する限り、いなごとは、ぶどう酒、穀物を食い荒らすものです。
そしてい、ぶどう酒や、穀物、麦はたとえであり、聖霊や、みことばに関するたとえです。

ですから、いなごとは、昆虫人間や仮面ライダーのことではなく、
教会の聖霊や、みことばに害を与えるある種の人々のことをさすのです。

そして彼らは教会に害を与えるために教会に出入りしますが、しかし、クリスチャンではありません。
何故なら、以下の言葉によれば、これら、いなごの人々は、キリストではなく、底知れぬ所の御使いを王にいただいている、つまりサタンを崇める人々だからです。

”黙示録9:11 彼らは、底知れぬ所の御使いを王にいただいている。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギリシヤ語でアポリュオンという。”
 
 

ですから、このことをもっとわかりやすくいうなら、このいなごの人々とは、
キリスト教会に入り込んだ悪魔礼拝者たちのことをさします。
悪魔礼拝者ですから、もちろん、キリストのことなど、信じていません。
しかし、クリスチャンらしい格好、クリスチャンのふりはします。
結果みなだまされていくわけです。

そんな人々がいるのか、本当に教会に悪魔礼拝者が入ってくるなどということがあるのか、
と思うかも知れませんが、上記ことばどおり、みことばが、「底知れぬ所の御使いを王にいただいている」いなごの民が、教会を荒らすと語る以上、このことはあり得るのです。

そして、事実それは起こっています。たとえば、有名な伝道者、ビリーグラハムは高位のフリーメーソン、すなわち悪魔礼拝者であると聞いたことがあります。
彼以外にも多くのフリーメーソン、悪魔礼拝者が、教会の働き人として、入り込んでいることを聞いています。

ですから、現実がみことばを裏書きしているのです。
 
 

”4 そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。
5 しかし、人間を殺すことは許されず、ただ五か月の間苦しめることだけが許された。その与えた苦痛は、さそりが人を刺したときのような苦痛であった。”
 

額に神の印を受けていない人間が彼ら、悪魔礼拝者により害を受けることが書かれています。
神の印を受けていない人に関しては以下に記述があります。
 

”エゼキエル9:4 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」
5 また、私が聞いていると、ほかの者たちに、こう仰せられた。「彼のあとについて町の中を行き巡って、打ち殺せ。惜しんではならない、あわれんではならない。”

ここでは、「この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるし」がつけられると書きます。

ですから、黙示録の時代においても、この種の人々、「教会で行われている忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々」はこの、悪魔礼拝者からの災いを免れ、
逆にその嘆きも悲しみもなく、今の教会で行われている、あらゆる偽りに
同調する人はいなごの害を受けるのです。
 

”7 そのいなごの形は、出陣の用意の整った馬に似ていた。頭に金の冠のようなものを着け、顔は人間の顔のようであった。”
 

さて、ここでは、そのいなごの軍隊に関する説明があります。
この箇所から、このいなごの意味合いを見て行きましょう。

「そのいなごの形は、出陣の用意の整った馬に似ていた」

馬は闘い、戦争に用いられるものです。
このいなごの人々の第一の存在理由は、闘い、戦争なのです。
闘いには、戦争相手があり、敵があるものですが、このいなご民族が
敵とみなしている、その相手は何でしょう?

それは、明らかにキリスト教会であり、クリスチャンです。
すなわち、彼らはキリスト教会破壊のために
送られて来た軍隊なのです。

終末の日に教会破壊の為に、神の許しの下で、軍隊的な人々が送られてくる、このような考えは、
今のクリスチャンにとり、理解不能な概念ではありますが、しかし、この箇所にまさに明記されていることがらなのです。正しくしらなければなりません。
 

「頭に金の冠のようなものを着け」

金の冠とは何か?

金は以下の様に信仰と関係することばです。
 

”ペテロの手紙第一 1:7 信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行くよりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。”

冠は?
 
 

”ヘブル人への手紙 2:9 ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。”

冠はこの箇所で見る限り、信仰に関する「栄光と誉れ」に関係します。
ですから、このいなごの人々、いなご軍隊は、キリスト教会の信仰者として、
栄光や誉れを受けている、すなわち、信仰の勇者として、評判の人々なのです。
しかも悪魔礼拝者なのです(!!)
信じられないかも知れませんが、しかし、みことばが正しいのです。

”顔は人間の顔のようであった。”

人間ということばにもたとえがあります。

人間に関して聖書は以下の様に述べています。

”創世記 2:7 その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。”

いのちの息は聖霊のたとえです。だから、聖書でいう真の人とは、聖霊を受けたクリスチャンのことなのです。このいなごの人々、悪魔礼拝者の顔が「人間の顔のようであった」とは、ですからこういう
意味合いでしょうか。すなわち、実態はともかく、これらのいなごの人々は、クリスチャンのような
外見、言い方、ものごしがある、そういうことです。しかし、実際はクリスチャンではなく、
悪魔礼拝者なのです。ただ、それらしい形がある、というだけなのです。

8 また女の髪のような毛があり、歯は、ししの歯のようであった。”

女の髪のような毛とは、何も長髪である、ということを語っているとは限りません。
以下のことばと関係あると思われます。
 

”1コリント11:4 男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。
5 しかし、女が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは髪をそっているのと全く同じことだからです。
6 女がかぶり物を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい。
7 男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現われだからです。女は男の栄光の現われです。
8 なぜなら、男は女をもとにして造られたのではなくて、女が男をもとにして造られたのであり、
9 また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。
10 ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためにです。
11 とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。
12 女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。
13 あなたがたは自分自身で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのは、ふさわしいことでしょうか。
14 自然自体が、あなたがたにこう教えていないでしょうか。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであり、
15 女が長い髪をしていたら、それは女の光栄であるということです。なぜなら、髪はかぶり物として女に与えられているからです。”
 

この箇所で、女の長い髪は、権威に従うことと関連して書かれています。
ですから、いなごが長い髪を持っているという時、すなわち、このいなごの軍隊は、
権威を重んじ、権威に従う軍隊であることがわかります。

”9 また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その翼の音は、多くの馬に引かれた戦車が、戦いに馳せつけるときの響きのようであった。”
 

この箇所の胸当てに関してはエペソ書で以下の様に正義と関連して書かれています。
 

”エペソ6:14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、”
 

だから、このいなご軍は、正義を標榜するわけです。実際は悪魔礼拝者達なのですが、
その実正しいものである、と自ら語るわけです。

これは、事実と符合します。あのインチキ野郎、JNダービー、艱難前携挙説を持ち込んだ
インチキ男もキリスト教会では、正しい真理の人と受け止められています。
はたまた、あのフリーメーソン、悪魔礼拝者のビリーグラハムも愚かな日本の福音派においては、
福音派の良心みたいに思われています。

”10 そのうえ彼らは、さそりのような尾と針とを持っており、尾には、五か月間人間に害を加える力があった。”

さそりは、霊的なものと理解されます。ですからこのいなご軍隊の武器はおかしな霊、おかしな
リバイバルなのです。それをもって、惑わされたクリスチャンに害を与えるわけです。
具体的にはピーターワグナー、シンデイージェーコブス、ベニーヒンなどのおかしな
リバイバルの霊の害のことです。

”11 彼らは、底知れぬ所の御使いを王にいただいている。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギリシヤ語でアポリュオンという。”
 

「底知れぬ所の御使い」とはすなわち、地獄のサタンであり、このいなごの軍隊は、
クリスチャンであると見せかけてその実、底知れぬ所の御使いを拝む人々、すなわち悪魔礼拝者なのです。
その御使いの名前は、アバドン、アポリュオンといい、その意味は破壊者です。
すなわち、教会を破壊し、信仰を破壊し、クリスチャンを破壊する悪魔礼拝者達が
教会内で大活躍する、その恐るべき日をこの黙示録の箇所は預言しているのです。

このことは信じがたいのですが、しかし、あいにく事実であり、また現在の教会の実情と
完全に一致します。教会はこれらの潜り込んだ破壊者の働きのために破壊され、
教理はおかしくなり、変な霊のリバイバルは横行しています。

今、この時代にこそ、この黙示録の箇所は成就しているのです。このことを悟りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
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