NO.719奉仕を指定する


”テキスト;民4:1 主はモーセとアロンに告げて仰せられた。
2 「レビ人のうち、ケハテ族の人口調査を、その氏族ごとに、父祖の家ごとにせよ。
3 それは会見の天幕で務めにつき、仕事をすることのできる三十歳以上五十歳までのすべての者である。
4 ケハテ族の会見の天幕での奉仕は、最も聖なるものにかかわることであって次のとおりである。
5 宿営が進むときは、アロンとその子らははいって行って、仕切りの幕を取り降ろし、あかしの箱をそれでおおい、
6 その上にじゅごんの皮のおおいを掛け、またその上に真青の布を延べ、かつぎ棒を通す。
7 また、供えのパンの机の上に青色の布を延べ、その上に皿、ひしゃく、水差し、注ぎのささげ物のためのびんを載せ、またその上に常供のパンを置かなければならない。
8 これらのものの上に緋色の撚り糸の布を延べ、じゅごんの皮のおおいでこれをおおい、かつぎ棒を通す。
9 青色の布を取って、燭台とともしび皿、心切りばさみ、心取り皿およびそれに用いるすべての油のための器具をおおい、
10 この燭台とそのすべての器具をじゅごんの皮のおおいの中に入れ、これをかつぎ台に載せる。”
 

本日は奉仕を指定する、という題でメッセージしたいと思います。
テキストに沿って見ていきます。

”1 主はモーセとアロンに告げて仰せられた。
2 「レビ人のうち、ケハテ族の人口調査を、その氏族ごとに、父祖の家ごとにせよ。”

レビ人の中のケハテ族に関してその人口調査をせよ、と主は語られました。
ケハテということばの意味合いは、集会、会衆という意味合いであり、
今でいう教会のことです。ですから、ケハテ族のたとえの意味合いは、
教会の中で、主にあって、奉仕をになう、その人々に関することがらと
思えます。

「ケハテ族の人口調査を、その氏族ごとに、父祖の家ごとにせよ。」

教会の中で、神の奉仕をになえる人がどれだけいるか、それを数えろ、そう
いわれているのです。

”4 ケハテ族の会見の天幕での奉仕は、最も聖なるものにかかわることであって次のとおりである。”
 

もっとも聖なるものにかかわる奉仕をケハテ族はにないます。それで、こまごまとした
規定があります。同じく私達も神の前の奉仕に関して、神が定めた方法、規定があることを知るべきです。それを守るなら、私達は祝されますが、しかし、それらをないがしろにするなら、神の怒りをかいます。

”5 宿営が進むときは、アロンとその子らははいって行って、仕切りの幕を取り降ろし、あかしの箱をそれでおおい、
6 その上にじゅごんの皮のおおいを掛け、またその上に真青の布を延べ、かつぎ棒を通す。”

ここでアロンの子らがするべき奉仕が書かれています。この奉仕と後述のケハテ族がになう奉仕とは明らかに異なります。
このことに注目すべきです。アロンの意味合いは光をもたらす者という意味合いです。
ですから、主の弟子として、神からの光、啓示を受けるものとそうでないものとの奉仕は同じではありません。
アロンの子らが行うよう、規定されていてもケハテ族が行うようには規定されていない奉仕があります。
同じように教会にも光を受け、啓示を受けた人しか行うべきでない、そういう類いの奉仕があるのです。
ここで書かれているように、聖所、至聖所の中心部分に入り、それに関する奉仕は、基本的に
アロンの子らが行うべきなのです。同じく神の家、教会の奉仕に関しても、同じことがいえます。
神のみこころの中心的な部分、奉仕の中心は主に近い人々、啓示を受けた人々により行われるべきなのです。

   

6 その上にじゅごんの皮のおおいを掛け、またその上に真青の布を延べ、かつぎ棒を通す。
7 また、供えのパンの机の上に青色の布を延べ、その上に皿、ひしゃく、水差し、注ぎのささげ物のためのびんを載せ、またその上に常供のパンを置かなければならない。”
 

ここでは、パン、みことばに関すること、またひしゃく、水差しすなわち、聖霊に
関すること、これらが皆、アロンの子らがなすべきこと、
すなわち、啓示の光を受けた人がなすべきことが描かれています。
そうです、これらは、啓示を受けた人がなすべきなのです。
                                    
”8 これらのものの上に緋色の撚り糸の布を延べ、じゅごんの皮のおおいでこれをおおい、かつぎ棒を通す。
9 青色の布を取って、燭台とともしび皿、心切りばさみ、心取り皿およびそれに用いるすべての油のための器具をおおい、
10 この燭台とそのすべての器具をじゅごんの皮のおおいの中に入れ、これをかつぎ台に載せる。”

ここでは、燭台やその油について書かれています。燭台は、世の光である教会、
啓示や真理の光をあらわすのでしょうか。これらもアロンが子らが扱うのです。

ですから、この箇所でわかることは、奉仕、教会の奉仕は誰でも行うというより、
原則アロンの子らすなわち、啓示とキリストからの光を受けた人が行うべきなのです。
このことを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー                                                           ------------nOiLfrh0vjPgyeKHvZzKZb Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename=""