NO.718来年の今頃(2)


”テキスト:2列王4:
21 彼女は屋上に上がって行って、神の人の寝台にその子を寝かし、戸をしめて出て来た。
22 彼女は夫に呼びかけて言った。「どうぞ、若者のひとりと、雌ろば一頭を私によこしてください。私は急いで、神の人のところに行って、すぐ戻って来ますから。」
23 すると彼は、「どうして、きょう、あの人のところに行くのか。新月祭でもなく、安息日でもないのに。」と言ったが、彼女は、「それでも、かまいません。」と答えた。
24 彼女は雌ろばに鞍を置き、若者に命じた。「手綱を引いて、進んで行きなさい。私が命じなければ、手綱をゆるめてはいけません。」
25 こうして、彼女は出かけ、カルメル山の神の人のところへ行った。神の人は、遠くから彼女を見つけると、若い者ゲハジに言った。「ご覧。あのシュネムの女があそこに来ている。
26 さあ、走って行き、彼女を迎え、『あなたは無事ですか。あなたのご主人は無事ですか。お子さんは無事ですか。』と言いなさい。」それで彼女は答えた。「無事です。」
27 それから、彼女は山の上の神の人のところに来て、彼の足にすがりついた。ゲハジが彼女を追い払おうと近寄ると、神の人は言った。「そのままにしておきなさい。彼女の心に悩みがあるのだから。主はそれを私に隠され、まだ、私に知らせておられないのだ。」
28 彼女は言った。「私があなたさまに子どもを求めたでしょうか。この私にそんな気休めを言わないでくださいと申し上げたではありませんか。」
29 そこで、彼はゲハジに言った。「腰に帯を引き締め、手に私の杖を持って行きなさい。たといだれに会っても、あいさつしてはならない。また、たといだれがあいさつしても、答えてはならない。そして、私の杖をあの子の顔の上に置きなさい。」
30 その子の母親は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたを離しません。」そこで、彼は立ち上がり、彼女のあとについて行った。
31 ゲハジは、ふたりより先に行って、その杖を子どもの顔の上に置いたが、何の声もなく、何の応答もなかったので、引き返して、エリシャに会い、「子どもは目をさましませんでした。」と言って彼に報告した。
32 エリシャが家に着くと、なんと、その子は死んで、寝台の上に横たわっていた。
33 エリシャは中にはいり、戸をしめて、ふたりだけになって、主に祈った。
34 それから、寝台の上に上がり、その子の上に身を伏せ、自分の口を子どもの口の上に、自分の目を子どもの目の上に、自分の両手を子どもの両手の上に重ねて、子どもの上に身をかがめると、子どものからだが暖かくなってきた。
35 それから彼は降りて、部屋の中をあちら、こちらと歩き回り、また、寝台の上に上がり、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開いた。
36 彼はゲハジを呼んで、「あのシュネムの女を呼んで来なさい。」と言いつけた。ゲハジが彼女を呼んだので、彼女はエリシャのところに来た。そこで、エリシャは、「あなたの子どもを抱き上げなさい。」と言った。
37 彼女ははいって来て、彼の足もとにひれ伏し、地に伏しておじぎをした。そして、子どもを抱き上げて出て行った。”
 

本日は、「来年の今頃(2)
」として、この件をさらに見ていきたいと思います。

テキストに沿って見ていきます。


21 彼女は屋上に上がって行って、神の人の寝台にその子を寝かし、戸をしめて出て来た。
22 彼女は夫に呼びかけて言った。「どうぞ、若者のひとりと、雌ろば一頭を私によこしてください。私は急いで、神の人のところに行って、すぐ戻って来ますから。」
23 すると彼は、「どうして、きょう、あの人のところに行くのか。新月祭でもなく、安息日でもないのに。」と言ったが、彼女は、「それでも、かまいません。」と答えた。
24 彼女は雌ろばに鞍を置き、若者に命じた。「手綱を引いて、進んで行きなさい。私が命じなければ、手綱をゆるめてはいけません。」
25 こうして、彼女は出かけ、カルメル山の神の人のところへ行った。神の人は、遠くから彼女を見つけると、若い者ゲハジに言った。「ご覧。あのシュネムの女があそこに来ている。
26 さあ、走って行き、彼女を迎え、『あなたは無事ですか。あなたのご主人は無事ですか。お子さんは無事ですか。』と言いなさい。」それで彼女は答えた。「無事です。」
27 それから、彼女は山の上の神の人のところに来て、彼の足にすがりついた。ゲハジが彼女を追い払おうと近寄ると、神の人は言った。「そのままにしておきなさい。彼女の心に悩みがあるのだから。主はそれを私に隠され、まだ、私に知らせておられないのだ。」”
 

子供を失った彼女は、エリシャに求め、すがりつきます。
私達ももし、その約束の子を失ったのなら、命を失ったのなら、
主にすがりつき、求めるべきです。


28 彼女は言った。「私があなたさまに子どもを求めたでしょうか。この私にそんな気休めを言わないでくださいと申し上げたではありませんか。」
29 そこで、彼はゲハジに言った。「腰に帯を引き締め、手に私の杖を持って行きなさい。たといだれに会っても、あいさつしてはならない。また、たといだれがあいさつしても、答えてはならない。そして、私の杖をあの子の顔の上に置きなさい。」”

エリシャは彼の杖を死んだ子供の上に置くよう命じました。
杖は、歩みを助けるものとして、教師のたとえでしょう。
 


30 その子の母親は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたを離しません。」そこで、彼は立ち上がり、彼女のあとについて行った。”

しかし、女は杖でなく、エリシャ自身に求めます。
私達も子供の死について主御自身に求めるべきなのです。

”31 ゲハジは、ふたりより先に行って、その杖を子どもの顔の上に置いたが、何の声もなく、何の応答もなかったので、引き返して、エリシャに会い、「子どもは目をさましませんでした。」と言って彼に報告した。
32 エリシャが家に着くと、なんと、その子は死んで、寝台の上に横たわっていた。”

杖をとおして子供は生き返りませんでした。
死はその子を支配していたのです。
同じく私達に神の約束の子が与えられてもそれでも
やはり、その子が死ぬ、罪に陥る、そんなことはあり得るのです。
そんな時どうするか?それがこの箇所が語るテーマです。

”33 エリシャは中にはいり、戸をしめて、ふたりだけになって、主に祈った。
34 それから、寝台の上に上がり、その子の上に身を伏せ、自分の口を子どもの口の上に、自分の目を子どもの目の上に、自分の両手を子どもの両手の上に重ねて、子どもの上に身をかがめると、子どものからだが暖かくなってきた。”
 

エリシャは死んだ子の上に身を伏せ、死んだ子の口に自分の口をあわせました。
エリシャのキリストの型です。我々も死を迎えても、その死んだ口、正しくみことばを話せない、
証ができない口もキリストの口を上にかさねる時、いやされ死からよみがえり、語れるようになるのです。

またエリシャは、、自分の目を子どもの目の上にかさねました。結果、子供の目は見えるようになりました。同じく我々も、たとえ、死に陥り、霊的な目が見えなくなってもそれでも
キリストの目をかさねていただく時、霊の目が見えるようになるのです。
さらにエリシャは、「自分の両手を子どもの両手の上に重ね」ました。
同じくキリストもその手を我々の手の上に添え、それにより、我々の手、はたらきも回復するのです。

”35 それから彼は降りて、部屋の中をあちら、こちらと歩き回り、また、寝台の上に上がり、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開いた。
36 彼はゲハジを呼んで、「あのシュネムの女を呼んで来なさい。」と言いつけた。ゲハジが彼女を呼んだので、彼女はエリシャのところに来た。そこで、エリシャは、「あなたの子どもを抱き上げなさい。」と言った。
37 彼女ははいって来て、彼の足もとにひれ伏し、地に伏しておじぎをした。そして、子どもを抱き上げて出て行った。”

約束の子供、神により、その約束をもって生まれた子、それでもなおかつ死んでしまった子供は、
エリシャがその身を彼の上にかぶさり、おおった時、生き返りました。
私達もたとえ、よしんば死を経験するとしてもしかし、キリストがその身をかさねていただくなら、
その力により生かされるのです。このことを知りましょう。

終末における主のみこころを知りましょう。

ー以上ー ------------E63Es7K51SYkI7rPe8Qh6G Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename=""