NO.712獅子に食われる

”テキスト:1列王20:30 生き残った者たちはアフェクの町に逃げたが、その二万七千人の残った者の上に城壁がくずれ落ちた。ベン・ハダデは逃げて町にはいり、奥の間にはいった。
31 家来たちは彼に言った。「イスラエルの家の王たちはあわれみ深い王である、と聞いています。それで、私たちの腰に荒布をまとい、首になわをかけ、イスラエルの王のもとに出て行かせてください。そうすれば、あなたのいのちを助けてくれるかもしれません。」
32 こうして彼らは腰に荒布を巻き、首になわをかけ、イスラエルの王のもとに行って願った。「あなたのしもべ、ベン・ハダデが、『どうか私のいのちを助けてください。』と申しています。」するとアハブは言った。「彼はまだ生きているのか。彼は私の兄弟だ。」
33 この人々は、これは吉兆だと見て、すぐにそのことばにより事が決まったと思い、「ベン・ハダデはあなたの兄弟です。」と言った。王は言った。「行って、彼を連れて来なさい。」ベン・ハダデが彼のところに出て来ると、王は彼を戦車に乗せた。
34 ベン・ハダデは彼に言った。「私の父が、あなたの父上から奪い取った町々をお返しします。あなたは私の父がサマリヤにしたように、ダマスコに市場を設けることもできます。」「では、契約を結んであなたを帰そう。」こうして、アハブは彼と契約を結び、彼を去らせた。
35 預言者のともがらのひとりが、主の命令によって、自分の仲間に、「私を打ってくれ。」と言った。しかし、その人は彼を打つことを拒んだ。
36 それで彼はその人に言った。「あなたは主の御声に聞き従わなかったので、あなたが私のもとから出て行くなら、すぐ獅子があなたを殺す。」その人が彼のそばから出て行くと、獅子がその人を見つけて殺した。
37 ついで、彼はもうひとりの人に会ったので、「私を打ってくれ。」と頼んだ。すると、その人は彼を打って傷を負わせた。
38 それから、その預言者は行って道ばたで王を待っていた。彼は目の上にほうたいをして、だれかわからないようにしていた。
39 王が通りかかったとき、彼は王に叫んで言った。「しもべが戦場に出て行くと、ちょうどそこに、ある人がひとりの者を連れてやって来て、こう言いました。『この者を見張れ。もし、この者を逃がしでもしたら、この者のいのちの代わりにあなたのいのちを取るか、または、銀一タラントを払わせるぞ。』
40 ところが、しもべが何やかやしているうちに、その者はいなくなってしまいました。」すると、イスラエルの王が彼に言った。「あなたはそのとおりにさばかれる。あなた自身が決めたとおりに。」
41 彼は急いで、ほうたいを目から取り除いた。そのとき、イスラエルの王は、彼が預言者のひとりであることを見た。
42 彼は王に言った。「主はこう仰せられる。『わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたから、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。』」
43 イスラエルの王は不きげんになり、激しく怒って、自分の家に戻って行き、サマリヤに着いた。”
 

本日は、「獅子に食われる」との題でメッセージしたいと思います。

テキストに沿ってみます。

”30 生き残った者たちはアフェクの町に逃げたが、その二万七千人の残った者の上に城壁がくずれ落ちた。ベン・ハダデは逃げて町にはいり、奥の間にはいった。
31 家来たちは彼に言った。「イスラエルの家の王たちはあわれみ深い王である、と聞いています。それで、私たちの腰に荒布をまとい、首になわをかけ、イスラエルの王のもとに出て行かせてください。そうすれば、あなたのいのちを助けてくれるかもしれません。」
32 こうして彼らは腰に荒布を巻き、首になわをかけ、イスラエルの王のもとに行って願った。「あなたのしもべ、ベン・ハダデが、『どうか私のいのちを助けてください。』と申しています。」するとアハブは言った。「彼はまだ生きているのか。彼は私の兄弟だ。」
33 この人々は、これは吉兆だと見て、すぐにそのことばにより事が決まったと思い、「ベン・ハダデはあなたの兄弟です。」と言った。王は言った。「行って、彼を連れて来なさい。」ベン・ハダデが彼のところに出て来ると、王は彼を戦車に乗せた。
34 ベン・ハダデは彼に言った。「私の父が、あなたの父上から奪い取った町々をお返しします。あなたは私の父がサマリヤにしたように、ダマスコに市場を設けることもできます。」「では、契約を結んであなたを帰そう。」こうして、アハブは彼と契約を結び、彼を去らせた。”

ここで、
イスラエルの王、神の民の王は、ベン・ハダデと盟約を結びました。
このことは神のみこころではありませんでした。
それで、神は神の使いを送り、このことについて警告することにされました。

”35 預言者のともがらのひとりが、主の命令によって、自分の仲間に、「私を打ってくれ。」と言った。しかし、その人は彼を打つことを拒んだ。”
 

さて、ここである預言者がその仲間に一つの依頼をしました。
それは、その預言者を打てという依頼です。依頼された仲間はそのことを拒みました。
そのため、彼は後で、獅子に食われることになりました。
少し考えさせられる箇所です。

人の情として、相手の人を打つことはためらわれるからです。
目をたたけば、相手の目が潰れてしまうかもしれません。
頭をたたけば、打ちどころが悪ければ死んでしまうかもしれません。たとえ、
打たれるのが自分でないとしても、ためらわれてしまうものです。まして、彼は預言者の
ともがらの一人、神に仕える人なので、さらにこのようなことは良心からもためらわれたのでしょう。
 

この点は、女の人の顔をけれと「神」に命じられたとかいう悪霊の第三の波系のトッドベントリーだかとは違います。
 

”36 それで彼はその人に言った。「あなたは主の御声に聞き従わなかったので、あなたが私のもとから出て行くなら、すぐ獅子があなたを殺す。」その人が彼のそばから出て行くと、獅子がその人を見つけて殺した。”
 

さて、預言者のともがらを打つことを拒んだ、その仲間は主の御声に聞き従わない、そのゆえに獅子に食われて死んでしまいました。

何ともはや、腑に落ちるような落ちないような結論です。
神に仕える人は、自分の仲間を打つべきかというと一般的には、打つべきでないのです。
たとえ、その仲間が頼んでも。一般的にはそうすべきではないのです。
でもしかし、もし、それを本当に神が語ったなら、そうすべきなのでしょう。
何故なら、ここで悲しい結論、悲しい前例があり、仲間を打つことを拒んだ
預言者のともがらの一人は結果、獅子に食われ、命を失ったからです。
 

人間の情として、抵抗があったり、納得いかなくてもやはり、主がいわれるなら、
従うべきなのでしょう。

ぴったりこの事例とあっているのかどうか、わかりませんが、この件と関連して
私も考えさせられることがあります。
何をいっているのかというと、私の奉仕も仲間を打つことと関係するからです。
というより、私の奉仕の多くは仲間を打つことと関わっているのです。

私はしばらくペンテコステ系の教会に通っていたことがあります。
ですから、ペンテコステ系の教会を批判することは、他でもないかつての仲間を批判する、
打つことに通じるのです。

仲間の中にはともに徹夜の祈祷で祈りあった人、命がけの海外宣教にともに同行した人
、また日本のリバイバルのために祈りあった人、声がかれる迄祈り合った人々もいるのです。
私が主にいわれて、聖霊の第三の波は、悪霊の第三の波だ、とペンテコステの人々に警告を語り、
彼らを打つ時、私は自分の身を打つ様な痛みを時に感じているのです。

しかし、そうであっても聖書的には、主にいわれたら、「仲間を打つことが正解」なのでしょう。
 
 

「その人が彼のそばから出て行くと、獅子がその人を見つけて殺した。」

獅子はその「主の声に聞き従わない人」を殺しました。
恐ろしいことですが、しかし、もし神の人が主の声に聞き従わない時には、
獅子に食われるということが、聖書の原則であることを知りましょう。
原則、とそういえるのは、以下でも同じように、神の人が神の声に聞き従わず、獅子に食われたことが書かれているからです。
 

”1列13:19 そこで、その人は彼といっしょに帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。
20 彼らが食卓についていたとき、その人を連れ戻した預言者に、主のことばがあったので、
21 彼はユダから来た神の人に叫んで言った。「主はこう仰せられる。『あなたは主のことばにそむき、あなたの神、主が命じられた命令を守らず、
22 主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならない、と命じられた場所に引き返して、そこであなたはパンを食べ、水を飲んだので、あなたのなきがらは、あなたの先祖の墓には、はいらない。』」
23 彼はパンを食べ、水を飲んで後、彼が連れ帰った預言者のために、ろばに鞍を置いた。
24 その人が出て行くと、獅子が道でその人に会い、その人を殺した。死体は道に投げ出され、ろばはそのそばに立っていた。獅子も死体のそばに立っていた。”
 
 

今でももし、神の人が、神への奉仕者が、主の声に聞き従わないなら、獅子に食われる可能性があることを知りましょう。

獅子に食われる可能性がある時、我々はどうすれば良いのか?
「日本にはまずライオンがいないから大丈夫だ。唯一動物園にライオンがいるが、まあ、
動物園に行かない限り大丈夫だ」などと思う人もいるかもしれませんが、
そんな問題ではありません。
 

ここでいわれていることはこういうことです。
獅子はペテロ書によれば、サタンのたとえであり、聞き従わないと、サタンにやられる、と
語られているのです。

「ペテロの手紙第一 5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」

聞き従わないと悪魔にやられる、この原則は正しく正しく覚えておきましょう。

聞き従わないため、獅子にやられ、サタンにやられているのですが、その実本人は
何も理解していない、そういうケースも多いのです。

ある人は、神に仕え始めたのですが、中途半端でした。地方教会への
招聘があったのですが、断わってしまったとのことです。
理由は、そんなところへ遣わされても食っていく手段がない、今何とか仕事についているので、
この仕事はやめられない、とのことでした。

その招聘の声は神からのものだったのですが、彼は断わってしまったのです。
結果、彼はどうなったかというと、しばらくしてその大事にしていた仕事先から、リストラを言い渡されてしまったとのことです。結果彼は住むところにも困ってしまったとのことです。獅子に食われたのです。

こういう例はいくつもあります。神からの声に聞き従わず、結果、身内に病気が出る、
自分が病になる、問題が起きる、いろいろパターンが違いますが、しかし、
我々は獅子に、サタンに食われるようになるのです。


37 ついで、彼はもうひとりの人に会ったので、「私を打ってくれ。」と頼んだ。すると、その人は彼を打って傷を負わせた。
38 それから、その預言者は行って道ばたで王を待っていた。彼は目の上にほうたいをして、だれかわからないようにしていた。
39 王が通りかかったとき、彼は王に叫んで言った。「しもべが戦場に出て行くと、ちょうどそこに、ある人がひとりの者を連れてやって来て、こう言いました。『この者を見張れ。もし、この者を逃がしでもしたら、この者のいのちの代わりにあなたのいのちを取るか、または、銀一タラントを払わせるぞ。』
40 ところが、しもべが何やかやしているうちに、その者はいなくなってしまいました。」すると、イスラエルの王が彼に言った。「あなたはそのとおりにさばかれる。あなた自身が決めたとおりに。」
41 彼は急いで、ほうたいを目から取り除いた。そのとき、イスラエルの王は、彼が預言者のひとりであることを見た。
42 彼は王に言った。「主はこう仰せられる。『わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたから、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。』」
43 イスラエルの王は不きげんになり、激しく怒って、自分の家に戻って行き、サマリヤに着いた。”
 

神から預言者に与えられる預言は普通、あまり楽しいもの、人に喜ばれるものではありません。
ここでもこの神の人のことばを聞いてイスラエルの王は不機嫌になりました。でも
まだ、不機嫌くらいならよくて、場合によっては、殺される預言者もいるのです。

新約においても話はおなじであり、神が本当に預言者に語る時は大体暗い話:裁きや、こらしめ、
滅びに関することが多いのです。そんなことを語る
結果、預言者は多くの人から罵声、中傷、批判を受けることになります。

レフトビハインドの嘘にならって、艱難前に挙げられるとか、ヨーロッパが獣の国ですとか
いっている分にはみなから、結構、結構といわれて喜ばれるのですが、
逆に、艱難時代を通るぞとか、不従順なクリスチャンは毒麦として焼かれる、なんて
いうと非難ごうごうなのです。

しかし、だからといって、語らない、伝えないなら、そもそも預言者ではありません。

主のいわれたことに聞き従い、語るべきことを語る者にポイントがあることを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー ------------QezRVOPaG7ywxKEy6SFr4K Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename=""