NO.711魔術は教えを妨げる


”テキスト:使徒13:4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。
5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。
6 島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、にせ預言者で、名をバルイエスというユダヤ人の魔術師に出会った。
7 この男は地方総督セルギオ・パウロのもとにいた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた。
8 ところが、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。
9 しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
10 言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。
11 見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」と言った。するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。
12 この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰にはいった。”
 

本日は、「魔術は教えを妨げる
」という題でメッセージしたいと思います。
テキストに沿って見ます。

”4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。
5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。”
 

サウロ、バルナバの2人は、聖霊に遣わされて主の働きに出かけたのですが、
しかし、それを妨げる人が現れます。
 

"
6 島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、にせ預言者で、名をバルイエスというユダヤ人の魔術師に出会った。"

さて、ここで彼らはバルイエスという名前の魔術師にあったのです。
後の節を読むと、魔術師は正しい信仰を妨害をしています。

さてこの魔術師の名前、バルイエスの意味合いはイエスの子という意味です。
しかし、不思議な名前です。イエスの教えを妨害し、また、偽預言者である人物が「イエスの子」と名のっているのです。このおかしな事柄を通して、聖書が語っていることがあるように感じます。
それは何か?

それは、信仰を真の意味で妨げる人はイエスと無関係の人というより、イエスと関係ある
人の方が意味がある、また効果的であるということです。

イエスと無関係の人がクリスチャンを攻撃してもあまり信仰にダメージを受けることはありません。
たとえば、イエスと無縁の仏教の人が、「キリストの死は敗北の死ではないか」なんていっても
それで、ダメージを受けて信仰をやめるクリスチャンなどあまりいません。
表面的には、「ああそうですか」なんて答えても、そんな表面的な反論や、疑問で信仰をやめる
クリスチャンなどあまりいないのです。

しかし、バルイエス、イエスの子、イエスによって生まれたと称する人々、すなわち、
同じクリスチャンを名乗る人々からの攻撃にはけっこうクリスチャンは弱いのです。

あのベニーヒンだの、ロドニーハワードブラウンだのは、明らかに魔術師であり、
おかしな霊を降臨させたり、錬金術まがいの金歯、金粉の術を披露しているのですが、
誰も反対しません。その理由は彼らが自分たちは、イエスによって、生まれた、新生したクリスチャンである、すなわち、バルイエスと称しているからなのです。

それどころか彼らはキリスト教の聖会のどまんなかで、集会を開いていたりするのです。
多くのクリスチャンがベニーヒンの集会に押し寄せ、そして、惑わされて悪霊を受けています。
 


7 この男は地方総督セルギオ・パウロのもとにいた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた。”

この総督は、バルナバとサウロから神のことばを聞きたいと思っていました。このことは良いことで
永遠の命につながることです。しかし、正しい道に往々にして、何らかの妨害があるものです。
 

”8 ところが、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。”
 

ここで、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は「ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした」のです。
ですから、ここで、この総督は、この魔術師により、信仰に入ることをさまたげられたのです。
このことは、ある意味、この総督に関する、ほぼ個人的な経験に過ぎないようにも思えますが、
しかし、この総督の記述は聖書に書かれ、何十億というクリスチャンがこの記事を読んでいます。
ですから、この記事を通して神が我々にも語ることがあるのです。

ここで学ぶべき教訓はひとつであり、それは、魔術、魔術師は信仰を妨げるという事実です。
このことを正しく正しく知りましょう。

そして、現在と関係して一つ追加するなら、
現代のキリスト教への攻撃は「魔術」をともなうものであることを知りましょう。
 

たとえば、あのトロント、ペンサコーラのリバイバルは魔術由来のものであり、
金粉、金歯の奇跡は他でもない、錬金魔術の施行なのです。

神の霊と称して魔術の霊、悪霊がキリスト教会のどまんなかで、大暴れしているのです。
かといって、このリバイバルには見分けのポイントが皆無というわけではありません。
いくつかあります。その筆頭はあのおかしな現象です。霊を受けた人々が馬や猿のようになる、すなわち、
獣になるのです。

こんな現象を見てなおかつわからないとは、失礼ながら、あきめくらです。こんな霊がわからないとは、
霊のみわけゼロのなさけない人々です。きょうびのへんてこ系クリスチャンの方々は。

それ以外にも、たとえば、例の「ヤベツの祈り」も魔術の原則なのです。
ヤベツそのものは、聖書に存在する人物ですが、彼の名前を使ったヤベツの祈り、
すなわち、同じ言葉を何日も何週間も何ヶ月も何年も繰り返すとは、
他でもない、神に強制する魔術の祈りの原則です。

主御自身も祈りに関して、「異邦人のするように同じことばを何度も繰り返してはいけない」、それはクリスチャンの原則ではなく、異邦人の原則だ、といってはおられなかったでしょうか。
以下のとおりです。

”マタイ6:7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。”

ですから、ヤベツの祈りとは、公然とイエスの教えに挑戦する、
あからさまな魔術の祈りなのです。

おかしなベストセラーに影響されず、冷静にみことばの原則に立たなければなりません。

はたまた、少し前から、聖霊の第三の波のピーターワグナーにより、
霊の戦いなる、ことがらが、キリスト教会に導入されました。
 

しかし、このような方法、寺院等へ霊の戦いを行うとは、魔術の方法であると、
指摘する人々がいます。
 

そうです、魔術は我々と無縁ではなく、教会に魔術は入りつつあるのです。

”9 しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
10 言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。”
 

ここでパウロがいっているように、魔術は主のまっすぐな道を曲げること、
あらゆる偽りとよこしまに満ちていることを知りましょう。
 

終末の日の問題はこのように、主の道を曲げる魔術の方法が大いにキリスト教会に入り込んでくることです。

以下の様に終末に関する預言である黙示録の中で、魔術について言及されています。
 

”黙示録18:21 また、ひとりの強い御使いが、大きい、ひき臼のような石を取り上げ、海に投げ入れて言った。「大きな都バビロンは、このように激しく打ち倒されて、もはやなくなって消えうせてしまう。
22 立て琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを鳴らす者の声は、もうおまえのうちに聞かれなくなる。あらゆる技術を持った職人たちも、もうおまえのうちに見られなくなる。ひき臼の音も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。
23 ともしびの光は、もうおまえのうちに輝かなくなる。花婿、花嫁の声も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。なぜなら、おまえの商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術にだまされていたからだ。”

これは淫婦バビロンの裁きに関することばですが、終末の日のバビロンは現在のアメリカであり、
アメリカを起点として、魔術化したキリスト教が世界を覆いつつあるのです。

それは、キリスト教書店を通し、また、福音派であると自称する某魔術出版社を
通して、ヤベツの祈りを始め、大いに日本のキリスト教会に浸透しています。

しかし、このアメリカ由来の魔術を受け入れたその先に待つものは、神のすさまじい怒りであることを知りましょう。
以下の様に書かれています。
 

”ヨハネの黙示録 21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」”

”ヨハネの黙示録 22:14 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。
15 犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。”
 

ですから、終末の日の教会はあらゆる面で、おかしく道を曲げているのですが、この面、
魔術の浸透という面でも曲っているのです。
ですから、今のキリスト教会には、あらゆる面で魔術が浸透している、そう
考えるのが聖書的なのです。

そして、その結果何が待っているかというと、

上記黙示録に記されているように、「 犬ども、魔術を行なう者、..みな、外に出される。」、
すなわち、命の都に入れない日が待っているのです。
このことの見分け、吟味は大事であることを知りましょう。
 

”11 見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」と言った。するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。
12 この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰にはいった。”

この時、魔術師は日の光を見ることができず、かすみとやみが彼をおおいました。
全て、魔術を受け入れるものはこのようになることを知りましょう。

錬金術のリバイバルを受ける人々はみな、闇の中にはいります。
結果、光は彼らから消え去ります。
彼らはいずれ、おかしな霊に惑わされ、おかしな使徒、預言者に聞き従い、正しく聖霊に導かれている人々を悪霊、カルト呼ばわりするのでしょうが、それは彼らに光がないからです。

この箇所を始め、全て聖書に書かれていることはどれも成就することを知りましょう。
終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
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