NO.705 その道を通らない(2)


”テキスト:1列王13:
11 ひとりの年寄りの預言者がベテルに住んでいた。その息子たちが来て、その日、ベテルで神の人がしたことを残らず彼に話した。また、この人が王に告げたことばも父に話した。
12 すると父は、「その人はどの道を行ったか。」と彼らに尋ねた。息子たちはユダから来た神の人の帰って行った道を知っていた。
13 父は息子たちに、「ろばに鞍を置いてくれ。」と言った。彼らがろばに鞍を置くと、父はろばに乗り、
14 神の人のあとを追って行った。その人が樫の木の下にすわっているのを見つけると、「あなたがユダからおいでになった神の人ですか。」と尋ねた。その人は、「私です。」と答えた。
15 彼はその人に、「私といっしょに家に来て、パンを食べてください。」と言った。
16 するとその人は、「私はあなたといっしょに引き返し、あなたといっしょに行くことはできません。この所では、あなたといっしょにパンも食べず、水も飲みません。
17 というのは、私は主の命令によって、『そこではパンを食べてはならない。水も飲んではならない。もと来た道を通って帰ってはならない。』と命じられているからです。」
18 彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ。』と言って命じました。」こうしてその人をだました。
19 そこで、その人は彼といっしょに帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。
20 彼らが食卓についていたとき、その人を連れ戻した預言者に、主のことばがあったので、
21 彼はユダから来た神の人に叫んで言った。「主はこう仰せられる。『あなたは主のことばにそむき、あなたの神、主が命じられた命令を守らず、
22 主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならない、と命じられた場所に引き返して、そこであなたはパンを食べ、水を飲んだので、あなたのなきがらは、あなたの先祖の墓には、はいらない。』」”
 

本日は「その道を通らない(2)」として、この件をさらに見て行きたいと思います。テキストに沿って見ていきます。
 

”11 ひとりの年寄りの預言者がベテルに住んでいた。その息子たちが来て、その日、ベテルで神の人がしたことを残らず彼に話した。また、この人が王に告げたことばも父に話した。

さて、北イスラエル、すなわち、カソリックへの警告を語ったユダからの
神の人と別にベテルに一人の預言者がいました。
彼は今でいえば、カソリックの教師、カソリックの祭司を予表するものです。
結論からいえば、カソリックの教えは惑わしであり、巧妙な惑わしです。
そして、それに巻き込まれ、だまされたユダ、プロテスタントからの神の人は命を失いました。
これは、現代の我々に対する警告であり、我々がどうカソリックを理解すべきかということを語っています。


”12 すると父は、「その人はどの道を行ったか。」と彼らに尋ねた。息子たちはユダから来た神の人の帰って行った道を知っていた。
13 父は息子たちに、「ろばに鞍を置いてくれ。」と言った。彼らがろばに鞍を置くと、父はろばに乗り、
14 神の人のあとを追って行った。その人が樫の木の下にすわっているのを見つけると、「あなたがユダからおいでになった神の人ですか。」と尋ねた。その人は、「私です。」と答えた。
15 彼はその人に、「私といっしょに家に来て、パンを食べてください。」と言った。
16 するとその人は、「私はあなたといっしょに引き返し、あなたといっしょに行くことはできません。この所では、あなたといっしょにパンも食べず、水も飲みません。
17 というのは、私は主の命令によって、『そこではパンを食べてはならない。水も飲んではならない。もと来た道を通って帰ってはならない。』と命じられているからです。」”
 

そのベテルの預言者は、ユダからの神の人に追い付き、彼にこの北イスラエル、
の地のパンを食べることを勧めます。
ですから、ここは、どういう箇所かというと、カソリックはどのようにして、
プロテスタントに属する神の人、クリスチャンをだますかという問題なのです。

この後、ユダからの神の人はまんまとだまされ、自分の命を失います。
そして今でも同じように命を失うプロテスタントが多いのです。この箇所は彼らに対する警告です。
 

”18 彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ。』と言って命じました。」こうしてその人をだました。”
 
 

この日、ユダからの神の人はだまされ、北イスラエル、すなわち、カソリックのパンを食べ、水を飲みました。すなわち、カソリックの教えを受け、その霊を受けたのです。結果、彼は後で、命を失うようになります。

一体このベテルの預言者はどのような方法でまんまとユダの神の人をだましたのでしょうか?
その方法はここでは、「御使いが....命じた」と記されています。
御使いを持ち出したのです。

この方法はカソリックで多用されている方法です。
カソリックは何かというと御使いの不思議なわざとか、奇跡とか、マリヤの霊だとかをいう教会だからです。しかし、たとえ、御使いの不思議な奇跡があろうとなかろうと、
この教会のパン、すなわち、教えもまた、水すなわち霊を受けるべきではありません。
 

パウロは、たとえ御使いからのものであろうと、聖書の福音に反する教え、すなわち、
パンを受けるなとしてこう語ります。
 
 

”ガラテヤ1:6 私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
7 ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。
8 しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
9 私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。”

ですから、たとえ御使いが語ろうと、神の福音に反する教えを受けるべきではないのです。
カソリックの教えの多くは福音に反しており、我々が受けるべきものではありません。
ローマ法王やマザーテレサの賛成する「キリストと共同のあがない主マリヤ」という教えは、
「この方による以外救いはない」といわれたキリストの救いに対する明確な反対であり、
こんな教えに同調する人々は、パウロのことばによれば、「のろわれるべき」人なのです。

”19 そこで、その人は彼といっしょに帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。”

このユダからの神の人はだまされ、北イスラエル、ベテルのパンを食べ、水を飲みました。
結果彼は命を失うのです。ですから、私達プロテスタントはたとえ、どのようなへ理屈を聞こうと、
誰が推薦しようとこの地、カソリックのパン、すなわち教えもまた、水、霊をも受けるべきではないのです。それは、命、永遠の命を失うか否かという問題なのです。
 

”20 彼らが食卓についていたとき、その人を連れ戻した預言者に、主のことばがあったので、
21 彼はユダから来た神の人に叫んで言った。「主はこう仰せられる。『あなたは主のことばにそむき、あなたの神、主が命じられた命令を守らず、
22 主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならない、と命じられた場所に引き返して、そこであなたはパンを食べ、水を飲んだので、あなたのなきがらは、あなたの先祖の墓には、はいらない。』」”

さて、この時、思いがけないことが起きます。
その連れ出したベテルの預言者、すなわちカソリックの預言者に神のことばがあったのです。
それは、その連れ戻され、この地で、パンを食べ、水を飲んだユダからの預言者は、
死んだあと、その死体は先祖の墓には入らないというのです。

ですから、ここでも結論は同じであり、たとえ御使いの教えだから、といわれても、
我々プロテスタントはこのカソリックの教えを受けるべきではないのです。
もしあえてそうするなら、たとえユダにいてもすなわち、プロテスタント出身であっても、
その「なきがらは先祖の墓にははいらない」すなわち、プロテスタントの先祖が入った、
天の御国に入ることはできないのです。

結論として、この箇所で明らかに語られていることは、ユダ、プロテスタントの人々が、
ベテル、すなわち、カソリックの教え、霊をどう考えるべきか、対応すべきかという問題です。答えは明白であり、そのパンを食べても、その水を飲んでもいけないのです。

カソリックの教えを受け、その霊を受けることは、プロテスタントのクリスチャンにとり、永遠の
命を失う結果となる、このことが語られていることを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。
ー以上ー
 
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