NO. 690祭壇の火は燃えしむべし、消えしむべからず


”テキスト:レビ6:1 ついで主はモーセに告げて仰せられた。
2 「人が主に対して罪を犯し、不実なことを行なうなら、すなわち預かり物や担保の物、あるいはかすめた物について、隣人を欺いたり、隣人をゆすったり、
3 あるいは落とし物を見つけても、欺いて偽りの誓いをするなど、人が行なうどれかについて罪を犯すなら、
4 この人が罪を犯して罪に定められたときは、そのかすめた品や、強迫してゆすりとった物、自分に託された預かり物、見つけた落とし物、
5 あるいは、それについて偽って誓った物全部を返さなければならない。元の物を償い、またこれに五分の一を加えなければならない。彼は罪過のためのいけにえの日に、その元の所有者に、これを返さなければならない。
6 この人は主への罪過のためのいけにえを、その評価により、羊の群れから傷のない雄羊一頭を罪過のためのいけにえとして祭司のところに連れて来なければならない。
7 祭司は、主の前で彼のために贖いをする。彼が行なって罪過ある者とされたことのどれについても赦される。」
8 ついで主はモーセに告げて仰せられた。
9 「アロンとその子らに命じて言え。全焼のいけにえのおしえは次のとおりである。全焼のいけにえそのものは、一晩中朝まで、祭壇の上の炉床にあるようにし、祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならない。
10 祭司は亜麻布の衣を着なさい。また亜麻布のももひきをその身にはかなければならない。そして、祭壇の上で火が焼き尽くした全焼のいけにえの脂肪の灰を取り出し、祭壇のそばに置きなさい。”

本日は、「祭壇の火は燃えしむべし、消えしむべからず
」として、レビ記から学んでいきたいと思います。
 

”1 ついで主はモーセに告げて仰せられた。
2 「人が主に対して罪を犯し、不実なことを行なうなら、すなわち預かり物や担保の物、あるいはかすめた物について、隣人を欺いたり、隣人をゆすったり、
3 あるいは落とし物を見つけても、欺いて偽りの誓いをするなど、人が行なうどれかについて罪を犯すなら、
4 この人が罪を犯して罪に定められたときは、そのかすめた品や、強迫してゆすりとった物、自分に託された預かり物、見つけた落とし物、
5 あるいは、それについて偽って誓った物全部を返さなければならない。元の物を償い、またこれに五分の一を加えなければならない。彼は罪過のためのいけにえの日に、その元の所有者に、これを返さなければならない。”

ここでは、私達の物に関する罪について書いてあります。
すなわち、
預かったものを自分のものとして、着服したり、隣人を欺いて人の金や物を奪った、
そのような罪を犯した時、その罪はどのようにして許されるか、そのことが描かれています。

まず、ところで、何故罪が許されなければならないのか、そのことを考えてみましょう。
何故我々クリスチャンは罪を許してもらわなければならないのか?
その理由はもし、罪の許し、和解を、まだ時間があるうちに行わないと、我々自身が
罪のつぐないをしなければならないからです。
以下の様に書かれています。
 

”ルカ12:58 あなたを告訴する者といっしょに役人の前に行くときは、途中でも、熱心に彼と和解するよう努めなさい。そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行きます。裁判官は執行人に引き渡し、執行人は牢に投げ込んでしまいます。
59 あなたに言います。最後の一レプタを支払うまでは、そこから決して出られないのです。」”
 

我々の日常の世界でもたとえば、人から100万円、だましとり、返さなければ
どうなるかというと、相手は怒って、我々を訴えます。
そして、我々は刑務所に入らなければならなくなります。

そして、我々は3ヶ月とか、1年とか、刑務所の牢屋で過ごさなければ、
ならなくなるのです。
刑務所は決して楽しいところではないでしょう。この牢屋、刑務所のことは、
たとえであり、私達は罪の許しを受けないため、後の日に入る、地獄をあらわします。
だから、我々はそこに入らないよう、
大いに気をつけるべきなのです。
 

そしてこのことはしかるべき配慮を払うべき事柄と思います。
旧約聖書を読むといたるところに罪科のいえにえ、あがないの羊等の記述があります。
繰り返し、繰り返しこのことは書かれています。

これらは新約の我々と全く無関係なことがらではありません。
そうではなく、我々もあがないを受けなければいけないので、このことは度々書かれているのです。

あがない、神との和解に関しては、我々が道の途中にいる間に熱心に和解するよう、
求めるべきです。そうでないなら、私達は自分の身をもって、罪の代価を払わなければならなくなるからです。
 

それで、我々はこれらの教えに目をとめるべきです。

”5 あるいは、それについて偽って誓った物全部を返さなければならない。元の物を償い、またこれに五分の一を加えなければならない。彼は罪過のためのいけにえの日に、その元の所有者に、これを返さなければならない。”

人から取ったものについて、それを返すこと、また、
その1/5を加えなければならないことが書かれています。

だから、我々がもし、この種の罪を犯し、人から、金や物を奪っていたのなら、それを
具体的に弁済するということを覚えましょう。
対神だけでなく、対人への弁済も必要なのです。
 
 
 

”6 この人は主への罪過のためのいけにえを、その評価により、羊の群れから傷のない雄羊一頭を罪過のためのいけにえとして祭司のところに連れて来なければならない。
7 祭司は、主の前で彼のために贖いをする。彼が行なって罪過ある者とされたことのどれについても赦される。」”
 

さて、これらの罪、人から脅し取ったり、盗んだ金や物の罪に関して、対人への
弁済のみでなく、対神への対応が必要であることがここで、書かれています。
神への対応として、羊の群れから傷のない雄羊を捧げることが書かれています。

そして、それがその人の罪へのあがない、代価を払う、ことになることが書かれています。
そして、その結果、「彼が行なって罪過ある者とされたことのどれについても赦され」たことが
書かれています。

この捧げられた傷のない雄羊は、罪のない小羊、イエスキリストの型です。
型ではあるのですが、しかし、この雄羊の血によるあがないは有功です。
何故なら、みことばにはっきり、「彼が行なって罪過ある者とされたことのどれについても赦される。」
と明記されてあるからです。ですから、罪のため、実際に生きた羊や牛をささげた
旧約の神の民の罪は現実に許され、あがなわれ、これらの人々は、死後、神の前に立っても
罪のとがを受けなかったのです。

そして、これらの羊や、牛という動物の血によっても罪が許され、あがなわれた以上、
それより尊いお方の血によるあがないは、もちろん、有功であり、
我々の罪は主の血のゆえに許されるのです。


8 ついで主はモーセに告げて仰せられた。
9 「アロンとその子らに命じて言え。全焼のいけにえのおしえは次のとおりである。全焼のいけにえそのものは、一晩中朝まで、祭壇の上の炉床にあるようにし、祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならない。”

さて、ここでは、全焼のいけにえに関して書かれています。
全焼のいけにえのいわんとしていることは、神は牛や羊、すなわちクリスチャンのいけにえ、
奉仕を受け入れるが、しかし、それが全焼の生けにえ、すなわち、聖霊の火で焼かれたものでないなら、
生の肉のままなら、すなわち、生まれつきの力、性格、働きなら、それは、受け入れられないということです。しかし、全焼のいけにえ、すなわち、どこもかしこも、聖霊の火で、焼かれるなら、それは、受け入れられるということなのです。
 

「祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならない。」
 

全焼のいけにえを焼きつくす祭壇の火は、そこで、燃えつづけさせなければならない、
すなわち、途中で消してはいけないことが書かれています。
この意味合いは何でしょう?

すなわち、生肉を焼く火、聖霊の火を消してはいけない、そういうことを語っているのです。
聖霊の火を消さず、燃えつづけさせるためには、どうするか?
そのためには、祈り続けなければなりません。


10 祭司は亜麻布の衣を着なさい。また亜麻布のももひきをその身にはかなければならない。そして、祭壇の上で火が焼き尽くした全焼のいけにえの脂肪の灰を取り出し、祭壇のそばに置きなさい。”

亜麻布の意味合いは何でしょう?麻は汗が出ないと聞いたことがあります。
そうなら、人の汗、能力、努力ではないということを語っているのでしょう。
人からの努力、力ではなく、しかし、聖霊の火で焼き尽くされた歩み、
それが、神の前にいけにえ、奉仕をささげるものには、基本である、このことを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
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