No.685 アブシャロムの記念碑

テキスト:2サムエル189 アブシャロムはダビデの家来たちに出会った。アブシャロムは騾馬に乗っていたが、騾馬が大きな樫の木の茂った枝の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていた騾馬はそのまま行った。
10
ひとりの男がそれを見て、ヨアブに告げて言った。「今、アブシャロムが樫の木に引っ掛かっているのを見て来ました。」
11
ヨアブはこれを告げた者に言った。「いったい、おまえはそれを見ていて、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか。私がおまえに銀十枚と帯一本を与えたのに。」
12
その男はヨアブに言った。「たとい、私の手に銀千枚をいただいても、王のお子さまに手は下せません。王は私たちの聞いているところで、あなたとアビシャイとイタイとに、『若者アブシャロムに手を出すな。』と言って、お命じになっているからです。
13
もし、私が自分のいのちをかけて、命令にそむいていたとしても、王には、何も隠すことはできません。そのとき、あなたは知らぬ顔をなさるでしょう。」
14
ヨアブは、「こうしておまえとぐずぐずしてはおられない。」と言って、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真中に引っ掛かったまま生きていたアブシャロムの心臓を突き通した。
15
ヨアブの道具持ちの十人の若者たちも、アブシャロムを取り巻いて彼を打ち殺した。
16
ヨアブが角笛を吹き鳴らすと、民はイスラエルを追うのをやめて帰って来た。ヨアブが民を引き止めたからである。
17
人々はアブシャロムを取り降ろし、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常に大きな石くれの山を積み上げた。イスラエルはみな、おのおの自分の天幕に逃げ帰っていた。
18
アブシャロムは存命中、王の谷に自分のために一本の柱を立てていた。「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから。」と考えていたからである。彼はその柱に自分の名をつけていた。それは、アブシャロムの記念碑と呼ばれた。今日もそうである。

 

本日は「アブシャロムの記念碑」という題でメッセージをしていきたいと思います。

 

テキストに沿って見ていきます。

                                                    

”9 アブシャロムはダビデの家来たちに出会った。アブシャロムは騾馬に乗っていたが、騾馬が大きな樫の木の茂った枝の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていた騾馬はそのまま行った。
10
ひとりの男がそれを見て、ヨアブに告げて言った。「今、アブシャロムが樫の木に引っ掛かっているのを見て来ました。」

 

 

反逆者アブシャロムはダビデを討伐すべく、自ら乗り出してきました。
しかし、あっという間に樫の木に掛かって哀れな最後を遂げます。

 

”9 アブシャロムはダビデの家来たちに出会った。アブシャロムは騾馬に乗っていたが、騾馬が大きな樫の木の茂った枝の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていた騾馬はそのまま行った。
10
ひとりの男がそれを見て、ヨアブに告げて言った。「今、アブシャロムが樫の木に引っ掛かっているのを見て来ました。」

 

彼は意気揚々と攻撃に来たのですが、ほとんど戦いにならず、自滅し、命を失います。
終末の日に立つ反キリストの働きも同じ程度のものだということを知りましょう。

 

華々しく立つのですが、花火みたいに消えて跡形も無く、消えるのです。
こんな一過性の人間を恐れ入ったり、聞き入ったり、まして、永遠の神の言葉を捨て去るべきではありません。

 

”9 アブシャロムはダビデの家来たちに出会った。アブシャロムは騾馬に乗っていたが、騾馬が大きな樫の木の茂った枝の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていた騾馬はそのまま行った。
10
ひとりの男がそれを見て、ヨアブに告げて言った。「今、アブシャロムが樫の木に引っ掛かっているのを見て来ました。」

 

アブシャロムはここであえなく命を失いました。しかし、彼は反キリストの型なのです。

 

”17 人々はアブシャロムを取り降ろし、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常にアブ大きな石くれの山を積み上げた。イスラエルはみな、おのおの自分の天幕に逃げ帰っていた。

 

 

アブシャロムの死んだ体は取り降ろされ、深い穴に投げ込まれ、さらに大きな石くれの山となりました。
災いをもたらすアブシャロムは2度と出てくるな、そんな意図を感じます。

 

”18 アブシャロムは存命中、王の谷に自分のために一本の柱を立てていた。「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから。」と考えていたからである。彼はその柱に自分の名をつけていた。それは、アブシャロムの記念碑と呼ばれた。今日もそうである。 

 

ここで、アブシャロムの名前を覚えること、更にアブシャロムの記念碑が今日まである、と書かれています。言わんとしていることは、アブシャロムの話はダビデの時、終わったのではなく、今日まで、終末の時代である今日まで関係する、このことです。

 

この反キリストの型であるアブシャロムの事柄は今日でも、否、これらの記述は今日のために書かれたのです。

 

さて、このように封印され、深く埋められ、忘れ去られたかのような、この霊、アブシャロムの霊は、世の終わりに戻ってきます。以下の様に書かれています。

 

ユダ:6 また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。

 

「永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められた」御使いですが、その彼らは、大いなる裁きの日に戻って来ることがこの箇所で暗示されています。

 

反キリストという個人が大変な人間であるというより、彼を操り、彼を用いる、霊が恐ろしい霊であり、今迄、辛うじて閉じ込められていた御使いなのです。
その御使いが、あの反逆者アブシャロムの様にエルサレムすなわち、神に愛された教会を席巻する、その日が反キリストの日なのです。


神を恐れ、この方の救いを求めましょう。

 

 

終末における主の御心を行いましょう。