NO.683反キリストとアブシャロム

”テキスト:2サムエル13:
23 それから満二年たって、アブシャロムがエフライムの近くのバアル・ハツォルで羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、アブシャロムは王の息子たち全部を招くことにした。
24 アブシャロムは王のもとに行って言った。「このたび、このしもべが羊の毛の刈り取りの祝いをすることになりました。どうか、王も、あなたの家来たちも、このしもべといっしょにおいでください。」
25 すると王はアブシャロムに言った。「いや、わが子よ。われわれ全部が行くのは良くない。あなたの重荷になってはいけないから。」アブシャロムは、しきりに勧めたが、ダビデは行きたがらず、ただ彼に祝福を与えた。
26 それでアブシャロムは言った。「それなら、どうか、私の兄弟アムノン(信仰)を私どもといっしょに行かせてください。」王は彼に言った。「なぜ、彼があなたといっしょに行かなければならないのか。」
27 しかし、アブシャロムが、しきりに勧めたので、王はアムノンと王の息子たち全部を彼といっしょに行かせた。
28 アブシャロムは自分に仕える若い者たちに命じて言った。「よく注意して、アムノンが酔って上きげんになったとき、私が『アムノンを打て。』と言ったら、彼を殺せ。恐れてはならない。この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ。」
29 アブシャロムの若い者たちが、アブシャロムの命じたとおりにアムノンにしたので、王の息子たちはみな立ち上がって、おのおの自分の騾馬に乗って逃げた。
30 彼らがまだ道の途中にいたとき、ダビデのところに次のような知らせが着いた。「アブシャロムは王の子たちを全部殺しました。残された方はひとりもありません。」
31 そこで王は立ち上がり、着物を裂き、地に伏した。かたわらに立っていた家来たちもみな、着物を裂いた。
32 しかしダビデの兄弟シムアの子ヨナダブは、証言をして言った。「王さま。彼らが王の子である若者たちを全部殺したとお思いなさいませんように。アムノンだけが死んだのです。それはアブシャロムの命令によるので、アムノンが妹のタマルをはずかしめた日から、胸に持っていたことです。
33 今、王さま。王子たち全部が殺された、という知らせを心に留めないでください。アムノンだけが死んだのです。」
34 一方、アブシャロムは逃げた。見張りの若者が目を上げて見ると、見よ、彼のうしろの山沿いの道から大ぜいの人々がやって来るところであった。
35 ヨナダブは王に言った。「ご覧ください。王子たちが来られます。このしもべが申し上げたとおりになりました。」
36 彼が語り終えたとき、そこに王子たちが来て、声をあげて泣いた。王もその家来たちもみな、非常に激しく泣いた。
37 アブシャロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げた。ダビデは、いつまでもアムノンの死を嘆き悲しんでいた。
38 アブシャロムは、ゲシュルに逃げて行き、三年の間そこにいた。
39 ダビデ王はアブシャロムに会いに出ることはやめた。アムノンが死んだので、アムノンのために悔やんでいたからである。

本日は、「反キリストとアブシャロム」という題でメッセージをしたいと思います。

ダビデの息子アブシャロムは、反キリストの型のように見えます。
このことを見ていきたいと思います。

テキストに沿って見ていきます。

”23 それから満二年たって、アブシャロムがエフライムの近くのバアル・ハツォルで羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、アブシャロムは王の息子たち全部を招くことにした。
24 アブシャロムは王のもとに行って言った。「このたび、このしもべが羊の毛の刈り取りの祝いをすることになりました。どうか、王も、あなたの家来たちも、このしもべといっしょにおいでください。」
25 すると王はアブシャロムに言った。「いや、わが子よ。われわれ全部が行くのは良くない。あなたの重荷になってはいけないから。」アブシャロムは、しきりに勧めたが、ダビデは行きたがらず、ただ彼に祝福を与えた。”

アブシャロムは反キリストの型ではないのか、と私は思っています。
その理由は、このアブシャロムこそ、ダビデの王位を狙い、奪取し、ダビデを追い出した人物だからです。ダビデが王であるキリストの型であるなら、これは、キリストの王座をねらい、それを奪う反キりストの
行いそのものです。

また、彼の名前、アブシャロムはダビデの別の息子、ソロモンと関係ある名前です。ソロモン
はシャローム(平和)という意味合いですが、アブシャロムは父の平和という意味合いです。
以前見たように、ソロモンは聖霊の型と理解できます。
それに反して、アブシャロム、父の平和とは、天におられる父というより、「あなたがたの父は悪魔である」といわれたサタンを父とする平和、そう理解できます。
 

これらのことを念頭に記事を見ていきたいと思います。
上記節で「羊の毛の刈り取り」は麦の大収穫に通じます。だから、これは、
収穫の時、終末のことのたとえと理解できます。

”26 それでアブシャロムは言った。「それなら、どうか、私の兄弟アムノン(信仰)を私どもといっしょに行かせてください。」王は彼に言った。「なぜ、彼があなたといっしょに行かなければならないのか。」
27 しかし、アブシャロムが、しきりに勧めたので、王はアムノンと王の息子たち全部を彼といっしょに行かせた。”
 

この時、アブシャロムはひそかに計画を練っており、その後、
兄弟アムノンを殺します。アムノンの名前の意味合いは、信仰であり、
すなわち、アブシャロムはダビデの家、すなわち、キリストの家の信仰を奪う、
そういう意味合いになります。教会から、信仰を奪う反キリストの働きを予表したかのような
ことがらです。

”28 アブシャロムは自分に仕える若い者たちに命じて言った。「よく注意して、アムノンが酔って上きげんになったとき、私が『アムノンを打て。』と言ったら、彼を殺せ。恐れてはならない。この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ。」
29 アブシャロムの若い者たちが、アブシャロムの命じたとおりにアムノンにしたので、王の息子たちはみな立ち上がって、おのおの自分の騾馬に乗って逃げた。”

何故、アブシャロムがアムノンを殺したかというと、その妹タマルが辱められたかたです。
人間的にいえば、アブシャロムの方が正しいように思えます。
しかし、これらはあくまで型であり、私達は隠された意味合いを見ていきたいと思うのです。

さて、この箇所でアブシャロムは剣を持って、自分の兄弟を撃ち、殺します。
剣は、御霊の剣、すなわち神のことばに通じます。
ですから、反キリストの働きの一つは、剣、すなわち、おかしな教理をまん延させ、兄弟の
命を奪う、それであることがわかります。

たとえば、今でいえば、2段階携挙説、獣の国ヨーロッパ説などをまん延させるわけです。

”30 彼らがまだ道の途中にいたとき、ダビデのところに次のような知らせが着いた。「アブシャロムは王の子たちを全部殺しました。残された方はひとりもありません。」
31 そこで王は立ち上がり、着物を裂き、地に伏した。かたわらに立っていた家来たちもみな、着物を裂いた。
32 しかしダビデの兄弟シムアの子ヨナダブは、証言をして言った。「王さま。彼らが王の子である若者たちを全部殺したとお思いなさいませんように。アムノンだけが死んだのです。それはアブシャロムの命令によるので、アムノンが妹のタマルをはずかしめた日から、胸に持っていたことです。
33 今、王さま。王子たち全部が殺された、という知らせを心に留めないでください。アムノンだけが死んだのです。」
34 一方、アブシャロムは逃げた。見張りの若者が目を上げて見ると、見よ、彼のうしろの山沿いの道から大ぜいの人々がやって来るところであった。
35 ヨナダブは王に言った。「ご覧ください。王子たちが来られます。このしもべが申し上げたとおりになりました。」
36 彼が語り終えたとき、そこに王子たちが来て、声をあげて泣いた。王もその家来たちもみな、非常に激しく泣いた。
37 アブシャロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げた。ダビデは、いつまでもアムノンの死を嘆き悲しんでいた。”

かくのごとく災いはアブシャロムを通して、ダビデの家に起きてきました。
その理由はかつてダビデが、忠臣ウリヤを剣をもって殺したからです。
彼がかつて蒔いた肉の種が育ち、大きく滅びを刈り取ることになったのです。
 

同じ意味合いで、終末の日の剣がまんえんし、クリスチャンがみな、反キリストの剣、
インチキ教理に倒されていくその理由は、その罪のゆえ。不信のゆえであることを知りましょう。

”38 アブシャロムは、ゲシュルに逃げて行き、三年の間そこにいた。
39 ダビデ王はアブシャロムに会いに出ることはやめた。アムノンが死んだので、アムノンのために悔やんでいたからである。

ダビデは兄弟を殺したアブシャロムと会わないようにしました。
彼が人殺し、兄弟殺しを行ったことを思えば当然の処置と思えます。
しかし、この拒否されたアブシャロムは、徐々に追放から、戻り、さらにエルサレムに住み、
ダビデと顔を会わすようになります。さらに彼は、民の間に自分の評判を高め、
最後にはダビデの王座まで、奪ってしまうのです。
 

これを反キリストに関連して考えれば、当初、教会の中から、追放され、
相手にされなかった、反キリストの教え、霊がいずれ、教会に戻って来る、そして、
最後には教会を乗っ取り、ダビデすなわち、教会の王であるキリストの座に座る、そう理解できます。
 

かくのごとく、反キリストが教会を席巻すること、キリストの王座まで、
奪ってしまうことは、聖書の中で、預言されています。
この理解に基づき、正しく終末の備えをしていきましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー -----------------------------7d931534600a0 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream