No.682 貞潔を失う(3

テキスト:2サムエル1620 それで、アブシャロムはアヒトフェルに言った。「あなたがたは相談して、われわれはどうしたらよいか、意見を述べなさい。」
21
アヒトフェルはアブシャロムに言った。「父上が王宮の留守番に残したそばめたちのところにおはいりください。全イスラエルが、あなたは父上に憎まれるようなことをされたと聞くなら、あなたに、くみする者はみな、勇気を出すでしょう。」
22
こうしてアブシャロムのために屋上に天幕が張られ、アブシャロムは全イスラエルの目の前で、父のそばめたちのところにはいった。

 

本日は「貞潔を失う(3)」としてこの件を更に見ていきましょう。

 

テキストに沿って見ていきます。

 

”20 それで、アブシャロムはアヒトフェルに言った。「あなたがたは相談して、われわれはどうしたらよいか、意見を述べなさい。」

 

アブシャロムは誰か言うと、ダビデの息子です。しかし、その息子のアブシャロムは、この時あろうことか、父であり、王であるダビデを狙い、その王座を奪取しました。
誰もしない特殊なことをしたのです。

 

その様な悪事を働いたアブシャロムは、終末の日に教会の王であるイエス・キリストの王座を奪う反キリストの型と理解出来ます。

 

”21 アヒトフェルはアブシャロムに言った。「父上が王宮の留守番に残したそばめたちのところにおはいりください。全イスラエルが、あなたは父上に憎まれるようなことをされたと聞くなら、あなたに、くみする者はみな、勇気を出すでしょう。」

 

さて、この場面では、もうダビデは王としてエルサレムにはいません。逆に彼は荒野を、さまよっているのです。

 

これと同じことが終末の日に再現するでしょう。どういうことかと言うと、教会の真の王であるイエス・キリストが追い出され、反キリストが王として君臨する日です。

 

さて、ここでダビデのそばめが登場します。
そばめとは、要するにダビデの妻、もしくは妻に準じた女性達のことです。

 

その数は10人です。この数はあの話、賢い花嫁と愚かな花嫁の話を思い出させます。
何故かというと、賢い娘、愚かな娘各5人の数を合わせると10人になるからです。
また、ダビデは王としてのキリストの型であり、再臨のキリスト、花婿なるキリストの型なのです。

 

ですから、これらの話は何か関係があるのかも知れません。

 

これら10人のそばめたちは、いわば、貞潔を失う乙女の型です。
彼女たちはこの時、貞潔を失い、アブシャロム、すなわち反キリストと関係を持った為に後には王であるダビデからは受け入れられなくなり、やもめ、未亡人になってしまいました。
すなわち、もう妻としては扱われなくなってしまったのです。
以下の様に書かれています。

 

2サムエル203
ダビデはエルサレムの自分の王宮にはいった。王は、王宮の留守番に残しておいた十人のそばめをとり、監視つきの家を与えて養ったが、王は彼女たちのところには通わなかった。それで彼女たちは、一生、やもめとなって、死ぬ日まで閉じ込められていた。

 

これらの女性は終末の日、再臨したキリストに花嫁としては受け入れらない愚かな花嫁の型です。


彼女達の問題点は何でしょうか?

 

一つは彼女達がエルサレム、都に留まったことです。
ダビデがいない、王のいない都に留まるべきではなかったのです。

 

彼女達も都を離れるべきだったのです。
終末の日、我々がエルサレム、都を離れることに関して聖書は以下の様に語っています。

 

ルカ2120 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
21
そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都にはいってはいけません。
22
これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。

 

都は家、教会が集まるところとして、教団や、キリスト教団体のたとえでしょう。
かつての日、ダビデの日、都、エルサレムが反逆者アブシャロムに占領されたように、終末の日においても、世界のキリスト教各教団は、反キリストの支配の下に入ります。

 

その時、我々は都、すなわち、教団やら、団体を出るべきなのです。
もし出るとカルトだとか、異端だとか言われるかも知れませんが、しかし、永遠の命を失うことには、比較出来ません。

 

しかし、アブシャロムすなわち、反キリストに席巻された、世界のキリスト教会には、もうダビデ、すなわちイエスは存在していません。追い出されているからです。

 

そのような都、教団に留まれば、いずれ、アブシャロム、すなわち、反キリストに貞潔を犯され、結果、
花婿なるキリストから、拒絶される花嫁となってしまうのです。

 

そうです、彼女達の問題点のもう一つは、都に留まったこと、その結果、アブシャロムにより、貞潔を犯されてしまったことです。
貞潔を失った彼女達はもうダビデから、妻としては見なされず、やもめとなってしまいました。

 

同じように、我々も反キリストにより、貞潔を失うなら、もうキリストの花嫁とは見なされないのです。
このことを正しく正しく知るべきです。

 

このダビデの日のそばめ達のことは、たとえであり、終末の日の私達は以下の様に貞潔を失わないことが勧められています。

 

 2コリント112 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
3
しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。
4
というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです。

 

終末の日に貞潔を失うこととは具体的には、別の霊を受けたり、別のイエスを受けたり、別の福音を受けることなのです。

 

このことは、反キリストにより、全世界のキリスト教会が統一される日に行われます。

 

その日、外側は変わらないのでしょうが、その中身、実質が変わります。
何が変わるか?


すなわち、聖霊との名のもとに実質悪霊が下されます。トロント、ペンサコーラリバイバルの様に人々を獣化する獣の霊が下されるのです。
また、イエスの教えの名のもとに実質別のイエスが宣べ伝えられます。
それは、今、一部のへんてこ系の教会で教えられつつあるように、愛の無い、強圧的、強権的なイエスでしょう。
再臨の為に地を浄めよ、反対者を削除しろ、なんて言うのは、我々の知っている真のイエスではなく、別のイエスなのです。騙されてはいけません。
また、別の福音が宣べ伝えられるでしょう。天下にイエスの名以外救いは無い筈なのに、ヒンズー教でもモルモン教でも、イスラム教でもユダヤ教でも仏教でも救われるとする「寛容な」、しかし、聖書を逸脱した福音です。

 

これらは反キリストの下で提唱されるのでしょう。
しかし、我々はこのような教えに従うべきではありません。

 

”22 こうしてアブシャロムのために屋上に天幕が張られ、アブシャロムは全イスラエルの目の前で、父のそばめたちのところにはいった。

 

この日、エルサレムに残ったダビデのそばめ達は、アブシャロムにより、貞潔を奪われてしまいました。
結果、彼女達はダビデの妻とは見なされず、やもめとなってしまったのです。
このことは、歴史上、実際に起きたことです。そして、終末の日の型なのです。

 

終末の日に、このことは再現する、大規模に再現することを知りましょう。
その日、多くのクリスチャンが、笑顔でやってくる偽善者、反キリストを見抜けず、そのキリストへの貞潔を失うでしょう。
おかしな霊を受け、おかしなイエス、おかしな福音を受け入れるのです。
しかし、その先に待っているのは、花嫁失格、滅びであることを知りましょう。

 

このことは前もって警告されています。

 

 

終末における主の御心を行いましょう。