NO. 681貞潔を失う(2)


”テキスト:マタイ25:1 そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
2 そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。
3 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。
4 賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。
5 花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。
6 ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。
7 娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。
8 ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』
9 しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』
10 そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
11 そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください。』と言った。
12 しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません。』と言った。
13 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。”
 

本日は、「貞潔を失う(2)」としてこの件をさらに見ていきたいと思います。

テキストに沿って見ます。

”1 そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
2 そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。”

終末の日は花婿なるキリストの再臨を待つ日ですが、その日に関して明白に聖書が
語っていることを理解しましょう。
それは、全ての花嫁が花婿なるキリストに迎え入れられるとは限らない、逆にキリストに
拒否される、花嫁もいるということです。
ここに書かれた愚かな花嫁がまさにその当事者であり、我々が気をつけなければいけないことは、決して、この愚かな花嫁にならないことです。

聖書のたとえ話、たとえば、この賢い花嫁、愚かな花嫁の話にしても
一見単純そう、簡単な話、決して自分は間違えない、そう思いやすいものですが、
しかし、それでも間違える人が多いのです。謙虚に恐れを持って接しましょう。
 

”3 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。
4 賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。
5 花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。
6 ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。
7 娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。
8 ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』
9 しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』”

ここでの問題は、油があるかないかです。
油のない花嫁は、結局は愚かな花嫁となり、花婿に迎え入れられませんでした。
我々の時代に即していうなら再臨の主に迎え入れられないということなのです。
何とも恐ろしい結末になるわけです。
 

この油がある、なしが大きな差となってくるわけです。
今の終末の時代の数々の問題を考えると、確かにこの箇所のいう通り、油、聖霊のある、なし
が大きな差になっていると思わざるを得ません。
 

何故、トロント、ペンサコーラ、ベニーヒン、ピーターワグナー、リックジョイナー、
メルボンド等の怪しい器について行き、おかしな霊を受けるのか?
要は聖霊を受けていないからだといえるのです。
 

”10 そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
11 そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください。』と言った。
12 しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません。』と言った。”
 

さて、ここで、用意のできていない娘達は、花婿から、「私はあなたがたを知りません」と
いわれ、拒絶されてしまうのです。この拒絶された娘達の問題は、何でしょうか?
上記、「戸がしめられた」という箇所は以下にも記述されています。
 

「2サムエル13:14 しかし、アムノンは彼女(タマル)の言うことを聞こうとはせず、力ずくで、彼女をはずかしめて、これと寝た。
15 ところがアムノンは、ひどい憎しみにかられて、彼女をきらった。その憎しみは、彼がいだいた恋よりもひどかった。アムノンは彼女に言った。「さあ、出て行け。」
16 彼女は言った。「それはなりません。私を追い出すなど、あなたが私にしたあのことより、なおいっそう、悪いことです。」しかし、彼は彼女の言うことを聞こうともせず、
17 召使の若い者を呼んで言った。「この女をここから外に追い出して、戸をしめてくれ。」
18 彼女は、そでつきの長服を着ていた。昔、処女である王女たちはそのような着物を着ていたからである。召使は彼女を外に追い出して、戸をしめてしまった。」

この箇所は、処女である娘タマルがだまされて自分の貞潔を失う箇所です。
ここに、彼女が貞潔を失った後、戸をしめると書いてあることは暗示的です。

上記愚かな花嫁に対して戸が閉じられたのは、彼女達の
貞潔が失われたからだ、と暗示しているようにも思えるのです。
 

処女が貞潔を失うとはたとえであり、以下のことばと関連しています。
 

” ”2コリント11:2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
3 しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。
4 というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです。”
 

すなわち、キリストへ嫁ぐ処女の花嫁であるべきクリスチャンが、
おかしな教理に惑わされる、すなわち、艱難前携挙説、ヤベツの祈り、 パーパスドリブンチャーチ
などを受け入れる、またおかしな霊のリバイバルを受け入れる、それが
貞潔を失うことなのです。

そして、貞潔を失った、花嫁は花婿キリストに受け入れられることはない、
このことを知りましょう。
 

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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