NO. 680 貞潔を失う

 

 

テキスト:
 ”2コリント11:2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
3 しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。
4 というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです。”
 

本日は貞潔を失うという題でメッセージをしたいと思います。
私達クリスチャンは、主の花嫁となるとはよくいわれることです。
さらに、主の再臨の日の花婿なるキリストに迎え入れられる人々の描写は、装いの整った花嫁として
黙示録に書かれています。

さて、花嫁という描写に関連して一つ気をつけなければならないことがあります。それは、
「賢い花嫁、愚かな花嫁」の箇所で、
聖書は明らかに2種類の花嫁がいることを明示していることです。

すなわち、
1. 花婿に受け入れられる花嫁
2. 花婿に受け入れられない花嫁

すなわち、自分ではキリストの花嫁のつもりでいても最後の日に逆転して、
キリストに受け入れられないということがあることを
明らかに聖書は語っているのです。このことを心し、
警告を受けるべきなのです。

その日、キリストに受け入れられない花嫁もあり得る、
それは、耳が痛いのですが、しかし、それは多くの他の聖書箇所と符合します。
聖書は終末の日に明らかにキリストに受け入れる、そして受け入れられない、という
2種類の神の民がいることを語っているのです。

マタイ13章には、良い麦と悪い麦について書かれています。
良い麦は倉に入れられるが、悪い麦は、火で焼かれると書かれています。
 

ですから、花嫁に関しても2種類の花嫁がいるのです。
このことを念頭にテキストを見ていきたいと思います。
 
 
 

”2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。”

クリスチャンがキリストに受け入れられることを花嫁となるといいます。
そして、花嫁になる場合、もっとも大事なことは何か?

それは美人だ、スタイルが良いということより、何はともあれ、処女であり、
他の男と関係を持っていないことです。貞潔を失っていないことです。

”3 しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。”

さて、花嫁が無事に花婿と結ばれればハッピーなのですが、そうはいかないことが往々にしてあります。
それは、蛇の悪巧みのゆえです。
現に最初の女性、エバは蛇にだまされ、その貞潔を失いました。
蛇の言葉を信じ、神のことばを離れたのです。結果、彼女は、入るべきところに
入れませんでした。
今の時代の我々、キリストの花嫁となるべく召されている我々ももし、神のことばを曲げる
偽り教理に
騙されるなら、貞潔を失い、花婿に受け入れられることはあり得ないことを知りましょう。

”4 というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです。”
 

さて、現代のクリスチャンである我々にとり、貞潔を失うとは具体的にはどういうことなのでしょう?
ここにいくつかのことが書かれています。以下のとおりです。

1. 別のイエスを受け入れる
2. 別の霊を受ける
3. 別の福音を受ける
 

さて、今の時代は、まさにこれらのことがらが大規模に行われている時代です。
 

1. 別のイエスを受け入れる:
今福音派でいわれている許しだけのイエス、また、祝福だけを持ってくるイエスは、
「別の」イエスです。
実際は、主の再臨の時は、また、福音に従わないものへの裁きの時なのです。
祝福、平安、良いことばかりイエスについて語る教師達は、「別の」イエスを述べ伝えているのであり、
偽預言者、いわゆる「羊の皮を着た狼」です。

2. 別の霊を受ける:
トロント、ペンサコーラの霊は明らかに悪霊であり、こんな霊を受ける人々は、
すなわち、花嫁としての貞潔を失っているのです。花婿なるキリストに迎入れられると期待してはいけません。

3. 別の福音を受ける:
旧約の福音、また新約の福音もどちらも、祝福と呪いを語っています。
すなわち、主のみことばを行う者には、祝福、みことばを侮る者には、呪いです。
福音を語るという時、そのどちらも語らないなら、それは別の福音なのです。
そして、今の時代に語られているのは、別の福音です。このような福音を
喜んで受け入れている人々は、貞潔を失った人々であり、結果、花婿なる方、キリストの再臨時に
主に受け入れられません。
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これらのことを真面目に真剣に考慮すべきであると私は思っています。
何故なら、上記みことばで明らかにパウロは、花嫁が貞潔を失う危険に
ついて語っているからです。すなわち、全ての花嫁がキリストに受け入れられるわけではない、
自分では自称花嫁と思っていても肝心の花婿なるキリストに受け入れられない、
すなわち、結婚式当日に相手に「あなたは知らない」といわれてしまうクリスチャンがいることを
語っているからです。

そして、その貞潔を失うとは具体的には、
別のイエス、別の霊、別のイエスのことであり、今の時代には、
これらの別物を喜々として受け入れているクリスチャンで満ちているからです。

いいかたを変えれば、大量に「失格花嫁」が出現している時代なのです。今は。

このことを恐れましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
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