NO. 662 おとりつぎは非聖書的


”テキスト:ヨハネ16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。
24 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
25 これらのことを、わたしはあなたがたにたとえで話しました。もはやたとえでは話さないで、父についてはっきりと告げる時が来ます。
26 その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。
27 それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。”
 

本日は、 おとりつぎは非聖書的
という題でメッセージしたいと思います。
 

おとりつぎとは、カソリックの用語であり、我々の神への祈りをマリヤがとりついで
くれるという教義です。

何故とりついでくれるかというと、我々はあまりに罪深くて、神に近付く資格がない、
それで、心優しい聖母なるマリヤがとりついでくれる、だから我々はマリヤへ取り次ぎのための
祈りを祈らなければならないという教義なのです。

まったく素晴らしい教義というより、悪賢い悪霊の知恵に満ちたわなの教理です。

このような偽りの教理をすっかり信じ込んでしまう、その理由は、
聖書を正しく読んでいない、ろくに読んでいないからです。

上記箇所を読むなら「おとりつぎ」などという概念は全く聖書のみことばと反対の
教理であることがわかります。
 

主は明らかにこういわれました。


26 その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。」
 

すなわち、「私はあなたがたに代わって父に願ってあげようとはいいません。」といわれたのです。
「あなたがたに代わって願ってあげる」これが、お取次ぎなのですが、
イエスはそうはしないといっているのです。

イエスでさえしなかったことを何で田舎娘マリヤがしなければならないのか?

カソリックの教えは異端教であり、その教えは、ただの田舎娘であったマリヤを神格化するために、
あらゆる聖書箇所をねじ曲げて成立させたものです。

いわくマリヤ像を礼拝させるために、十戒を書きかえ、
偶像を拝むなという箇所を削除し、

いわく聖書にはない、マリヤの昇天、無原罪、さらにイエスと共同のあがない主などの
よた教理を付け加え、

いわく、マリヤ崇拝を進めるために外典をつけくわえ、

やっと、成立している、無理のある、聖書には全然根ざしていない教理を
受け入れている教会なのです。

統一教会は、聖書と何の関係もない文鮮明を再臨のキリストと信じ、聖書を改ざんした教理を
受け入れるので、異端教と呼ばれています。
同じく、カソリックも聖書をかいざんして、神でもないマリヤへ祈らせているので、同じく異端教と呼ばれる筋合いのものです。

私は主から「しかりはしかり、否は否とせよ」といわれているので、
このように身もふたもないようなはっきりとした言い方、書きかたをします。

ただキリスト教会は広いので、いろいろな人がいるだろうことは知っています。
友好優先、融和優先、カソリックと何のトラブルもなくうまくやっていける器用な
な人々も多いのでしょう。

ただ、私に関しては2人の主に仕える様な器用なことはできないので、いままでとおり、進むこととします。
 

さて、それはともかく、上記テキストで
明らかに主は「その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。」
といいました。いわゆる「お取次ぎ」を行うことは拒否したのです。
そうではなく、直接一人一人のクリスチャンが、父なる神に求めるよう、語っているのです。

そしてろくに聖書を読んでいないカソリックの信者を惑わすため、堂々とサタンは、
マリヤへのお取次ぎという異端教理を持ち込んだのです。

誰が悪いのか?
もちろん、聖書にも書いていない「マリヤによるお取次ぎ」などの
教理を持ち込むサタンが悪く、カソリックがおかしいのですが、
しかし、カソリック信者にも罪があり、また、つけこまれる原因があったことは
認めるべきです。
彼らはろくに聖書を読まず、「ことばは神である」といわれた方のことばを
ろくに尊重しません。

結果、このような単純至極、まちがえようのない詐欺、ひっかりそうにない嘘、子供でもだまされないような惑わしにひっかかるのです。情けないことです。
サタンがマリヤ崇拝を持ち込んだのは意味のないことではなく、初めから人殺しであるといわれた
サタンにとって、意味のあることです。

それは、このマリヤ崇拝、イエスへ祈らせないことにより、救い(イエス)は、
カソリックの信者から去り、永遠の命は彼らから去るからです。

惑わしに入らずしかし、堅くこの方に留まるものにみこころがあります。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー -----------------------------7d92651e201ca Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream