NO.658 神の子があらわれたのは悪魔のわざをこぼつため


テキスト:1
サムエル26:1 ジフ人がギブアにいるサウルのところに来て言った。「ダビデはエシモンの東にあるハキラの丘に隠れているではありませんか。」
2 そこでサウルはすぐ、三千人のイスラエルの精鋭を率い、ジフの荒野にいるダビデを求めてジフの荒野へ下って行った。
3 サウルは、エシモンの東にあるハキラの丘で、道のかたわらに陣を敷いた。一方、ダビデは荒野にとどまっていた。ダビデはサウルが自分を追って荒野に来たのを見たので、
4 斥候を送り、サウルが確かに来たことを知った。
5 ダビデは、サウルが陣を敷いている場所へ出て行き、サウルと、その将軍ネルの子アブネルとが寝ている場所を見つけた。サウルは幕営の中で寝ており、兵士たちは、その回りに宿営していた。
6 そこで、ダビデは、ヘテ人アヒメレクと、ヨアブの兄弟で、ツェルヤの子アビシャイとに言った。「だれか私といっしょに陣営のサウルのところへ下って行く者はいないか。」するとアビシャイが答えた。「私があなたといっしょに下って行きます。」
7 ダビデとアビシャイは夜、民のところに行った。見ると、サウルは幕営の中で横になって寝ており、彼の槍が、その枕もとの地面に突き刺してあった。アブネルも兵士たちも、その回りに眠っていた。
8 アビシャイはダビデに言った。「神はきょう、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうぞ私に、あの槍で彼を一気に地に刺し殺させてください。二度することはいりません。」
9 しかしダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。」
10 ダビデは言った。「主は生きておられる。主は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。
11 私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。さあ、今は、あの枕もとにある槍と水差しとを取って行くことにしよう。」

”1
ヨハネ3:8罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです”

本日は、「神の子があらわれたのは悪魔のわざをこぼつため
」という題でメッセージしていきます。

テキストに沿って見ていきます。

”1 ジフ人がギブアにいるサウルのところに来て言った。「ダビデはエシモンの東にあるハキラの丘に隠れているではありませんか。」”

かつて私達は、サウル王に関するたとえを学びました。
キリストの型である ダビデを迫害したサウルは特別な存在であり、
彼はまさしくキリストの迫害者であるダタンの型ではないか、と理解したのです。

もしそうなら、サウルと ダビデの間に起きることは実はサタンとキリストの関係を
あらわすたとえと理解できます。その中に我々に語る示唆があるように思えます。このことを
学んでいきたいと思うのです。
 
 

この箇所で、サウル王はダビデをねたみ、追いかけ、彼の命を得ようと、
こころみます。これは、そのまま、キリストをねたみ、その命をつけならった
サタンの行動に重なります。キリストの生涯の真の敵は、サタンそのものだったのです。


2 そこでサウルはすぐ、三千人のイスラエルの精鋭を率い、ジフの荒野にいるダビデを求めてジフの荒野へ下って行った。”
 

彼は3000人もの兵を引き連れ、ダビデを殺すために出かけていきました。
彼はイスラエルの王であり、権力のきわみにあったのですが、しかし、ほどなくして、
逆転され、あわや自分の命を失うかということになります。
この逆転は主イエスの生涯においても、行われ、サタンはその立場を逆転されます。


3 サウルは、エシモンの東にあるハキラの丘で、道のかたわらに陣を敷いた。一方、ダビデは荒野にとどまっていた。ダビデはサウルが自分を追って荒野に来たのを見たので、
4 斥候を送り、サウルが確かに来たことを知った。
5 ダビデは、サウルが陣を敷いている場所へ出て行き、サウルと、その将軍ネルの子アブネルとが寝ている場所を見つけた。サウルは幕営の中で寝ており、兵士たちは、その回りに宿営していた。
 

サウルはダビデを追い詰め、圧倒的な数の兵を引き連れ、ダビデを亡きものに
しようとしました。彼の優位、両者の力の差は歴然としており、
何の不安も持たず、サウルは寝ていたのです。しかし、これから逆転が起こります。

同じことが主イエスの時に起きたことを知りましょう。

主が人となって、この地上に下った時、サタンは自分の勝利を確信したのでしょう。
人間などというものは、惑わされやすく、弱く、相手にならない
存在だ、だから、自分がこの人となったイエスをたぶらかすのなど、造作もないことであると
彼は考えたのでしょう。

彼がそう思うのは無理のないことで、アダム、イブの昔から人は、サタンに
惑わされ、偽られ、命を奪われてきたのです。
アダム、イブはサタンに惑わされ、神の備えた楽園、エデンの園を
追い出され、命を失いました。
また、神に選ばれたイスラエルの民族も度々サタンに惑わされ、結果、長い年月の
後、北のイスラエル国は、背信し、アッシリアへ移されてしまいました。
また、忠実であった、南のユダも同じく背信へ進み、最後はバビロンへ捕囚となっていったのです。
人なんて、ちょろいもの、いくらでも惑わすことは可能であると、そうサタンが思っていても
無理のない状況だったのです。
 
 
 
 


6 そこで、ダビデは、ヘテ人アヒメレクと、ヨアブの兄弟で、ツェルヤの子アビシャイとに言った。「だれか私といっしょに陣営のサウルのところへ下って行く者はいないか。」するとアビシャイが答えた。「私があなたといっしょに下って行きます。」”
 

自分を追いかけ、命を得るために来た敵が到着したら普通どうすべきなのでしょうか?
自分の命を守るためになるべく敵から遠くは逃げ、ひっそりと息を潜める、そんな感じでしょうか。
この時、ダビデはしかし、常識とはかなり違う行動を行いました。

あろうことか敵の陣へ下り、敵の陣の奥
深くへ侵入したのです。

このことは主イエスの働きを現します。
主御自身、サタンの操る、律法学者や、パリサイ人、裏切り者ユダなどに
命を狙われていたのですが、しかし、それで引いたり臆病になったりせず、しかし、
敵の本拠、サタンの働きのもっとも深いところに突き進んでいったのです。

"

7 ダビデとアビシャイは夜、民のところに行った。見ると、サウルは幕営の中で横になって寝ており、彼の槍が、その枕もとの地面に突き刺してあった。アブネルも兵士たちも、その回りに眠っていた.
"
 

サウルの槍がその近くに刺してありました。この槍はダウルがダビデの命を奪おうとした時、使われたものです。
槍は剣と同じような意味合いがあると理解できます。すなわち、みことばの教理や
教えと関係があるのです。
主イエスの時、神の言葉、剣、槍は敵の王、サタンの手にあり、
それは、ダビデ、すなわち、キリストを害するため、敵に利用されていたのです。

このことは事実であり、主の初降臨の時、律法学者、パリサイ人はなんと、神のことばを
根拠にイエスを異端視し、有罪とし、死に定めたのです。

明らかに敵の手に槍は握られていました。

”8 アビシャイはダビデに言った。「神はきょう、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうぞ私に、あの槍で彼を一気に地に刺し殺させてください。二度することはいりません。」
9 しかしダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。」”

この日、アビシャイは敵であるサウルをひとおもいに殺すことを提言しましたが、それは、
退けられました。
結果、サウルは命を永らえ、いつまでもダビデの敵となったのです。
同じことはイエスに関してもいえます。
主はひとおもいにサタンの息の根をとめることは可能だったのでしょうが、
そうはしませんでした。結果、今でも我々はサタンとの戦いが続いているのです。

何故、主がこのようにサタンを一気に倒さなかったのか、その理由は、彼が主に油注がれたものだからです。たとえサタンに問題があるとしても、神が与えた権威を尊重したのです。
 


10 ダビデは言った。「主は生きておられる。主は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。
11 私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。さあ、今は、あの枕もとにある槍と水差しとを取って行くことにしよう。」”
 

この日、ダビデは、サウルを殺すことはせず、しかし、槍と水差しとは奪っていきました。
このことは、型であり、かつての日、主がサタンの息の根は止めず、しかし、槍と水差しは奪ったことの型です。

槍は剣と同じような意味合い、剣は神のことばに関するたとえです。
すなわち、神のことばや教理がサウル、サタンから ダビデ、キリストへ
奪い返されたことを語っているのです。

このことは主イエスの時に実現しました。
旧約の終わり、あらゆる神のことばは曲げられ、
ラビ達のへ理屈により、骨抜きにされていました。
しかし、ダビデ、イエスキリストにより、奪い返され、取りかえされました。

主のメッセージ、また主の弟子達によるメッセージは、
福音書、書簡に書かれており、これは素晴らしい神からのものです。
槍は全く取り戻されたのです。

また、水指しも取りかえされました。
水は霊的なことがらのたとえであり、これは、
主イエスの時、今迄悪い霊に支配された
神の民に聖霊が下ったことをさします。

これらの全てを以下のことばは適切に言い表します。
 

1ヨハネ3:8「神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。」

ただただ、サウル王に追われて逃げ回っていたかのように見えるダビデですが、
その実きちんと反撃しています。同じく、主イエスキリストの生涯も
ただ、十字架にかけられたようですが、その実もっとも大事な反撃をしているのです。
このことを知りましょう。
 
 

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
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