NO. 656生きている者のために死人にきく(2)


”テキスト:1サムエル28:11 すると、女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「サムエルを呼び出してもらいたい。」
12 この女がサムエルを見たとき、大声で叫んだ。そしてこの女はサウルに次のように言った。「あなたはなぜ、私を欺いたのですか。あなたはサウルではありませんか。」
13 王は彼女に言った。「恐れることはない。何が見えるのか。」この女はサウルに言った。「こうごうしい方が地から上って来られるのが見えます。」
14 サウルは彼女に尋ねた。「どんな様子をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏して、おじぎをした。
15 サムエルはサウルに言った。「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」
16 サムエルは言った。「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。
17 主は、私を通して告げられたとおりのことをなさったのだ。主は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。
18 あなたは主の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、主はきょう、このことをあなたにされたのだ。
19 主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。」
20 すると、サウルは突然、倒れて地上に棒のようになった。サムエルのことばを非常に恐れたからである。それに、その日、一昼夜、何の食事もしていなかったので、彼の力がうせていたからである。
21 女はサウルのところに来て、サウルが非常におびえているのを見て彼に言った。「あなたのはしためは、あなたの言われたことに聞き従いました。私は自分のいのちをかけて、あなたが言われた命令に従いました。
22 今度はどうか、あなたがこのはしための言うことを聞き入れてください。パンを少し差し上げますから、それを食べてください。お帰りのとき、元気になられるでしょう。」
23 サウルは、これを断わって、「食べたくない。」と言った。しかし、彼の家来とこの女がしきりに勧めたので、サウルはその言うことを聞き入れて地面から立ち上がり、床の上にすわった。
24 この女の家に肥えた子牛がいたので、急いでそれをほふり、また、小麦粉を取って練り、種を入れないパンを焼いた。
25 それをサウルとその家来たちの前に差し出すと、彼らはそれを食べた。その夜、彼らは立ち去った。

本日は、「生きている者のために死人にきく(2)」としてこの件をさらに見ていきたいと思います。
 

”11 すると、女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「サムエルを呼び出してもらいたい。」
12 この女がサムエルを見たとき、大声で叫んだ。そしてこの女はサウルに次のように言った。「あなたはなぜ、私を欺いたのですか。あなたはサウルではありませんか。」”
 

この女は、相手がサウルであることを知り、驚きました。
口寄せや、霊媒を禁止したまさにその王が目の前にいたからです。
そして、これは、非常に皮肉です。サウルはまさに自分が廃止した、罪深い行い、
死人にきくことを自ら行っているからです。

私達クリスチャンももし、サウルの様に罪に陥るなら、同じく、死人に聞くしか
方法がなくなることを知りましょう。

この世の方法、学者、学問などをしきりに語るクリスチャンが多くいます。
全くこの世の方法を用いるなとはいわないにしても、それしか思い付かないのなら、問題です。
まず、自分の神にきく習慣を持つよう、また、神が答えてくださるよう、
罪から離れるべきです。

”13 王は彼女に言った。「恐れることはない。何が見えるのか。」この女はサウルに言った。「こうごうしい方が地から上って来られるのが見えます。」
14 サウルは彼女に尋ねた。「どんな様子をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏して、おじぎをした。
15 サムエルはサウルに言った。「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」”
 

サウルはペリシテ人が自分を攻めに来るのに、神から何らの返答がこないことを
困っていました。

このことを正しく知りましょう。神は祈りに答え、そのときどきに必要なことを私達に語る方ですが、
私達に罪があり、逆らっている時には、きいても神から何らの答えがないということがあり得るのです。

今の時代はどんな時代かというと、さっぱりクリスチャンが神にきかず、またきいたとしても
罪が私達のゆくてを阻み、神が答えを下さらない時代ではないでしょうか。

この時、神がサウルに答えなかったのは、神のきまぐれとか、意地悪というより、
明らかにサウルに非があり、罪がありました。

彼は神の祭司の一族を虐殺し多くの祭司を殺したのです。

また、神は初めから、サウルに答えなかったのではなく、彼に罪がなかった時は
正しく答えておられたのです。
今多くのクリスチャンが神にきかず、また聞いても答えがなく、結果この世の死人の
意見を大層そうに述べているのは、その罪のゆえであることを知りましょう。そして、
神にきかないために、彼らの多くのとんでもない間違いに入っています。

艱難前に携挙があるなんて嘘にだまされるのは、神にきかないためなのです。
 



”16 サムエルは言った。「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。
17 主は、私を通して告げられたとおりのことをなさったのだ。主は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた”

サウルに対して、神からの答えがないのは、それは神が彼の敵となられたからです。
同じく私達が罪におちいり、神の敵となったなら、当然、神へきいてもその答えはないでしょう。
 

”18 あなたは主の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、主はきょう、このことをあなたにされたのだ。”

さて、サウルには罪があり、それゆえ彼は神からの答えを受けることができませんでした。
さてそれでは、サウルの罪とは何か?

それは、ここに書かれているように、「燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかった」ことです。
アマレクということばの意味合いは谷の住民という意味合いです。
何か霊的なことがらをあらわすように理解できます。

私達は私達の人生において、つねにアマレク、悪霊との戦いがあることはよく知っておくべきことです。
正しく戦い、燃えるいかりをもってアマレクを罰しないと、
私達はサウルの様に失敗者となる可能性があります。

私達クリスチャンの真の敵は、未信者でも、異端クリスチャンでも、政治家でもはたまた、色々画策する
偽ユダヤでもありません。
そうではなく、血肉と戦うのではなく、空中にあるところの悪霊と戦うのです。

悪霊がどのように我々に戦いをしかけてくるか知っていますか?
悪霊は、私達にあらゆる惑わしの思いを入れます。
レフトビハインド、艱難前携挙のよた話が本当に思えるのは、実は
悪い霊の惑わしに入っているのです。

人を恐れさせたり、あらゆる惑わしの感情を私達に注ぎ込みます。
はたまた、体を攻撃し、痛みを与えたり、病気にしたり、変な声迄聞かせたりします。
 

結果、我々を思うようにコントロールする、それが悪霊なのです。

悪霊にコントロールされた人としてもっとも有名なのは、イスカリオテのユダです。
聖書ははっきりと彼にサタンが入ったことを告げます。その後、彼の感情、思索の
うちに悪霊の巧妙な論理が、語られ、彼の心の中ではナザレ のイエスを裏切り、売ることが、
まったく正しいことと思えたのです。
一体、悪霊がどんな論理、どんな思いで、ユダをだましたのかは定かではありません。

しかし、何はともあれ、彼は惑わされ、コントロールされ、サタンのおこころを行ってしまったのです。
 
 
 

同じ意味合いで、主を十字架につけた律法学者も祭司長もみな、悪霊にコントロールされていたと
いえます。彼らのイエスへの憤り、憎しみは尋常なものではありませんが、まさに
悪霊がコントロールしていたのです。
 

サウルはアマレクを罰することをせず、結果として惑わしに入り、
祭司を大量に殺したり、キリストの型であるダビデをねたんで殺そうとしたり、しています。
全く悪霊にコントロールされているのです。
 

”19 主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。」”
 

この日、イスラエルの陣営は敵の手、ペリシテ人の手に渡されました。
それは、サウル王が神の声に聞き従わなかったからです。

”20 すると、サウルは突然、倒れて地上に棒のようになった。サムエルのことばを非常に恐れたからである。それに、その日、一昼夜、何の食事もしていなかったので、彼の力がうせていたからである。
21 女はサウルのところに来て、サウルが非常におびえているのを見て彼に言った。「あなたのはしためは、あなたの言われたことに聞き従いました。私は自分のいのちをかけて、あなたが言われた命令に従いました。
22 今度はどうか、あなたがこのはしための言うことを聞き入れてください。パンを少し差し上げますから、それを食べてください。お帰りのとき、元気になられるでしょう。」
23 サウルは、これを断わって、「食べたくない。」と言った。しかし、彼の家来とこの女がしきりに勧めたので、サウルはその言うことを聞き入れて地面から立ち上がり、床の上にすわった。
24 この女の家に肥えた子牛がいたので、急いでそれをほふり、また、小麦粉を取って練り、種を入れないパンを焼いた。
25 それをサウルとその家来たちの前に差し出すと、彼らはそれを食べた。その夜、彼らは立ち去った。

 

サウルは時間をかけ、手間をかけ、死人に伺いをたてたのですが、
結局彼が知りえたのは、自分の滅びに関することだけです。

この箇所で私達は何を学ぶべきなのでしょうか。
生きているもの、聖霊にあって、生きているものが死人、神の前に死んでいる
この世の人に伺いをたてるべきではないこと、
そして、罪を犯し、神へ伺っても何にも答えのない状態は異常であるということでしょうか。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー

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