NO. 650 賢い妻と愚かな夫 その4


”テキスト:1サムエル25:
32 ダビデはアビガイルに言った。「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、主がほめたたえられますように。
33 あなたの判断が、ほめたたえられるように。また、きょう、私が血を流す罪を犯し、私自身の手で復讐しようとしたのをやめさせたあなたに、誉れがあるように。
34 私をとどめて、あなたに害を加えさせられなかったイスラエルの神、主は生きておられる。もし、あなたが急いで私に会いに来なかったなら、確かに、明け方までにナバルには小わっぱひとりも残らなかったであろう。」
35 ダビデはアビガイルの手から彼女が持って来た物を受け取り、彼女に言った。「安心して、あなたの家へ上って行きなさい。ご覧なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。」
36 アビガイルがナバルのところに帰って来ると、ちょうどナバルは自分の家で、王の宴会のような宴会を開いていた。ナバルが上きげんで、ひどく酔っていたので、アビガイルは明け方まで、何一つ彼に話さなかった。
37 朝になって、ナバルの酔いがさめたとき、妻がこれらの出来事を彼に告げると、彼は気を失って石のようになった。
38 十日ほどたって、主がナバルを打たれたので、彼は死んだ。
39 ダビデはナバルが死んだことを聞いて言った。「私がナバルの手から受けたそしりに報復し、このしもべが悪を行なうのを引き止めてくださった主が、ほめたたえられますように。主はナバルの悪を、その頭上に返された。」その後、ダビデは人をやって、アビガイルに自分の妻になるよう申し入れた。
40 ダビデのしもべたちがカルメルのアビガイルのところに行ったとき、次のように話した。「ダビデはあなたを妻として迎えるために私たちを遣わしました。」
41 彼女はすぐに、地にひれ伏して礼をし、そして言った。「まあ。このはしためは、ご主人さまのしもべたちの足を洗う女奴隷となりましょう。」
42 アビガイルは急いで用意をして、ろばに乗り、彼女の五人の侍女をあとに従え、ダビデの使いたちのあとに従って行った。こうして彼女はダビデの妻となった。
43 ダビデはイズレエルの出のアヒノアムをめとっていたので、ふたりともダビデの妻となった。
44 サウルはダビデの妻であった自分の娘ミカルを、ガリムの出のライシュの子パルティに与えていた。

本日は、「賢い妻と愚かな夫 その4」として、この件をさらに見ていきたいと思います。
テキストに沿ってみます。
 

”32 ダビデはアビガイルに言った。「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、主がほめたたえられますように。

この日、ダビデに会いに出かけたアビガイルは祝福され、裁きを免れました。
同じことが終末の日に関してもいえるでしょうか。
終末の日のクリスチャンの問題はキリストを知らず、キリストに会っていないことです。
またその声も聞いていません。ここに問題があるのです。
 

”33 あなたの判断が、ほめたたえられるように。また、きょう、私が血を流す罪を犯し、私自身の手で復讐しようとしたのをやめさせたあなたに、誉れがあるように。”

ここで、ダビデが復讐しようとしたと語っています。
繰り返しますが、主イエスキリストが下って来るのもまた、復讐のためであることを
はっきりと知らなければなりません。

キリストの再臨の目的には2面があり、その一面は、主に堅くつく人々への
救いです。しかし、もう一面は主の福音に従わず、
艱難時代にクリスチャンは会わないなどと異なった福音を語る人々への裁きの
日です。以下の様に書かれています。
 

”2テサ1:6 つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、
7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。
8 そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。
9 そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。”

次をみます。

”34 私をとどめて、あなたに害を加えさせられなかったイスラエルの神、主は生きておられる。もし、あなたが急いで私に会いに来なかったなら、確かに、明け方までにナバルには小わっぱひとりも残らなかったであろう。」”

この時、基本的にダビデは、裁きのため、復讐のために下ってきました。
しかし、例外的にアビガイルがダビデが会いにきたため、その行動を変えたのです。
同じく終末の日の基本も裁きの日であること、しかし、その中で、堅く主につく人々が例外的に救われる日であることを知りましょう。
 
 

ペテロはこのことをよく理解して以下の様に述べています。

”1ペテロ4:17 なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。
18 義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。”
 

「明け方までにナバルには小わっぱひとりも残らなかったであろう。」
といわれているように愚かな歩みは滅びをもたらすのです。


35 ダビデはアビガイルの手から彼女が持って来た物を受け取り、彼女に言った。「安心して、あなたの家へ上って行きなさい。ご覧なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。」”

この時、アビガイルはダビデに受け入られ、彼女の持ってきたものも受け入れられました。
このことは何と尊いことでしょう。
 

このことはそのまま、再臨のキリストに受け入れられることに通じ、再臨のキリストに喜ばれる、
クリスチャンの歩みに通じるのです。

”36 アビガイルがナバルのところに帰って来ると、ちょうどナバルは自分の家で、王の宴会のような宴会を開いていた。ナバルが上きげんで、ひどく酔っていたので、アビガイルは明け方まで、何一つ彼に話さなかった。
37 朝になって、ナバルの酔いがさめたとき、妻がこれらの出来事を彼に告げると、彼は気を失って石のようになった。”
 

この時、ナバルはダビデに復讐されることも知らず、宴会を開いていました。終末の日、今の時代にも
同じことが起きます。
再臨のキリストに裁かれることも知らず、新しいぶどう酒の味わいなんて、フレーズで、
悪霊の酒にたらふく酔い、獣みたいに転げ回り、悪霊の大笑いに興じ、悪霊踊りを踊っている、
愚かな人が増えているのです。某ヘンテコ系を始めとした悪霊も聖霊も区別のつかない、霊の
目の御不自由な盲人団体のことです。
 


38 十日ほどたって、主がナバルを打たれたので、彼は死んだ。”

結局ナバルは神に打たれ死にました。これにより、ナバルの歩み、
ダビデの恩に報いず、返すべきものを返さない態度は、神のみこころにはかなわないことを
我々は知るのです。

ですから、私達は、彼の教訓から学び、決して、終末の日のナバル、愚かなものとなってはいけません。
愚かな男、ナバルは新約の愚かな花嫁、油、聖霊に触れようとも、祈ろうともしない、
クリスチャンに通じ、また砂の上に家を建て、洪水で倒されてしまった愚かな人に通じます。
これは、弟子の歩みをしていないことをさします。

ですから、現代のナバルとは、祈らず、油、聖霊を持たないクリスチャン、また
弟子の歩みをせず、群集の歩みをまい進し、何の便りにもならない烏合の衆みたいな
クリスチャンのことなのです。決して他人のことだと思って安心してはいけません。
 

”39 ダビデはナバルが死んだことを聞いて言った。「私がナバルの手から受けたそしりに報復し、このしもべが悪を行なうのを引き止めてくださった主が、ほめたたえられますように。主はナバルの悪を、その頭上に返された。」その後、ダビデは人をやって、アビガイルに自分の妻になるよう申し入れた。
40 ダビデのしもべたちがカルメルのアビガイルのところに行ったとき、次のように話した。「ダビデはあなたを妻として迎えるために私たちを遣わしました。」”

ナバルは打たれ、命を失い、逆にアビガイルは祝福され、ダビデ、王の妻となりました。
この二人の結末は全く正反対です。
終末の日にも全く正反対の結論にでくわす2種類の人々が教会にいるでしょう。
このことをさして聖書は以下の様に述べています。
 

”マタイ24:40 そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
41 ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
42 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。”
 

次をみます。

”41 彼女はすぐに、地にひれ伏して礼をし、そして言った。「まあ。このはしためは、ご主人さまのしもべたちの足を洗う女奴隷となりましょう。」”
 

女奴隷とは要するにしもべとして仕えるということであり、再臨の日、主に正しく見えるのは、
結局はしもべとして仕えていく人であることを知りましょう。

”42 アビガイルは急いで用意をして、ろばに乗り、彼女の五人の侍女をあとに従え、ダビデの使いたちのあとに従って行った。こうして彼女はダビデの妻となった。”
 

ここで書かれている待女の数5人は、新約の賢い花嫁5人の数と符合します。
確かにこの箇所は賢い花嫁、愚かな花嫁の箇所を補足、説明する箇所なのです。
新約の多くのたとえは、旧約と関係しています。

”43 ダビデはイズレエルの出のアヒノアムをめとっていたので、ふたりともダビデの妻となった。
44 サウルはダビデの妻であった自分の娘ミカルを、ガリムの出のライシュの子パルティに与えていた。

この日、アビガイルはダビデの妻となり、幸せを得ました。

花婿と一緒になれない花嫁は無意味です。
しかし、残念ながらキリストの花嫁であるはずの私達クリスチャンの中には、
その再臨の日、正しく花嫁として迎えられない、多くの人々がいることを聖書は
暗示しています。

この教訓を心にとめ、ナバルの過ちに入ることのないよう努めましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー

 第5回黙示録セミナーのお知らせ -----------------------------7d92453301b8 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream