NO. 649 賢い妻と愚かな夫 その3

テキスト:
”1サムエル25:
18 そこでアビガイルは急いでパン二百個、ぶどう酒の皮袋二つ、料理した羊五頭、炒り麦五セア、干しぶどう百ふさ、干しいちじく二百個を取って、これをろばに載せ、
19 自分の若者たちに言った。「私の先を進みなさい。私はあなたがたについて行くから。」ただ、彼女は夫ナバルには何も告げなかった。
20 彼女がろばに乗って山陰を下って来ると、ちょうど、ダビデとその部下が彼女のほうに降りて来るのに出会った。
21 ダビデは、こう言ったばかりであった。「私が荒野で、あの男が持っていた物をみな守ってやったので、その持ち物は何一つなくならなかったが、それは全くむだだった。あの男は善に代えて悪を返した。
22 もし私が、あしたの朝までに、あれのもののうちから小わっぱひとりでも残しておくなら、神がこのダビデを幾重にも罰せられるように。」
23 アビガイルはダビデを見るやいなや、急いでろばから降り、ダビデの前で顔を伏せて地面にひれ伏した。
24 彼女はダビデの足元にひれ伏して言った。「ご主人さま。あの罪は私にあるのです。どうか、このはしためが、あなたにじかに申し上げることをお許しください。このはしためのことばを聞いてください。
25 ご主人さま。どうか、あのよこしまな者、ナバルのことなど気にかけないでください。あの人は、その名のとおりの男ですから。その名はナバルで、そのとおりの愚か者です。このはしための私は、ご主人さまがお遣わしになった若者たちを見ませんでした。
26 今、ご主人さま。あなたが血を流しに行かれるのをとどめ、ご自分の手を下して復讐なさることをとどめられた主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。どうか、あなたの敵、ご主人さまに対して害を加えようとする者どもが、ナバルのようになりますように。
27 どうぞ、この女奴隷が、ご主人さまに持ってまいりましたこの贈り物を、ご主人さまにつき従う若者たちにお与えください。
28 どうか、このはしためのそむきの罪をお赦しください。主は必ずご主人さまのために、長く続く家をお建てになるでしょう。ご主人さまは主の戦いを戦っておられるのですから、一生の間、わざわいはあなたに起こりません。
29 たとい、人があなたを追って、あなたのいのちをねらおうとしても、ご主人さまのいのちは、あなたの神、主によって、いのちの袋にしまわれており、主はあなたの敵のいのちを石投げのくぼみに入れて投げつけられるでしょう。
30 主が、あなたについて約束されたすべての良いことを、ご主人さまに成し遂げ、あなたをイスラエルの君主に任じられたとき、
31 むだに血を流したり、ご主人さま自身で復讐されたりしたことが、あなたのつまずきとなり、ご主人さまの心の妨げとなりませんように。主がご主人さまをしあわせにされたなら、このはしためを思い出してください。」”

本日は、「賢い妻と愚かな夫 その3」としてこの件をさらに見ていきたいと思います。

テキストに沿って見ます。

”18 そこでアビガイルは急いでパン二百個、ぶどう酒の皮袋二つ、料理した羊五頭、炒り麦五セア、干しぶどう百ふさ、干しいちじく二百個を取って、これをろばに載せ、
19 自分の若者たちに言った。「私の先を進みなさい。私はあなたがたについて行くから。」ただ、彼女は夫ナバルには何も告げなかった。”
 
 

愚かな夫であるナバルと異なり、妻、アビガイルのダビデへの対応は適切であり、
ポイントをついたものでした。

ダビデに対して、パンも水も与えなかったナバル、愚かな男と異なり、彼女は、
ダビデにささげる、パン、ぶどう酒、などの贈り物を用意し、ダビデに会いに出かけたのです。

このことは、彼女に大きな幸いをもたらし、彼女は命を失うことを免れ、逆に、
ダビデ、王の妻となったのです。

このことは、明らかにたとえであり、後の日の私達に賢い花嫁の歩みを伝えます。

そのようなわけで繰り返しますが、私達が終末の日仁気をつけなければならないのは、私達が
キリストにパンをまた、ぶどう酒をささげることができるのかどうかということだということを知りましょう。

教会があれば、また説教があればよい、またリバイバル聖会があればよい、というのではなく、
それをキリストが受けることができるのか、キリストにささげたパン、メッセージがあるのか、どうかとうことが大事なのです。

彼女、アビガイルのパンはダビデ、すなわち、キリストに受け入れられました。また、
ぶどう酒もいちじくも受け入れられたのです。
このことが大事、非常に大事なのです。

キリストが来られる時、私達がキリストに受けいられるパンを、ぶどう酒をまたいちじくを用意することがどれ程大事なことでしょうか。
 

神がそのいちじくが食べられないことは、以下に
書かれています。

”エレミヤ24:1 バビロンの王ネブカデレザルが、エホヤキムの子、ユダの王エコヌヤと、ユダのつかさたちや、職人や、鍛冶屋をエルサレムから捕え移し、バビロンに連れて行って後、主は私に示された。見ると、主の宮の前に、二かごのいちじくが置かれている。
2 一つのかごのは非常に良いいちじくで、初なりのいちじくの実のようであり、もう一つのかごのは非常に悪いいちじくで、悪くて食べられないものである。」
3 そのとき、主が私に、「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」と言われたので、私は言った。「いちじくです。良いいちじくは非常に良く、悪いのは非常に悪く、悪くて食べられないものです。」

このいちじくとは何でしょうか?
以下の様に書かれています。
 

””エレミヤ24:4 すると、私に次のような主のことばがあった。
5 「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。この良いいちじくのように、わたしは、この所からカルデヤ人の地に送ったユダの捕囚の民を良いものにしようと思う。
6 わたしは、良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。
7 また、わたしは彼らに、わたしが主であることを知る心を与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心を尽くしてわたしに立ち返るからである。
8 しかし、悪くて食べられないあの悪いいちじくのように、「「まことに主はこう仰せられる。「「わたしは、ユダの王ゼデキヤと、そのつかさたち、エルサレムの残りの者と、この国に残されている者、およびエジプトの国に住みついている者とを、このようにする。
9 わたしは彼らを地のすべての王国のおののき、悩みとし、また、わたしが追い散らすすべての所で、そしり、物笑いの種、なぶりもの、のろいとする。
10 わたしは彼らのうちに、剣と、ききんと、疫病を送り、彼らとその先祖に与えた地から彼らを滅ぼし尽くす。」”
 

いちじくは、イスラエルの家であり、今でいえば、キリスト教会のことです。
ですから、アビガイルがダビデにいちじくをささげたことは、すなわち、
終末の日にキリストに喜ばれる、クリスチャンとしてとどまることに通じます。
このことが大事なのです。
 

「ただ、彼女は夫ナバルには何も告げなかった。」

夫婦二人がおり、そのうちの妻が、ダビデに会いに行こうとしているのに、
そのことは、もう一人の人、夫には知らされませんでした。
それは、彼ナバルが愚かで、悪く、聞く耳がないので、伝えられなかったのです。
終末にも同じことが起きるでしょう。
二人の者が畑にいて、一人はとられ、一人は残される日が来るでしょう。私達が正しく
歩んでいるかどうかがその違いに関係します。

”20 彼女がろばに乗って山陰を下って来ると、ちょうど、ダビデとその部下が彼女のほうに降りて来るのに出会った。
21 ダビデは、こう言ったばかりであった。「私が荒野で、あの男が持っていた物をみな守ってやったので、その持ち物は何一つなくならなかったが、それは全くむだだった。あの男は善に代えて悪を返した。
22 もし私が、あしたの朝までに、あれのもののうちから小わっぱひとりでも残しておくなら、神がこのダビデを幾重にも罰せられるように。」”

殺害の意図を持って、下って来るダビデに出会った、アビガイルは、
終末の日、報復の日に裁きのために下ってくる、キリストに出会う、
今の時代の私達の型です。

終末の日のキリストの再臨に関して、多くのクリスチャンが、
間違え、勘違いし、知らないことがあります。
それは、その日が報復の日、裁きの日であるということです。

以下の様に聖書は繰り返し、その日が報復の日であることを
語ります。

”マタイの福音書 23:35 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。
ルカの福音書 21:22 これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。
テサロニケ人への手紙第二 1:8 そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。
ヨハネの黙示録 19:2 神のさばきは真実で、正しいからである。神は不品行によって地を汚した大淫婦をさばき、ご自分のしもべたちの血の報復を彼女にされたからである。」”

一体誰に対する報復の日なのか?
それは、このナバル、神に愛される民ユダまた、ダビデと同族の
ナバルが裁かれたように、キリストの同族であるはずのクリスチャン、彼らが堕落し、背教し、反キリストを拝して裁かれる日なのです。
 

「あの男は善に代えて悪を返した。」
 

長い間、ナバルの持ち物を守ったダビデとその若者に対する、
ナバルの態度は、ダビデに怒りと報復をひき起しました。
結果、愚かなナバルは自分の死をもたらしました。
このことは、キリストの初臨の時、再度、成就しました。

”マタイ23:37 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
38 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。
39 あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」”
 
 
 
 

ひなを集めるように、エルサレムの人を集め、めんどりのように
盾となり、城壁となった方を好まず、追い出すエルサレムには、
後の日にローマを通して裁きが行われたのです。

そして、このことは再度終末の日に再現するでしょう。

”23 アビガイルはダビデを見るやいなや、急いでろばから降り、ダビデの前で顔を伏せて地面にひれ伏した。
24 彼女はダビデの足元にひれ伏して言った。「ご主人さま。あの罪は私にあるのです。どうか、このはしためが、あなたにじかに申し上げることをお許しください。このはしためのことばを聞いてください。
25 ご主人さま。どうか、あのよこしまな者、ナバルのことなど気にかけないでください。あの人は、その名のとおりの男ですから。その名はナバルで、そのとおりの愚か者です。このはしための私は、ご主人さまがお遣わしになった若者たちを見ませんでした。”
 
 

裁きにあったナバルと異なり、アビガイルはダビデに受け入れられ、裁きを免れました。
その違いは、また終末の日に再臨の主に受け入れられるクリスチャンと拒絶され、裁きに
会うクリスチャンの違いに通じます。

アビガイルが何故受け入れられたのかを学ぶ事は大事です。
彼女は、自分を「はしため」と呼んでいます。女性しもべと呼んでいるのです。
パウロも自分をキリストのしもべと呼んでいます。ですから、
終末の日に受け入れられるクリスチャンは、すなわち、キリストのしもべ、主人に仕え、
そのみこころを行う者であることを知りましょう。

逆に傍観者、群集の様に我関せず、何の奉仕もしないぞ、と乙に構えている人は
危ないのです。
 

「その名はナバルで、そのとおりの愚か者です」
 

裁かれ、命を奪われる者の名はナバルであり、その意味合いは愚か者です。
愚かということばは、新約聖書の花婿に出会えなかった愚かな、
花嫁、油すなわち、聖霊からかけ離れたクリスチャンに通じます。
また、砂の上に家を立てた愚かな人、すなわち、弟子の歩みより、群集の歩みを求める、
人々に通じます。
 

”26 今、ご主人さま。あなたが血を流しに行かれるのをとどめ、ご自分の手を下して復讐なさることをとどめられた主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。どうか、あなたの敵、ご主人さまに対して害を加えようとする者どもが、ナバルのようになりますように。”
 

この時、ダビデは、祝福のために下ったのではなく、恵みを現すために
下ったのでもありません。逆に、血を流しに行き、復讐のために
下ったのです。しかもそれは同族のうちのよこしまな者へ
向けられるものでした。

そして、再臨の日にキリストが下るのも同じ理由であり、よこしまなクリスチャンへの裁き、
復讐のためなのです。このことを勘違いしてはいけません。

このことを描く記述は黙示録にあふれています。
 

たとえば以下の様に、
 

”黙示録16:1 また、私は、大きな声が聖所から出て、七人の御使いに言うのを聞いた。「行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ。」
2 そこで、第一の御使いが出て行き、鉢を地に向けてぶちまけた。すると、獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々に、ひどい悪性のはれものができた。
3 第二の御使いが鉢を海にぶちまけた。すると、海は死者の血のような血になった。海の中のいのちのあるものは、みな死んだ。
4 第三の御使いが鉢を川と水の源とにぶちまけた。すると、それらは血になった。
5 また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。
6 彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。」
7 また私は、祭壇がこう言うのを聞いた。「しかり。主よ。万物の支配者である神よ。あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」
8 第四の御使いが鉢を太陽に向けてぶちまけた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。
9 こうして、人々は激しい炎熱によって焼かれた。しかも、彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。
10 第五の御使いが鉢を獣の座にぶちまけた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。
11 そして、その苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分の行ないを悔い改めようとしなかった。
12 第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。
13 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。
14 彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
15 「「見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。「「
16 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。
17 第七の御使いが鉢を空中にぶちまけた。すると、大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来て、「事は成就した。」と言った。
18 すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。
19 また、あの大きな都は三つに裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。そして、大バビロンは、神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。
20 島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。
21 また、一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである。”
 
 

ダビデの下ったのは、復讐のためであり、しかし、アビガイルは例外的に
助かったのです。怒りから免れたのです。
このことが尊いのです。
終末の日、黙示録の日も基本的には裁きの日なのですが、例外的に
助かる一部の人々がいます。このことが尊いのです。

”27 どうぞ、この女奴隷が、ご主人さまに持ってまいりましたこの贈り物を、ご主人さまにつき従う若者たちにお与えください。”
 

この日、アビガイルにはダビデに対してさしだすもの、提供できるものがありました。
これが彼女の命を救ったのです。今私達がキリストが受け入れられるパン、教理、教えまた、油すなわち、霊の働きを備えていることがいかに必要なことでしょうか。

”28 どうか、このはしためのそむきの罪をお赦しください。主は必ずご主人さまのために、長く続く家をお建てになるでしょう。ご主人さまは主の戦いを戦っておられるのですから、一生の間、わざわいはあなたに起こりません。”
 

罪を赦して欲しいと、アビガイルはいいました。
同じく終末の日に住む我々がキリストに会う時、大事なことは、私達の罪が解決されていること、
赦されている、そのことです。
 

”29 たとい、人があなたを追って、あなたのいのちをねらおうとしても、ご主人さまのいのちは、あなたの神、主によって、いのちの袋にしまわれており、主はあなたの敵のいのちを石投げのくぼみに入れて投げつけられるでしょう。
30 主が、あなたについて約束されたすべての良いことを、ご主人さまに成し遂げ、あなたをイスラエルの君主に任じられたとき、
31 むだに血を流したり、ご主人さま自身で復讐されたりしたことが、あなたのつまずきとなり、ご主人さまの心の妨げとなりませんように。主がご主人さまをしあわせにされたなら、このはしためを思い出してください。」”
 

「イスラエルの君主に任じられたとき」とここに書かれていますが、
主キリストもまた、王の王、主の主としてこられます。
その時、主が私達に対して、そのこころをとめられるかどうかが、大きな違いとなります。
永遠の命に関わる違いとなるのです。
 

まとめますが、この箇所には、来られる王としてのダビデに返すべき物を返さず、
裁きに会い、命を失った愚かなナバルと全く正反対の妻、賢いアビガイルについて
書かれています。

ダビデの裁きに会わず、逆に好意を得た、賢いアビガイルはまた、
終末の日にキリストを正しく迎える賢い花嫁の型です。

正しく彼女にならうものとなりましょう。
 

終末における主のみこころを行いましょう。
ー以上ー
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