NO. 647 賢い妻と愚かな夫

”1サムエル25:1 サムエルが死んだとき、イスラエル人はみな集まって、彼のためにいたみ悲しみ、ラマにある彼の屋敷に葬った。ダビデはそこを立ってパランの荒野に下って行った。
2 マオンにひとりの人がいた。彼はカルメルで事業をしており、非常に裕福であった。彼は羊三千頭、やぎ一千頭を持っていた。そのころ、彼はカルメルで羊の毛の刈り取りの祝いをしていた。
3 この人の名はナバルといい、彼の妻の名はアビガイルといった。この女は聡明で美人であったが、夫は頑迷で行状が悪かった。彼はカレブ人であった。
4 ダビデはナバルがその羊の毛を刈っていることを荒野で聞いた。
5 それで、ダビデは十人の若者を遣わし、その若者たちに言った。「カルメルへ上って行って、ナバルのところに行き、私の名で彼に安否を尋ね、
6 こうあいさつしなさい。『あなたに平安がありますように。あなたの家に平安がありますように。また、あなたのすべてのものに平安がありますように。
7 私は今、羊の毛を刈る者たちが、あなたのところにいるのを聞きました。あなたの羊飼いたちは、私たちといっしょにいましたが、私たちは彼らに恥ずかしい思いをさせたことはありませんでした。彼らがカルメルにいる間中、何もなくなりませんでした。
8 あなたの若者に尋ねてみてください。きっと、そう言うでしょう。ですから、この若者たちに親切にしてやってください。私たちは祝いの日に来たのですから。どうか、このしもべたちと、あなたの子ダビデに、何かあなたの手もとにある物を与えてください。』」
9 ダビデの若者たちは行って、言われたとおりのことをダビデの名によってナバルに告げ、答えを待った。”

本日は、「賢い妻と愚かな夫」という題でメッセージをしたいと思います。

テキストに沿って見ていきます。
 

”1 サムエルが死んだとき、イスラエル人はみな集まって、彼のためにいたみ悲しみ、ラマにある彼の屋敷に葬った。ダビデはそこを立ってパランの荒野に下って行った。
2 マオンにひとりの人がいた。彼はカルメルで事業をしており、非常に裕福であった。彼は羊三千頭、やぎ一千頭を持っていた。そのころ、彼はカルメルで羊の毛の刈り取りの祝いをしていた。”
 

今日の話は、マオンのある裕福な人の話です。
マオンはユダの地です。ユダは私の理解では、プロテスタントの予表です。
ここでは、羊の毛の刈り取りの祝いのことが描かれています。
羊の毛の刈り取りの時とは、終末の日の預言と理解できると思われます。たとえば、
麦、作物の収穫の日もまた、終末の日の予表です。何故なら、マタイ13章によれば、
刈り取りの日が終末の日のことであり、良い麦は集めて倉に入れられ、毒麦は集めて
火で燃やされると書いてあるからです。

同じくマタイ13章には、魚に関して、世の終わりには、収穫があると書かれています。
良い魚は集められ、また悪い魚は集めて火で焼かれることが
書かれています。

羊の刈り取りは、麦の刈り取り、魚の収穫に匹敵することがらであり、
世の終わりに関係することがらです。ですからここで語られているのは終末に関係することなのです。
 
 

「彼はカルメルで事業をしており、非常に裕福であった。彼は羊三千頭、やぎ一千頭を持っていた。」

彼はたくさんの羊を持っていました。これは、多くのクリスチャンを抱えるプロテスタントの予表です。
 

”3 この人の名はナバルといい、彼の妻の名はアビガイルといった。この女は聡明で美人であったが、夫は頑迷で行状が悪かった。彼はカレブ人であった。”
 

彼の名は、ナバルです。意味合いは、「愚か」という意味です。
それに反してその妻、アビガイルは聡明であることが書かれています。
すなわち賢いと愚かという2つの対称がここで描かれているのです。

賢い、そして愚かという2つの言葉に関して、新約では、
以下の話が有名です。
 

”マタイ25:1 そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
2 そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。
3 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。
4 賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。
5 花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。
6 ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。
7 娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。
8 ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』
9 しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』
10 そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
11 そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください。』と言った。
12 しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません。』と言った。
13 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。


 

実は、上記ナバルの話は、この新約の賢い娘、愚かな娘の箇所と関連があり、
これを説明するものです。それを見ていきたいと思うのです。


4 ダビデはナバルがその羊の毛を刈っていることを荒野で聞いた。
 

ダビデはイスラエルの王となった人ですが、それはまた真のイスラエル、
新約のクリスチャンの王である方、キリストの型です。
羊の毛の刈り取りは終末の大収穫に対応します。
ですから、この箇所は、終末の日、王である方、キリストをどう迎えるかどうかということを
扱った箇所なのです。
 
 

”5 それで、ダビデは十人の若者を遣わし、その若者たちに言った。「カルメルへ上って行って、ナバルのところに行き、私の名で彼に安否を尋ね、”

この日、ダビデは、自分が行くその前に10人の若者を遣わしました。
終末の日も同じであり、再臨のキリストの前に遣わされる人々がいます。そして、
その終末の日、クリスチャンが裁きに会うかどうかは、その遣わされた人々にどう対応するのかということ関係します。
 

”6 こうあいさつしなさい。『あなたに平安がありますように。あなたの家に平安がありますように。また、あなたのすべてのものに平安がありますように。”

ダビデがこのようにあいさつしたのに、ナバルは冷たくその使者を追い返しました。
このことは、主イエスの時実現しました。
遣わされた者、バプテスマのヨハネはパリサイ人達に受け入れられませんでした。
 
 


7 私は今、羊の毛を刈る者たちが、あなたのところにいるのを聞きました。あなたの羊飼いたちは、私たちといっしょにいましたが、私たちは彼らに恥ずかしい思いをさせたことはありませんでした。彼らがカルメルにいる間中、何もなくなりませんでした。”
 

羊飼いすなわち、牧者を守ったと語る、ダビデのことばは、そのまま、
牧師達を守り、支えた主イエスと重なります。
しかるにこのことばに対して、ナバルは、冷たく答えます。
同じように終末の日の教会も来られようとする方、キリストに対して、
あるべき対応をしません。そのため、問題が起きるようになります。
 

”8 あなたの若者に尋ねてみてください。きっと、そう言うでしょう。ですから、この若者たちに親切にしてやってください。私たちは祝いの日に来たのですから。どうか、このしもべたちと、あなたの子ダビデに、何かあなたの手もとにある物を与えてください。』」
9 ダビデの若者たちは行って、言われたとおりのことをダビデの名によってナバルに告げ、答えを待った。”
 
 

「あなたの子ダビデに、何かあなたの手もとにある物を与えてください。」とダビデは
ナバルから、手元にあるものを与えられるよう、要求します。
それどころか後には、何も与えないナバルへ復讐のため、命をねらいに下って来るようになります。

ダビデのすることは、乱暴なように見えますが、終末の日に起きること、再臨の日に
起きることの予表です。
 

すなわち、終末の日、再臨の日に、私達も主である、キリストに手元に
あるものを差し出すよう、要求されるのです。

そんなことは聞いていない、という意見もあるかもしれませんが、
聖書はこのことに関する記述に満ちています。

”ルカ19:12 それで、イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。
13 彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』
14 しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません。』と言った。
15 さて、彼が王位を受けて帰って来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出すように言いつけた。
16 さて、最初の者が現われて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』
17 主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』
18 二番目の者が来て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』
19 主人はこの者にも言った。『あなたも五つの町を治めなさい。』
20 もうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。
21 あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』
22 主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。
23 だったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうすれば私は帰って来たときに、それを利息といっしょに受け取れたはずだ。』
24 そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。』
25 すると彼らは、『ご主人さま。その人は十ミナも持っています。』と言った。
26 彼は言った。『あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている者までも取り上げられるのです。”
 

上記テキストの王位を受けて帰ってくる身分の高い人とは、
再臨のキリストのことであり、その日、私達はてもとのミナを提出するよう、
要求されるのです。
 

この日、ダビデの要求に対して何一つ提出せず、冷たくあしらったナバルはその名のとおり、
愚か者であり、結果、自分の命をもって、行いの刈り取りをするようになります。
神によって、打たれたのです。彼は新約でいう、5人の愚かな花嫁に通じます。
逆に聡明、賢い妻、アビガイルはダビデの喜ぶものを備え、
結果、その妻として迎えられます。彼女は明らかにキリストに受け入れられる賢い花嫁の
型です。

このことはさらに見ていきましょう。
 

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー -----------------------------7d92992da01ae Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream